ゲゲゲの鬼太郎の著者が50年間住み続け、今でも妖怪が安心して住むことができる東京都調布市。
『ゲゲゲの鬼太郎』の作者として知られている水木しげるさんの故郷と言えば一般的に鳥取県が有名ですが、実は漫画家デビューを果たした翌年の1959年から東京の西側に位置する調布市に住み始め、2015年にお亡くなりになるまでこの地で漫画家人生を過ごしました。
そのため水木さんの作品には調布市に関連するものが非常に多く登場します。例えば、現在ではパワースポットとして知られている布多天神社は漫画の中で「裏の雑木林に鬼太郎が住んでいる」と描かれており、言わば調布市は水木さんだけでなく『ゲゲゲの鬼太郎』を見て育った人たちの故郷とも言えそうです。
水木さんは生前、都市部のような自然が少なく常に明るい場所では妖怪の数が壊滅的に少なくなる一方で、植物が多く残っている地域では妖怪の数が多く、さらにそこに住んでいる人も思いやりのある人間になる傾向があると述べていました。(1)
と言うのも、土や植物の匂い、葉っぱが擦れる音、そして夜になると薄暗くなる畑など、私たちは五感を刺激されることで目に見えないものを想像し、その想像の延長線上にあったものが妖怪だった訳ですが、都市部がビルだらけになって五感が刺激されなくなると私たちは目に見えないものを想像しなくなり、次第に妖怪だけでなく他者の存在を想像することさえできなくなってしまったのではないでしょうか。
そういった意味で水木さんが調布市に50年以上も住んで妖怪を描き続けたと言うことは、都心部で次々と姿を消す妖怪がここ調布ではまだまだ元気に暮らしているということなのかもしれません。
▼ 新宿から15分の都心で販売農家が全国平均を上回り、コンビニの数と同じ数の野菜の直売所がある。
調布市は新宿から京王線特急を使えば約15分と都心部から近いのにも関わらず、市の面積の約1割が農地として使われており、さらに販売農家率の高さが全国平均を上回るという農業都市なのです。
そして収穫された野菜は地域の学校給食として提供されたり市内各所にある農産物直売所で販売されているのですが、その直売所の数は約90ヶ所もあり、調布市内にあるコンビニの数が約100店舗であることを考えれば、調布野菜が市内でどれだけ広く流通しているかは容易に想像がつくでしょう。
実際、調布市民の6割以上が普段から直売所で野菜を購入し、さらに9割以上の市民が農地が重要だと考えているという調査結果が出ていることからも、地場野菜が住民に必要とされ、調布市内全体で農家を支える基盤ができていることがよく分かります。
堀江貴文さんが以前、人が何かを食べて美味しいと感じるのは、料理そのものだけではなく、その料理が誰によってどんなふうに調理されたかといったウンチクを見たり聞いたりした時であるため、「人は情報を食べている」と述べていたように、人は頭で食べ物のことを理解することでより食べ物を美味しく感じるのだそうです。(2)
そう考えれば、人間は舌と頭の両方で食事をする生き物だと言えるため、普段の生活の中でどこの誰がどんなふうに作っているのかが街の中で見える調布野菜が美味しいと調布市民に支持されるのは当然のことなのでしょう。
このように調布市での生活は消費者と生産者との距離が近い一方、一般的に都市部に住んでいると、食べ物の生産者の顔を思い浮かべることはほとんどありません。
しかし、戦後間もない頃は全国の農村には長男が残り、次男以下が東京や大阪などの都市に移り住んでいたため、都会と田舎は兄弟の関係で互いの顔を知っている状態でした。(3)
そのため当時は都会に住んでいても田舎と繋がりがあったので、普段はサラリーマンとして働きながらも台風が来れば作物の心配をし、収穫の時期には手伝いをしに田舎に帰省していたので、都会の消費者と田舎の生産者との距離は非常に近かったのです。
ところが、時代が進んで都会生まれ都会育ちの人が増えてくると、田舎の家族や親戚はおろか、知り合いに農家が一人もいないという人が多くなり、生産者と消費者との間には互いに顔が見えないくらい大きな距離ができてしまいました。
食品の生産地から消費地までの距離をフードマイレージと呼びますが、現代日本の平均フードマイレージは平均16,000キロにもおよび、日本と地理的条件がほとんど同じであるイギリスのフードマイレージが4,000キロであることを考えれば、日本がどれだけ遠くから食べ物を運んでいるかがよく分かります。
消費者と生産者という関係性は距離が遠くなればなるほど互いを思いやることが難しくなるのです。そのため、消費者は生産者の顔が見えなければ平気でどんどん買い叩き、一方の生産者側も消費者の顔が見えないので大量の農薬などを使うことに対して抵抗がなくなってくるでしょうから、結局はお互いに苦しめ合う関係性になってしまいます。
そういった意味で、調布市のように消費者と生産者が密接に生活している地域ではこのような問題は起きにくいのでしょうし、実際に調布市で作られている野菜はあまり農薬を使わないものがほとんどです。
もちろん普段の食生活の全てを地産地消でカバーすることはあまり現実的ではないのかもしれません。しかし、調布市民のように普段は直売所で地域の野菜を購入しつつ、足りない分はスーパーで補うといったように、ある程度のバランスを保つことはそんなに難しいことではないはずです。
調布市に暮らす人々の生活を覗いてみると、わざわざ地球の裏側から食べ物を運ばなくても、地域内の野菜を地域で消費するというコンパクトな生活が十分に成り立っていることが分かりますし、地産地消によって生み出される価値は新鮮さや安全性だけにとどまらないように感じます。
