こち亀の作者、秋本治さんが亀有を通して読者に伝えようとしていたこと「子どもが時間なんか気にするんじゃねえ!」

葛飾区にある亀有といえば、国民的マンガである『こち亀』の舞台として今や全国的に有名になりましたが、こち亀が連載され始めた当初、亀有という街はほとんど知られていない街でした。

地元である「亀有」を作品のタイトルに使いたいと考えた作者の秋本治さんは当時、寅さんの『男はつらいよ』で葛飾区が全国的に有名になっていたことを利用して、亀有は知らなくても葛飾は知っているだろうと考え、マンガのタイトルを『こちら葛飾区亀有公園前派出所』にし、それが後に亀有の名を全国区に押し上げることとなった訳なのです。(1)



全200巻で累計1億5000万冊以上も売り上げたこち亀の単行本は、「最も発行巻数が多い単一漫画シリーズ」としてギネス世界記録に認定され、さらに作者の秋本さんは連載開始の1976年から連載終了までの40年間一度も休載せずにマンガを書き続けたという偉業を成し遂げました。

そんな秋本さんはマンガを描くときに亀有周辺の下町エリアをストーリーの舞台として選ぶことで知られていますが、秋本さんはその理由を次ように述べています。(2)

もちろん(下町の)懐かしい時代や風景を今の子供たちは知りませんが、『こち亀』のなかに描くことで知ってもらえるだろうし、興味を持ってもらうことができるかもしれない。
あるいは僕と同じ世代のお父さんやお母さんに読んでもらって、懐かしんでもらうだけでもいい。(マンガを描くことによって)それらを思い起こしたり、忘れないようにすることができるかもしれない。笑いの合間にそんな役割を少しでも『こち亀』で果たせればいいと僕は思っているんです。



こち亀に登場する亀有商店街や駄菓子屋などは再開発によって現在は跡地も分からないほどに変化してしまったものの、秋本さんがマンガに残した“忘れてはならないもの”は、確実に現代の亀有にも受け継がれています。

例えば、マンガの中で主人公の両さんや下町の人たちがよく草団子やおせんべいを食べているのは、団子やおせんべいの原料であるお米が亀有周辺で盛んに作られているからで、実際に葛飾区は東京23区の中で水田農家の数がもっとも多いお米の街だったのです。(3)



亀有周辺では今でも団子やおせんべいなど、米を原料とした手作りの食べ物を売るお店が多いのですが、昔から作り方を変えていない自家製のお菓子には食品添加物が含まれていないため、翌日には硬くなってしまいます。そういった背景があるからこそ、亀有エリアでは買ってすぐに食べる食べ歩きの文化が根付いたのかもしれません。

自家製の団子やおせんべいを歩きながら食べるという文化は庶民的ではあるものの、それは決して安っぽいわけでなく、地域で採れたものを地域で食べることにこだわる姿は、亀有での暮らしや歴史の中で生まれた誇りなのでしょう。

▼ 子どもの医療費が無料でおもちゃメーカーが集まる子どもの聖地、亀有エリア



亀有は一世帯あたりの平均人数が5人あるいは6人と東京23区の中でもっとも子どもが多く、大勢の家族と一緒に住んで、よく働き、女性は結婚・出産するという伝統的なライフスタイルが今も脈々と受け継がれる地域なのです。(4)

子どもが多い背景にあるのは、葛飾区に0歳から中学3年生修了までの子どもの医療費を助成する制度が整備されていることから、実質ほとんど無料で医療が受けられることにあり、そう考えれば、亀有エリアに子どもたちがたくさんいることは不思議ではありません。



そんな亀有を舞台にしているからか、こち亀の中では、主人公の両さんが大勢の子どもたちと一緒になってラジコンなどのオモチャで遊んでいるシーンが多く描かれていますが、実は亀有周辺のエリアは誰もが知るおもちゃメーカーが集中している「おもちゃの街」であり、トミカ、プラレール、そして黒ひげ危機一発などのベストセラー商品を生み出したタカラトミーの拠点がここにはあります。(5)

それに亀有周辺では毎年おもちゃアイデアコンクールが開催されますし、テクノプラザかつしかでは毎月第4日曜日にボランティアのトイドクターが動かなくなったオモチャを修理してくれるオモチャ病院も開院していて、まさに亀有周辺のエリアはオモチャの聖地だと言っても過言ではありません。

子どもが大切にされ、遊び場やオモチャが保証されているここ亀有は、子どもたちにとっての楽園のような場所だと言え、そういった意味ではこち亀に描かれている亀有の遊びを許容する文化というのは決して大げさでは無いようです。



ところが世間を見渡してみれば、近年は小学校に入った時点ですでに大学や就職を照準に入れて教育を始めることがごく当たり前になり、朝から晩まで学校や塾で忙しくなった子どもたちに遊ぶ時間というものはほとんどありません。

こち亀は両さんの「子どもが時間なんか気にするんじゃねえ!徹底的に遊べ!」というセリフが印象的ですが、確かに子どもの仕事というのは塾に通うことではなく、思い切り遊ぶことなのではないでしょうか。

日本語の「あそび」という言葉は友達と遊ぶなどの他に、車のハンドルやアクセルなど「意図して作られたゆるみ」に対しても使われ、一見ムダに見えるけれどそれがないと全体をうまく動かせないものに対して私たちは「あそび」という言葉を当てはめてきたのです。(6)



そうした「あそび」という言葉ではなかなか説明しにくい絶妙な感覚は、実際に思い切りあそぶ経験からしか学び取ることができません。そういった意味で、後からいくらでも取り返せる学校の勉強よりも、こうした生きていく上で必要不可欠な感覚を身に付けることが大切だと、秋本さんはマンガの中で亀有というフィルターを通して読者に伝えようとしていたのかもしれません。

