もし鎌倉にカフェ文化が根付いていなかったら、年間2000万人もの観光客が訪れる街にはなっていなかった
都内から電車で1時間もかからない所にある神奈川県鎌倉市は、東京からもっとも近い古都として年間約2000万人もの観光客が訪れます。
そんな関東屈指の観光地として有名な鎌倉は日本の近代文化を築き上げてきた多くの文化人たちが愛した街でもありました。
鎌倉は夏目漱石、芥川龍之介、与謝野晶子、そして川端康成など日本人なら知らない人はいないであろう大勢の大作家たちが訪れた街であり、明治から昭和にかけて鎌倉に集まった300名にも及ぶ作家たちは鎌倉文士と呼ばれています。(1)
多くの作家たちが鎌倉を訪れるようになったのは、当時、ドイツ人医師のベルツが海水浴に保養効果があると発表し、温暖な鎌倉の海辺を保養地として推奨したことがキッカケのようで、近代化が急激に進んだ明治維新後の社会から心が失われてゆく中、東京での社会生活に疲弊した作家たちが続々と鎌倉へ足を運ぶようになったのだそうです。(2)
そうした影響もあってか、明治から昭和にいたるまでの日本の近代文学の立役者となった作家たちは誰しもが鎌倉と何らかの関係性を持っていると言われ、例えば、夏目漱石の『こゝろ』をはじめとする日本を代表する文学作品には鎌倉の情景が描かれることが少なくありません。
ただ、彼らが鎌倉を訪れた理由は保養のためだけでなく、ここ鎌倉が妙に落ち着く街だということも少なからず関係しているはずです。
街には人間と同じように年齢があって、希望に満ちた少年期を送っているような若い街もあれば、年齢を重ねて余裕のある生活を送っているような街もあるはずで、鎌倉時代から続く長い歴史を持つ鎌倉はどちらかと言えば後者の「おばあちゃん」のような街だと言えるのでしょう。
鎌倉の落ち着いた雰囲気は街を走る江ノ電を見ていればよく分かります。
と言うのも、数分おきにやって来る東京の快速電車とは対照的に、鎌倉を走る江ノ電は平均時速20キロで走行しており、これは都内を走る在来線の3分の1以下のスピードです。
江ノ電がこんなにもゆっくりと走行するのは、鎌倉にカーブが多いことが原因なのだそうですが、新幹線やリニアモーターカーなど、世の中の乗り物がどんどん速くなる中、それらとは対照的に極端にゆっくり進む江ノ電が鎌倉のゆとりある雰囲気を作り出していることは間違いありません。
また、京都では観光客の4人に1人が宿泊するのに対して、鎌倉では観光客の98%が宿泊することなく日帰りで観光を終えてしまうことが神奈川県の調査で分かっています。
昼間は観光客で大賑わいなのにも関わらず、夜になると突然人の波が引くわけですから、そのコントラストがより一層鎌倉の静けさを引き立てる要因となっているのでしょう。(3)
鎌倉に集まった作家たちにとって、のんびりとした鎌倉の雰囲気は体を休めたり小説を書く上で重要だったようで、ある作家は、考え事をしながらぼんやりと歩いていても、急ぐ車にはね飛ばされる危険がないのは鎌倉だけだと小説の中で述べていました。(4)
▼ カフェが鎌倉の街を作ってきた「政治、経済、そして文化を形作る場としてのカフェ」
鎌倉に多くの作家たちが集まり、文学の街として栄えたのは鎌倉独特の余裕のある雰囲気が理由の一つですが、それ以上に大きな理由となったのはカフェの存在だったのかもしれません。
鎌倉は多種多様な喫茶店が点在するカフェの街として有名で、例えば、鎌倉駅を出たところにある小町通りの入り口に店を構えている「イワタコーヒー店」にはかつて、川端康成や大佛次郎などの大作家が頻繁に通っており、ジョン・レノン夫妻も観光で訪れたことで有名です。
カフェの歴史は、17世紀半ばごろからイギリスで始まったコーヒーハウスがカフェの源流だと言われています。
