世界一登る人が多い八王子の高尾山の入り口には弱い日本の象徴「日本が弱い時代には、弱い日本の象徴を。」
新宿や渋谷から40分程度でアクセスでき、北島三郎さんが住居を構えたり、タレントのヒロミさんやファンモンこと、ファンキーモンキーベイビーズの出身地として知られる八王子は東京都では最大の58万人の人口を抱える都市で、この規模は全国で23番目、横浜市などの政令指定都市を除くと船橋市・鹿児島市に次ぐ全国3番目の大きさになります。
中央線では、高円寺→吉祥寺→国分寺→八王子と「じ」を越えるたびに気温が下がって寒くなると言われますが、八王子の「じ」が「寺」ではなく、「子」であるのは、元々インドの神様である牛頭天王(ごずてんのう)を八人の王子たちが八方を守るということに由来するのだそうで、八王子に30年以上住み、八王子観光大使も務めている北島三郎さんも次のように述べています。
「できることは歌しかないので八王子の街の歌も歌ってみたい。8人の王子様がいるという名前がいい。」
八王子市内にある高尾山は、ミシュラン観光ガイドにも載り、年間登山者数が世界一とも言われます。また、八王子を中心に広がる広域多摩地域(埼玉県南西部・東京都多摩地域、神奈川県県央部)には約1,600もの製造業が立地し、工業出荷額はシリコンバレーの2倍、大手企業も研究所を構え、近隣で発注や外注、開発の連携することで大きなビジネスチャンスを生み出せる地域でもあることでしょう。
東京の西南約25~40km、町田市・八王子市・多摩市・稲城市の4市にまたがり、総面積は約30ヘクタールとも言われる「多摩ニュータウン」は、1954年から始まった高度経済成長期に労働力として地方から都市部に大量の人が流入し、住宅不足が深刻化したことから、東京都と複数の団体が多摩丘陵の壮大な土地を買い上げて、想定人口40万人という巨大ニュータウン事業としてスタートしました。
しかし、経済が順調に成長し、人口が増えることが前提で進んでいった都市計画は昭和60年ぐらいまでは順調でしたが、その後は経済の衰退と少子高齢化の影響を大きく受け、規模が大きすぎるがゆえに再生のビジョンを描けずに停滞してしまっているのが現状です。
八王子市内にある高尾山の最寄駅「高尾山口駅」をデザインした建築家の隈研吾さんは、日本が強かった時代のコンクリートに頼った、重くて、エバッた感じの建築は絶対に作りたくないとして、「弱い日本なのだから、弱い建築」をモットーに建築をしているのだと言います。(1)
そう言った意味では、市制100年を迎え、高度経済成長期の中で強い日本ともに拡大していった八王子市の次の100年の姿はこれまでの100年の姿とは全く違ったものになることは恐らく間違いないでしょう。
もしかすると、八王子の本質を知るヒントは、コンクリートで塗り固められた八王子の中心地ではなく、市街から少し離れた高尾山の方にあるのかもしれません。
▼ 八王子の高尾山にはイギリス一国分と同じ量の植物が存在している「宇多田ヒカルや宮沢賢治の飛び抜けた感性は豊かな自然の中から。」
八王子の高尾山はミシュラン観光ガイドに載ったから観光客が増えたと思われがちですが、実は戦国時代から多くの民衆が訪れる山でした。
当時から富士山は人々にとっては信仰の対象でしたが、関東の北条氏が甲斐の武田氏と争っていたことで、甲斐を通って富士山に参拝することができなくなってしまい、北条氏が民衆の心を鎮めるために、美しい富士山が見晴らせる高尾山に富士浅間社を建設して参拝できるようにしたことが始まりでした。(2)
また、わずか標高599m、面積2600ヘクタール高尾山には1598種類の植物が存在し、世界自然遺産に登録された屋久島が高尾山の20倍の面積に対して1723種類、高尾山の9300倍も広いイギリスに存在する植物は1859種とほぼ同じぐらいだと言いますから、このように比較すると大都会から30分ほど離れた八王子にどれだけ偉大な自然があるかがよく分かります。
