戦後の東京を作ったコンクリートの街、墨田区・押上「高層建築は権威を否定し、新しい価値観を生み出す。」

渋谷から半蔵門線に乗って30分のところにある墨田区・押上(おしあげ)は高さ634mを誇る東京スカイツリーが完成したのをキッカケに都内でも屈指の観光名所となりました。

今や押上エリアのランドマークになったスカイツリーは自立式タワー建築の分野において世界一の高さを誇りますが、高層建築には未来の社会を作り出す原動力があると言われています。



あらゆる国の都市文明を遡ってみるとエジプトのピラミッドや大名の天守閣など高さが特徴的な建築物は、政治、軍事、あるいは宗教など社会に大きな影響を及ぼす施設がほとんどです。

これは言い換えれば、高層建築はその街に住む人々に多大な影響を与えることになると言えるでしょう。(1)

そのため、古い市街地が数多く残る欧州などの国々では、今でも新しい建築物が建てられる際には歴史ある権威的な建築物よりも高く建てることが禁じられている場合が多いようです。

しかし、それは裏を返せば、高層建築が新たに作られた街ではこれまでの権威が否定され、それに変わる新しい価値観が構築されようとしていると言えるでしょう。



そう考えると、自立式電波塔として世界一の高さを誇るスカイツリーが歴史ある下町である押上に作られたという事実は、押上から新たな価値観が生まれることを表していると言えます。

実際、スカイツリーが押上に作られることを決定づけたコンセプト案には次のように書かれていました。(2)

「この地区(押上)のタワーにかかる最も大きな使命は、江戸以来の都市文化の多様な遺伝子を掘り起こし、それを現代文明に移植して内外に発信することである。」

▼ 地下鉄の丸の内線、銀座線、そして東京都内のマンホールなど、現代の東京の都市風景を作り上げたのは押上。



コンセプト案に「遺伝子を掘り起こす」との文言がありますが、実は押上は過去の震災や戦争でもっとも壊滅的な被害を受け、多くを失った街でした。

実際、関東大震災によって10万人もの人々が亡くなった際に、被害者の半数は押上エリアで亡くなっていますし、東京大空襲の際も押上エリアの75%が消失しました。

しかし一方で、日本社会が震災や戦争で失ってしまったものを取り戻そうとする時、いつも中心にいたのは押上でした。



関東大震災と東京大空襲を経て、住宅供給とインフラ整備のために押上に日本初の生コンクリート工場が作られたのです。

当時は現場でセメント、水、砂利などを混ぜてコンクリートを作っていましたが、工場で製造することで、高い強度を求められる建築物などに適した質の高いコンクリートを少ない労力で安定して供給することができるようになったと言われています。

こうして押上で製造された生コンクリートは東京を走る銀座線や丸ノ内線の工事、さらに東京都内の道路やマンホール工事などのインフラ整備にも使われたと言うのですから、押上ほど東京の都市整備に貢献した街はありません。



このようにして押上を中心として、震災や戦争で失われた都市風景は少しずつ回復したものの、世界的建築家の隈研吾さんはこうしたコンクリート建築に関して次のように述べています。(3)

「関東大震災に続き、第二次世界大戦の敗戦で、日本人は完全に自分たちを失いました。コンクリートを使えば豊かになれるという、コンクリート神話が人々を支配しました。」

木造建築は木材という自然素材の制約下にあることから、太くて長い大きな木材はなかなか手に入れることができず、そういった背景があって日本の木造建築は小さかったのです。(4)



自由自在に大きさを変えられるコンクリートとは違って、木材を使って大きな建築物を作ることは簡単ではなく、しかしそうした制約があったからこそ、日本の木造住宅は狭いものの、人間に合ったサイズを保つことができていたと隈さんは言います。

狭い家に住んでいれば共有しなければならないスペースや時間も増え、風呂も無いような小さな家に住んでいれば、銭湯に行かなければならないでしょうから、こうした狭さが日本社会における繋がりを担保していたことは間違いないでしょう。

ところが、押上を中心としたコンクリートの時代が訪れると、震災や戦争で失った都市風景は取り戻すことはできても、こうした繋がりは取り戻すことができなかったと言えます。

▼ コンクリートの街として東京の街を再建した押上の次の役割は、インターネットで人と人を再び繋げ直すこと。



コンクリートが時代を席巻してから時間がたつにつれて、次第に「横のつながり」や「共同体」という言葉を耳にするようになりましたが、そんな時代に計画されたのが押上でのスカイツリー建設だったのです。

そもそも押上にスカイツリーが作られたのは、東京タワーに変わる総合電波塔としての機能を移転するという目的からでした。

そして現在ではNTTドコモと東武鉄道が次世代高速通信である「5G」の実証実験を東京スカイツリーを中心としたエリアで行い、押上エリアを最先端情報技術の拠点に位置づけたのです。



興味深いことに、インターネット通信の一大拠点になりつつあるスカイツリーが今ある場所は、前述した押上のコンクリート工場の跡地でした。

こうして押上は、東京の都市風景を回復させたコンクリートの街から、次の時代を形作るインターネット通信の街へと姿を変えつつあるという訳なのです。

ちょうどスカイツリーの建設計画が進行していた2000年代といえば、インターネットが本格的に社会に浸透し始めた頃でした。

それによって従来の社会制度や都市のあり方が大きく変化してゆく中で、いかにインターネットの利便性というメリットを保ちながら、地域社会や共同体を取り戻すかが議論されていた時期でもあったのです。



こうしたインターネットと現実のライフスタイルの融合というのは随分と長い間議論されてきていますが、実はインターネットと日本人の気質には親和性があると言われています。

物質的なものは有限であるがゆえに略奪しあわなければならない一方、インターネットのような情報は価値を保ったまま大勢の人がその価値を受け取ることができるため、インターネットの「共有」という考え方が日本人と相性が良いようなのです。(5)

例えば、歴史を振り返って「金」の扱い方を考えてみても、物質主義の西洋では金塊にして個人が蓄えていたのに対して、日本では金を薄くして金箔をいろんな物に貼ることによって皆で価値を共有しました。(6)



押上は震災や戦争の中で東京が失ってきた都市風景をコンクリートによって見事に修繕してきたものの、それまでの日本人がもっていた他者と時間や価値観を「共有する」という精神的な部分までは回復させる事ができませんでした。

しかしインターネットという「共有」をテーマにした通信技術が押上を中心として発達することによって、インターネットと現実のライフスタイルとの融合が今後さらに活発に議論されるようになるでしょう。

そうやって日本人が何十年に渡って取り戻すことのできなかった「共有」の精神を復活させる役目を押上は担っているのかもしれません。

スカイツリーの「失われた遺伝子を現代社会に移植する」というコンセプトにもあるように。



【参考書籍】

(1)中川 大地『東京スカイツリー論』(光文社、2012)Kindle

(2)中川 大地『東京スカイツリー論』(光文社、2012)Kindle

(3)隈 研吾『建築家、走る』(新潮社、2015)Kindle

(4)隈 研吾『小さな建築』(岩波書店、2013)Kindle

(5)猪子寿之・井上明人・濱野智史・宇野常寛『日本的想像力と 「新しい人間性」のゆくえ』(第二次惑星開発委員会/PLANETS; 1版、2013)Kindle

(6)猪子寿之・井上明人・濱野智史・宇野常寛『日本的想像力と 「新しい人間性」のゆくえ』(第二次惑星開発委員会/PLANETS; 1版、2013)Kindle


著者:高橋将人 2018/5/28 (執筆当時の情報に基づいています)
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