その後、フランスにできた軽飲食店をカフェと呼ぶようになり、コーヒーハウスやカフェは学者や文化人たちが集まって政治や芸術を語る「情報交換の場」として、政治、経済、そして文化などを形作る場として歴史の重要な一面を担ってきました。(5)
そして日本ではそれより200年遅れた明治中期になって喫茶文化がスタートしたと言われており、情報収集あるいは情報発信の場としてカフェが発達したことによって、人と人とが出会い交流する場としての役割も担うようになっていったのです。(6)
小説家の村上春樹さんは小説を書く作業ほど孤独なことはないと述べていましたが、鎌倉に住んでいた作家たちにとって、他者と繋がり社会性を保つことのできるカフェの存在は大きかったに違いありません。
人間というのは不思議な生き物で、1人の時間が確保できないとストレスを感じる一方、一人ぼっちでは生きていくことはできないのです。
そのため、親しく話すほどの関係には至らなくても互いに顔くらいは知っている程度の、付かず離れずのゆるやかなコミュニティをどこかで必要としているのでしょう。
また、こうしたゆるやかなコミュニティというものは後から参加しやすいという傾向があるため、こうしたコミュニティは古くからの住民と新しく入ってきた住民とを繋ぐ役割も持っていて、総勢300名もの作家が次々と鎌倉に腰を据えることとなったのは、こうしたカフェの存在が大きく関係しているはずです。(7)
こうやって人々がゆるやかに交差する場所としてカフェが機能していれば、最初は顔見知りになり、いずれ挨拶くらいはするような関係になるのでしょう。
そしてそこからコミュニティが形成され、やがては文化を発信していくようなコミュニティのハブとなることで、その街は形作られていくのですから、カフェが街を作ると言っても過言ではありません。(8)
よく鎌倉の魅力は「あらゆるものを受け止める懐の広さと、新しい文化を世の中に向けて発信する力」だと言われていて、その要因は間違いなくこのカフェ文化にあるのでしょうし、実際に多くの文化人が鎌倉に移り住むことによって、鎌倉文化を発信する役目を担ってきたのです。
例えば、北鎌倉駅を出てすぐのところにある円覚寺が夏目漱石や川端康成の作品で登場したことで、多くの人々を惹きつける鎌倉定番の観光スポットになったように、鎌倉文士たちは自らの作品に鎌倉を登場させることによって鎌倉の街を盛り上げてきたのです。(9)
現在、日本各地で次々と大きなビルを建てるなどして都市開発が進められています。
しかし鎌倉を見ていればよく分かるように、街を活性化させる原動力となるのはその街に住む人自身であり、そんな彼らが自然に交わる場所を作れるのがカフェだと言えます。
最盛期の1981年には日本全国に15万店以上あったカフェは現在では約7万店にまで半減してしまったものの、それでも現在のカフェの数は全国にあるコンビニの1.2倍以上であることを考えれば、どれだけ時代が変わろうとも、カフェが社会の中で担う役割は私たちが考えている以上に大きいのではないでしょうか。(10)
現代の感覚では信じられない話ですが、格安コーヒーチェーンが登場する30年ほど前までは、コーヒー1杯の値段がラーメン1杯とほとんど変わらなかったのが当たり前でした。
ここから分かるのは、コーヒー1杯の値段にはコーヒーそのものだけではなく、「コミュニティへの参加費」も含まれていたということなのかもしれません。(11)
たった100円出せばコンビニで美味しいコーヒーが飲めてしまう現代において、もはやコーヒー単体だけで価値を出すことは困難でしょうから、そういった意味では、コーヒーをコミュニティに参加するための入り口として提供することがこれからのカフェが進むべき道だと言えるはずです。
▼ 鎌倉の面積は京都の二十分の一「夏目漱石の文学は感情が絡み合う狭い鎌倉で発達した」
また、鎌倉において人と人とが交差しやすい環境にあるのはカフェだけでなく、鎌倉という街の狭さにも要因があると言えます。
