東京生まれの故郷、聖蹟桜ヶ丘「聖蹟桜ヶ丘へ来ると自分だけの物語が始まる。」

東京の西部にはマンガやアニメの舞台となった土地が多く存在していて、『あたしンち』は西東京市、『ちはやふる』は府中市、『アオハライド』は町田市、『聖☆お兄さん』は立川市がそれぞれモデルとなっている中、スタジオジブリ作品の『耳をすませば』の聖地は聖蹟桜ヶ丘であるとされています。

この聖蹟桜ヶ丘には、『ちびまる子ちゃん』や『あらいぐまラスカル』を生み出したアニメーションスタジオの「日本アニメーション」が存在していて、宮崎駿さんも昔ここで働いていたことがあるようです。


▼ 開発によって作られた東京のふるさと「故郷とは遠くで想うものではなくて自分が青春を過ごした街のこと。」


今ではすっかり耳すまの街として知られている聖蹟桜ケ丘ですが、『耳をすませば』が取り上げられるようになったのはここ20年くらいのことで、ここは多くの史跡や自然を有している場所でもあります。

「聖蹟」というのは天皇が訪れた地域に付けられる名称で、明治時代初期の1880年代に明治天皇が兎狩りや鮎漁で4回ほどこの地を訪れたことから聖蹟桜ヶ丘という名前が付けられたようです。



高度経済成長の時代になると、映画『耳をすませば』の中では主人公の雫がテストの答案に”開発”と書いているシーンもあったように、この街は多摩ニュータウンの一角として発展を遂げました。

宮崎駿監督と近藤喜文監督が掲げた『耳をすませば』のテーマの1つには「都会生まれの人間にとっての“ふるさと”を描く」ということがあったそうで、聖蹟桜ヶ丘は新興住宅街で生まれ育ち、そのままそこで大人になった世代の「本物の田舎を知らなくてもここに地に足をつけて生きていこう」という思いを表わすのにぴったりだったようです。(1)



桜ヶ丘団地の分譲は1962年に平均100から始まりましたが、広く音が出せる物件ということで音大の先生や世界的に活躍するチェリストを始めとする多くの音楽家が住まいを構えています。

街にも業界大手の鈴木メソードを始めとする大小様々な音楽教室が存在しており、子どもから若者世代、引退したシニアなど幅広い年齢の人が楽器に親しんでいるようです。

他にも弦楽器を専門に扱う楽器店の「ワールド・オブ・ミュージック」では、聖蹟バ・ロック・アンサンブルという名前のアンサンブルを運営している他、慈善コンサートなどの活動を行うNPO法人のMAYA WORLD PEACEといった団体もあり、近所の人たちが集まって日々演奏活動が行われています。



数年前にこの街にできた「大樹バイオリン工房」店主の藤井さんは、高校卒業後イタリアのクレモナに渡りバイオリン作りの修行をした経歴の持ち主ですが、「この街には楽器を演奏する人がこんなにたくさんいるんだ」と思ったほど音楽を嗜む人は多いようです。

藤井さんが工房を構えている「アトリエ圭」というデザイナーズマンションは、芸術の道を歩む学生が集って互いに切磋琢磨するいうフランスのアパルトマンの考え方に影響を受けて建てられました。

現在住んでいるのは作曲家や油彩画家の方ですが、過去にはステンドグラス工房、機織り工房などとしても使われてきたそうで、半年に1回ほどはすべての住人が一度に集まってお互いに創作意欲を刺激し合っているそうです。



故郷というと私たちはすぐに地方のことを思い浮かべてしまいがちですが、カントリーロードをコンクリートロードとして訳した雫のように、コンビニや団地に囲まれていてもそこで自分の人生に打ち込む人たちにとってこの街は立派な故郷なのだと思います。

▼ 耳すまファンの青春を応援する街「聖蹟桜ヶ丘へ来ると自分だけの物語が始まる。」



1995年の『耳をすませば』公開直後から聖蹟桜ケ丘には多くのファンが訪れるようになり、映画の公開がされてから20年以上経った今も、作品中で描かれた風景を求めて全国から多くのファンがやって来るようです。

数あるジブリ作品の中でもこれだけ日本の街をしっかりと描き、現実世界のリアリティに溢れた作品はそうそうありません。

映画に登場するのは図書館やコンビニ、住宅地、学校といったごく普通の都会の風景で、これを見ると当たり前になっている日常の中にこそドラマが隠れているのだということを改めて認識させられます。



聖蹟桜ヶ丘の駅前には『耳をすませば』の作品中に登場する「地球屋」という雑貨店をモチーフにした「青春ポスト」が設置されているのですが、このポストは「耳すまファンの青春を応援をする」というコンセプトから生まれました。

自分の願い事を書いてポストに投函し、願いが叶ったら今度は報告のメッセージを投函するという仕組みになっていて、再びポストにやって来るまでの間に行った努力や失敗が自分だけの物語になるようにと考えられているのです。



桜ヶ丘団地の坂の上にある洋菓子店「ノア」には、そこを訪れた耳をすませばのファンが思い思いの言葉を綴る「耳すま思い出ノート」が置かれています。

このノートには「大阪から来ました!」といった来訪報告から、恋愛や受験の悩みなど、訪れた人の数だけストーリーが記されており、今ではノートの冊数は37冊に達したそうです。



こういった取り組みの数々は、宮崎駿監督が作品に込める思いにも通じるものがあって、監督は『耳をすませば』に込めたメッセージを次のように語っています。

「この作品は、自分の青春に痛恨の悔いを残すおじさん達の、若い人々への一種の挑発である。自分を、自分の舞台の主人公にすることを諦めがちな観客―それは、かつての自分達である―に、心の渇きをかきたて、憧れることの大切さを伝えようというのである。」(2)



特急で新宿へ30分ほどで行ける好立地にありながら、比較的家賃の抑えられているこの聖蹟桜ケ丘は、憧れを追いかけ、夢に向かって挑戦するのにうってつけの場所なのかもしれません。

『耳をすませば』の主人公である雫が自分の進むべき道を探し、自分で決めた目標に向かって挑んでいったように、今日も聖蹟桜ヶ丘では、なんでもない日常の中から新たなストーリーが生まれています。


才谷遼 (編集)『COMIC BOX Vol.101 1995年9月号』(ふゅーじょんぷろだくと、1995)P19~20
宮崎駿『出発点-1979〜1996』(スタジオジブリ; 第20版、1996) P416
【取材協力】

・Attirer Tassel 山崎さん

・大樹バイオリン工房 藤井さん

・ワールドオブミュージック 小泉さん


著者:天野盛介 2018/5/25 (執筆当時の情報に基づいています)
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