よく、八王子の良いところは渋谷や新宿などの大都会にすぐアクセスできて、豊かな自然がたくさん残っているところだと言われます。
しかし、自然のない都会に住んだり働いたりしている人たちの中で、定期的に自然に触れることがどれほど大切で、それがどれだけ仕事での生産性をアップさせるために重要なのかということを本心から理解している人はあまり多くありません。
1965年、ある保険機関がロンドン南部のある地域に住む10万人を対象に精神分裂病やうつ病などを含む、人間の精神的な状況を調べたところ、精神分裂病だと特定された人は11%でしたが、約30年後の1997年には、その数字は倍以上の23%に増加していたと言います。
実際、1950年には世界の約30%ほどの人々が自然の少ない都会に住んでいました。それが、現在では約50%の人が都市に住んでおり、国連の調査によれば、2050年には仕事や新しいチャンスを求めて、世界人口の約70%の人が自然の少ない都会に住むだろうと予想されています。
近年、世界中の人達の死や悲しみの原因になっている様々な病気や精神病は、私たちが自然界の設計を無視して生活してきた代償であり、人間は自然から離れれば離れるほど、不幸になっていくと言えるのかもしれません。
トロント大学のマーク・バーマン氏の研究で、森林浴をすると認知テストの成績が20%も上がったり、その他の調査でも、自然と触れ合い心身に健康をもたらすことは、コルチゾール値、心拍数、そして血圧といった客観的指数の変化によって効果が証明されていますが、そもそもなぜ森林浴が気持ちいと感じるのかと言えば、それは樹々の葉っぱや幹から出ている香りに心が癒され、安眠や食欲まで促進されるからなのだそうです。(3)
また、小鳥のさえずりやそよ風というのは、不規則さと規則正しさがうまく調和した「1/fゆらぎ」と呼ばれるものを含んでおり、これは宇多田ヒカルや美空ひばりの歌声にも含まれていると言われ、都心から40分程度でアクセスできる八王子の大自然は本当に贅沢だと言えるでしょう。
宇多田ヒカルは宮沢賢治の自然観に大きな影響を受け、歌の歌詞の所々にその憧れが反映されています。
宮沢賢治は30才を過ぎると岩手県花巻市の自然に囲まれた中の一軒家で独居自炊をしながら創作活動をし、彼の詩や原稿を書くスタイルは机に長い間座って、考えに考え抜いて文章を書くというものではなく、外に飛び出して、自然から受けるエネルギーを感じながら、自分の感じ取ったものをただそのまま文章にしていくといった感じのスタイルでした。
かつて、八王子の高尾山周辺にも、自然の力をダイレクトに感じられるという魅力に惹かれて多くのアーティストが移り住みましたが、宮沢賢治が自然の中から感じ取った表現力は「共感覚」とも呼ばれ、彼の文章の中にある「風を食べる」「日光を飲む」と言った文章は「色を聞いたり」、「色が見えたり」といったようにひとつの刺激に対して、ふたつ以上の感覚が反応してしまう不思議な感覚によって作られていきました。
映画監督の宮崎駿もまた日本人が持つ自然観を表現したコンテンツを作り続けており、映画「風立ちぬ」のインタビューで 、「なぜ今あの時代(戦時中)の日本を描いたのか?」という質問に対し、「また同じ時代が来たから」として次のように述べています。
「人間の世界から外れたところには、何かがいるという自然観を日本人は持っていたんです。だから、自然に対して謙虚で、慎ましい態度をとっていました。ところが自然に対して優位に立つと、その畏れを捨てて振舞ってきた。」
都市に人が集まり、ビルをどんどん建てて、交通を整備することで生活を便利にしていくことは国を成長させていく上で必要だったことは間違いありません。
しかし、あまりにも日本人が自然を軽視し、経済効率を優先し続けていることと原発や震災、そして、最近多発している地震や異常気象が全く関係がないとはとても思えません。日本人はあまりにも自然から距離を置きすぎてしまったのではないでしょうか。