2013年に流行語大賞にノミネートされ現在でも盛んに使われる人気予備校講師の「いつやるの?今でしょ!」というキャッチフレーズは遊びを軽視するこの時代を見事に象徴した言葉だと言えます。

しかし、現代社会が何となく生き辛くなったのは、まさに社会からこうした「あそび」が失われたからであって、そういう意味では「いつ遊ぶの?今でしょ!」の方がよっぽど正しいのでしょうし、こうした精神が亀有周辺の温かみや安心感を生み出す源泉となっていることは間違いありません。

▼ 東京理科大学が移転してきたことで亀有周辺が学園都市として生まれ変わる



子どもとオモチャの聖地である亀有を擁する葛飾区は不名誉ながらも、学歴格差ランキングで東京23区中22位、平均年収ランキングでも23区中22位と、統計上は大学教育とは無縁の街だと言われてきました。(8)

そんな中、夏目漱石の『坊っちゃん』にも出てくる東京物理学校を前身とし、私立の理系難関大学でトップクラスとして知られる東京理科大学の葛飾キャンパスが亀有のすぐそばにある金町に開設されたことで、亀有周辺のエリアは大学都市として生まれ変わろうとしているようなのです。

大学が街の経済に与える影響というのは小さくなく、帝京平成大学や明治大学の新キャンパスが開設された中野区では昼間の人口が約3万人も増加したことによって街が賑わいを取り戻したように、東京理科大学が新設されたJR金町駅周辺でも若者の数が急増し、学生の生活費、遊興費、そしてアパートの賃料など大学誘致による亀有周辺エリアへの経済波及効果は年に27億円にも上ると推計されています。

事実、金町銀座商店街の山田会長によれば、大学が移転してくる前と比較して現在は店を訪れるお客さんの数が2割も増加、そして商店街の名前も「金町理科大商店街」に変わったと言い、これは亀有周辺が本格的に大学都市への道を歩み始めていることの証拠でしょう。



大学の存在はその街の価値を底上げする力も兼ね備えており、例えば、イギリスのオックスフォードやケンブリッジといった世界的に有名な大学都市には世界中から優秀な学生が集まり、その結果、人口10万人ほどのこれらの街の文化性が高く評価されイギリスの都市ランキングで大都市ロンドンに次いで常に上位にランクインしているように、これらの街の価値が大学や学生によって担保されていることがよく分かります。

そんな中、東京理科大学の葛飾キャンパスは少し変わった取り組みを行っているようなのです。と言うのも、隣接する「葛飾にいじゅくみらい公園」と一体化したパーク型のキャンパスとして設計された東京理科大学は、大学と公園との間に柵を設置しないことによって大学の敷地を地域住民に開放し、住民と学生とが空間を共有しながら生活を送るというシステムを導入しています。

そのように大学を地域に向けてオープンにすることによって、2015年には高校教師を続けながら東京理科大学で修士課程を学び、ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智先生がこの葛飾キャンパスで特別講演を実施し、その講演会は地域住民にも公開されたのです。

さらに東京理科大学では他にも地域住民に公開する講演会や、地域の小学生を対象としたイベントも実施しており、こうしたアカデミックな機会がこれまで学問とは縁がないと言われてきた亀有エリアに新たな価値観を吹き込むことは容易に想像できるでしょう。

これまで亀有周辺のエリアは華やかな街というイメージからはあまりにもかけ離れていましたが、理想の住宅街の代名詞とも言える東横線沿線ももともとは東京の郊外の街に過ぎませんでした。



東横線沿線が現在のように持てはやされるようになったのは、東京急行電鉄(東急)の事実上の創業者である五島慶太が関東大震災で被災した東京工業大学を大岡山に移転させて、その後も、日本医科大学、慶應義塾大学、そして東京学芸大学といった数多くの大学を東横線沿線に誘致したことによって、東横線沿線に学園都市のイメージを定着させ、沿線は良好な住宅地としての付加価値が高まったということなのです。

そのため、東京理科大学が亀有周辺に移転したことによって、このエリア一帯に文教地区としてのイメージが定着することは十分に考えられますし、ひょっとすると学問とは対照的な遊び文化が発達している亀有だからこそ、興味深い化学反応が起こる可能性は十分に考えられるのではないでしょうか。

よく考えてみれば、技術開発の分野で活躍している人の中には子供の頃にラジコンを分解したり改造して遊んでいた人が多いように、遊びと学問というものは相反するものではなく、むしろ密接に繋がっているはずなのです。

そういった意味では両さんが子どもに向かって「子どもが時間なんか気にするんじゃねえ!徹底的に遊べ!」と叫んでいたのは、あながち間違いではないのかもしれません。

参考書籍

秋本 治「両さんと歩く下町―『こち亀』の扉絵で綴る東京情景」(集英社、2004)P224
秋本 治「両さんと歩く下町―『こち亀』の扉絵で綴る東京情景」(集英社、2004)P22
地域批評シリーズ編集部、昼間たかし「これでいいのか東京都葛飾区 地域批評シリーズ」(マイクロマガジン社、2016)Kindle
小口 達也、東京23区研究所「東京23区ランキング・赤版 各区の意外な横顔編」(ダイヤモンド社、2010)P175
ムック編集部「葛飾本 [雑誌] エイ出版社の街ラブ本」(エイ出版社; 不定期版、2013)Kindle
西川 正「あそびの生まれる場所」(ころから株式会社、2017)p8
東京23区あるある研究所「葛飾区あるある 東京23区あるある」(TOブックス、2017)Kindle


著者:高橋将人 2018/2/23 (執筆当時の情報に基づいています)
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