日本三大古都に挙げられる京都、奈良、そして鎌倉を比較した時に、京都の面積は830平方キロメートル、奈良は280平方キロメートルに対して、鎌倉の面積はたった40平方キロメートルしかなく、京都や奈良と比較して極端に面積が狭いのです。(12)
そんな鎌倉にゆかりのある作家たちは誰しもが口を揃えて「鎌倉の路地の情景」に魅了されたと述べています。
鎌倉は多くの道が入り組んでいる上に狭く、子どもの通学路、会社員の通勤路、そして地元民や観光客の散策路としての機能を併せ持っているため、道を互いに譲り合う文化が自然と生まれ、結果的に人と人が交差しやすい街となりました。
鎌倉のような狭い街に住んでいると、意識しなくても人と交わる機会は必然的に増え、当然ながら、異なる人間の感性と感性がぶつかりあいます。
もちろん、そこにはポジティブな反応、あるいはネガティブな反応が起きるはずですが、そうした日々が夏目漱石の文学の世界観を作り出しているのでしょう。
実際、夏目漱石の代表的な作品は生と死、愛と孤独、家族の問題、そしてエゴイズムなど、どれも人間が日々交差する中で生まれる葛藤や苦しみを題材にしているものが多いものの、漱石は文学を通じて精神の奥深いところで答えを導き出してくれるのです。(13)
そのため漱石文学は日本人の心の財産と言ってよいほど奥深く、高校生で読んだ時、大学生で読んだ時、あるいは社会人になって読んだ時など、同じ作品を何度読み返してもその度その人の成長に応じて何かを学ばせてくれる器の大きな作品だと言えますが、その器の大きさはまるで鎌倉のようだと感じずにはいられません。
文化人や観光客を問わず、彼らが何度も鎌倉を訪れるのは、訪れる度に前回とは違った新しい発見を与えてくれ、一方で、訪れる度に「おかえり」と言ってくれるような懐の深さがあるからなのでしょう。
少し離れたところからそっと見守ってくれる、まるで「おばあちゃん」のような鎌倉は、これまで近代社会で疲弊した夏目漱石らを始めとする文豪たちを一時的に受け止めてくれました。
そんな鎌倉はこの先も都会での生活に疲れた現代人を優しく受け入れてくれるに違いありません。
【参考書籍】
(1)槇野 修、山折 哲雄『[決定版] 鎌倉の寺社122を歩く』(PHP研究所、2013)Kindle
(2)川口葉子『鎌倉湘南カフェ散歩――海と山と街と』(祥伝社、2017)Kindle
(3)槇野 修、山折 哲雄『[決定版] 鎌倉の寺社122を歩く』(PHP研究所、2013)Kindle
(4)川口葉子『鎌倉湘南カフェ散歩――海と山と街と』(祥伝社、2017)Kindle
(5)小林章夫『コーヒー・ハウス 18世紀ロンドン、都市の生活史』(講談社、2000)Kindle
(6)高井尚之『カフェと日本人』(講談社、2014)Kindle
(7)入川ひでと『カフェが街をつくる』(クロスメディア・パブリッシング(インプレス); 第1版、2012)Kindle
(8)入川ひでと『カフェが街をつくる』(クロスメディア・パブリッシング(インプレス); 第1版、2012)Kindle
(9)川口葉子『鎌倉湘南カフェ散歩――海と山と街と』(祥伝社、2017)Kindle
(10)高井尚之『カフェと日本人』(講談社、2014)Kindle
(11)高井尚之『カフェと日本人』(講談社、2014)Kindle
(12)槇野 修、山折 哲雄『[決定版] 鎌倉の寺社122を歩く』(PHP研究所、2013)Kindle
(13)出口汪『知っているようで知らない夏目漱石』(講談社、2017)Kindle
著者:高橋将人 2018/5/9 (執筆当時の情報に基づいています)
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