これまでは取引の規模を世界に向けてどんどん広げ「大きな経済」を作り上げてきましたが、経済規模が大きくなるに従って農薬や偽装などの問題も大きくなったことは事実です。そういった意味で、調布市のように地域レベルで小さな繋がりを持って互いに支え合う「小さな経済」にこそ新しい生き方のヒントが隠されているのでしょう。
▼ 自転車を使う率が飛び抜けて多く、自転車は1キロ走ることに約20円の利益を社会にもたらす。
調布市がコンパクトなのは地産地消のあり方だけでなく、主な交通手段として自転車を活用しているところにも表れています。
街を歩いていると自転車に乗っている人の数が多いことに気が付きますが、調布市の調査によれば、自転車を主な交通手段として利用している人の割合は東京都平均が14パーセントなのに対して、調布市の場合は22パーセントと非常に高く、この数字は自転車先進国と呼ばれているオランダと比較してもほとんど差がないのだそうです。
興味深いことに、スウェーデンのルンド大学が行った自転車が地域に与える影響に関する研究によると、車は1キロ走るごとに約20円の損害を社会に与える一方、自転車は1キロ走ることに約20円の利益を社会にもたらすことが分かっています。
と言うのも、社会全体で見たときに車は渋滞や大気汚染を引き起こし、それが社会的なロスになるのに対して、自転車はそうした問題を引き起こしませんし、自転車を1日30分運転する人は糖尿病になるリスクが40パーセントも低下するのだそうで、自転車は医療費の削減にも繋がるからなのだそうです。
調布市を歩くとあらゆるところに駐輪場や自転車専用レーンなどが設置されていることが分かりますが、それは調布という街が自転車で生活することを前提に作られているからに他なりません。
近年、調布駅周辺を走る京王線を地下化し、広場、市役所、そして商業施設などがあるエリアを近くに集約して整備することで、日常生活を徒歩や自転車のみで完結させることができる構造になってきています。
イギリス交通省によれば、こうした自転車のための公共投資の費用対効果は車のための投資と比較して5〜19倍も高いのだそうです。
実際に調布市は東京都の中で財政力指数が2番目に高く、これは言い換えれば、調布市は懐に余裕があるので受けられる市民サービスの質が高いとも言え、そういう意味において調布市は自転車から大きな経済的恩恵を受けられている街だと言えるでしょう。
また、自転車が地域にもたらす利益は単に経済的なものに限らないことが分かっています。調布市のように自転車で生活しやすい小さくまとまった街のことをコンパクトシティと呼ぶのですが、このような小さな街では住民同士がすれ違う頻度が高いため、コミュニティが生まれやすいのです。
一般的に人が車や電車を使わずに、自転車や徒歩などで外出をしたいと考える距離はだいたい20分圏内だと言われていて、人はそれ以上の距離になると面倒だと感じますし、逆にそれ以下の距離だと物足りないと感じるということが分かっています。(4)
調布市の調査によると調布を含む多摩地域の車の利用率は約3割にも上る一方、調布市の車の利用率は16パーセントと半分程度であることが示しているように、調布という街は自転車を20分程度こげば、だいたいの用事を済ませることができる構造になっているため、人々が車に頼らずに頻繁に自転車で出かけられるのです。
そうやって狭いエリアの中で自転車や徒歩で毎日移動するようになれば、いずれ顔見知りができて、次第に挨拶をしたり世間話をするような人間同士の化学反応が起きることでしょう。そうやって人の輪が広がってゆくことこそが本来あるべきコミュニティの姿なのだと思います。
人はそうやって自分の居場所が確保されている街に対して愛着を持つものですが、ある調査によれば調布市民の88パーセントが今後も住み続けたいという定住意向があることが分かっており、調布市には地域に対する愛着が強い人が多いようです。
人は人が集まるところに引き寄せられるため、都心部にはどんどん人が吸いつけられるものの、興味深いことにここ調布市は東京23区以外で唯一人口が増え続けている街だと分かっていて、やはりこの街には人を引き寄せる不思議な魅力があるということなのでしょう。
冒頭の水木しげるさんは調布の街を散歩することが大好きだったと言われており、仕事場や行きつけの本屋など生活のほとんどを調布市内で済ませ、調布からはほとんど出ずに生活していたそうです。
水木さんが公の場で調布市に関して話すことはほとんどありませんでしたが、この街を歩いていると、どうして水木さんが50年間も調布に住み続けていたのかが何となく分かるような気がします。
参考資料
水木しげる「水木サンと妖怪たち: 見えないけれど、そこにいる」(筑摩書房、2016)P164
堀江貴文「面白い生き方をしたかったので仕方なくマンガを1000冊読んで考えた →そしたら人生観変わった」(KADOKAWA / 中経出版、2016)kindle
高橋博之「都市と地方をかきまぜる~「食べる通信」の奇跡~」(光文社、2016)kindle
山崎満広「ポートランド 世界で一番住みたい街をつくる」(学芸出版社、2016)P37
著者:高橋将人 2017/12/9 (執筆当時の情報に基づいています)
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