自然が大切だからと、宮沢賢治のように岩手県に急に住むことはできないかもしれませんが、八王子のように大きな自然に囲まれながらも都心まで30、40分の距離なのであれば、しっかりと経済効率と自然観のバランスが取れた生活ができることでしょう。
そろそろ、僕たちは「成長」という言葉に違和感を持たなければなりません。
▼ 高尾山の木や草を伐採した者は首を切る「戦国、江戸、明治、そして昭和と400年以上人間の手で守られてきた自然」
八王子にはただ自然が多いというだけではなく、その自然がどれほど偉大なのかをしっかりと説明してくれるミュージアムなども多くあり、特に高尾山を登る手前にある「高尾599ミュージアム」は整備費用約14億円を投じて作られ、まるでアップルストアのような内装で、100年先の高尾山を見据えて人々がしっかりとコミュニケーションを取るために作られました。
そもそも、なぜこの八王子にある高尾山の自然がこれほどまでに残っているかというと、戦国時代に関東を支配していた北条氏照が高尾山にある薬王院にご利益を期待し、「高尾山の竹や木、草でさえも、伐採した者は首を切る」という厳しい条例を出しことに始まり、江戸時代には幕府直轄領「天領」として手厚く保護され、明治以降は皇室の土地として、戦後は国定公園として、国や東京都に管理されてきたことで、今の状態を保っています。(4)
戦前戦後を通じて、日本の拡大を支えてきた人口増加や大量生産をベースとした第二次産業(製造業、建設業、電気・ガス業など)の中心は中国などに拠点を移し、日本の拡大と共に成長してきた東京最大の人口を抱える八王子も大きな変化の過渡期に差し掛かっているように思います。
よく人口が減っても成長し続けていくためには、イノベーションを起こして技術進歩を活性化させるべきだと言われがちですが、「技術進歩」と言うと、どうしても科学者や技術者が作り出す「ハードなテクノロジー技術」を想像してしまいます。確かにテクノロジーの技術進歩が大切であることは間違いないでしょう。
しかし、ハード面の技術進歩と並んで、もしくはそれ以上に八王子のような巨大都市はソフト面の「技術進歩」を意識していく必要があるのかもしれません。
例えば、今では世界中の誰もが知るようになったスターバックスやレッドブルなどは何か特別優れたハードの技術進歩を起こしたと言うよりは、既に日本にあった喫茶店やヨーロッパにあったカフェに新しいコンセプトを付け加えたり、普通のエナジードリンクを誰も思いつかないようなマーケティングのやり方で若者の心を掴んだりと、新しいものを生み出すのではなく、既にあるものに新しい付加価値を加えてソフト面の技術進歩を起こしていきました。
冒頭でも述べた通り、ミシュラン観光ガイドにも載り、今では海外からも登山者が来る八王子の高尾山の「高尾山口駅」には、「弱い日本なのだから、弱い建築」をモットーにした隈研吾さんの作品があります。
隈さんは「建築は竣工の瞬間に自分の手を離れて、街のものになる」と述べていますが、何かこの象徴的な建物と高尾山の自然が、戦後、強い日本の象徴で、国の成長ともに拡大してきた東京最大の都市、八王子に何か変化を求めているように感じます。
ちょっと、八王子を歩いて、強い都市と弱い都市について考えてみるのもいいかもしれません。
時代が変化する時、両者の立場はあべこべになるのですから。
1.隈 研吾「建築家、走る」新潮社、2015年 2.NHK『ブラタモリ』制作班「ブラタモリ 8 横浜 横須賀 会津 会津磐梯山 高尾山」KADOKAWA、2017年 P122 3.田中 修「植物はすごい – 生き残りをかけたしくみと工夫」中央公論新社、2012年 4.NHK『ブラタモリ』制作班「ブラタモリ 8 横浜 横須賀 会津 会津磐梯山 高尾山」KADOKAWA、2017年 P120
著者:夏目力 2018/2/22 (執筆当時の情報に基づいています)
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