藤子・F・不二雄が神奈川県川崎市に引っ越して来なければ、『ドラえもん』は生まれていなかった。

品川から10分程のところにある人口約150万人の大都市である神奈川県・川崎市は、工業地帯から漏れるオイルの匂いと立ち飲み屋から漂うアルコール臭が立ち込める危険な街というイメージが先行してしまい、一般的にあまり良い印象は持たれていなかったかもしれません。

ところが、再開発などの効果もあって川崎市は全国の政令指定都市の中で2番目に犯罪が少ない街に豹変し、さらにファミリー層が多く移り住むようになったこともあって、もはや「危険な川崎」というのは死語になりつつあるようです。(1)

実はそんな川崎市は国民的キャラクター『ドラえもん』が生まれた街であり、ドラえもんは特別住民として川崎市に住民登録されています。



『ドラえもん』の作者である藤子・F・不二雄さんと言えば、東京・豊島区にあるトキワ荘に住んでいたというイメージが強いですが、1961年にトキワ荘を退去してからはここ川崎市に住居を構え、『オバケのQ太郎』や『ドラえもん』といったヒット作を次々と生み出してきました。

1970年に連載がスタートし現在もテレビアニメが放送されている『ドラえもん』は今も昔も変わらず、未来の世界を想像する素晴らしさや、のび太がジャイアンやスネ夫にイジメられている姿を通して、社会の仕組みや不条理を子どもたちに教えてくれる哲学書のような作品だと言えるでしょう。

そんな『ドラえもん』は藤子・F・不二雄さんが川崎に引っ越してこなければ生まれていなかった作品なのかもしれず、実際に藤子・F・不二雄さんは川崎をはじめとした長年過ごした街から作品のアイデアを集めてきたと生前述べていました。(2)

▼ 日本人の「もしも◯◯だったら」という未来への希望を叶えてきた東芝と藤子・F・不二雄



マンガに限らずあらゆる創作活動というものは、言い換えれば、すでに存在する既成概念を上手く組み合わせることで、これまでになかった新しいものを生み出す行為だと言えます。

例えば、ドラえもんの場合、ロボット、猫、そして未来という誰もが知っている3つの要素を組み合わせることで、未来の世界の猫型ロボットという、まったく新しい概念が生まれたわけですが、藤子・F・不二雄さんは創作活動について次のように述べています。(3)

「マンガ家がマンガを書こうとする場合、頭の中にしまい込まれている断片の集団を、あれこれいじくりまわして、あれが使えそう、これが使えそう、と組み合わせたり、捨てたり、組み合わせなおしたり・・・。やはり、なるべくおもしろい断片を数多く持っていたほうが勝ちということになります。」

「マンガ家がどこから断片を拾ってくるかというと、生まれてからこのかた現在まで、自分を取り巻く環境から摂取しているわけなんです。(中略)人と話したり、見たり聞いたり。」



藤子・F・不二雄さんがマンガ家人生の大半を過ごした川崎は、数々の日本初や世界初の製品を生み出してきた歴史を持つ東芝が長年拠点を構えてきた場所です。

そしてここ川崎から、洗濯機、冷蔵庫、そして掃除機など昔の日本人がまるで魔法のように感じた製品が次々と生まれたことを考えれば、ドラえもんの四次元ポケットから秘密道具が次々と出てくるというアイデアは、川崎からヒントを得ていたという事なのかもしれません。

ドラえもんの世界では「もし◯◯だったら良いのにな」という希望をもとにストーリーが進むように、ここ川崎市も同様に日本人の未来への希望をもっとも早く具現化してきた街の一つだと言えます。



川崎市の歴史を振り返ると、今から遡ること100年以上前の1912年に工場の誘致を決定したことがすべての始まりでした。

その後、川崎が大日本明治製糖の前身となる横浜製糖の工場を受け入れたことをキッカケに、現在の「東芝」や「味の素」といった名だたる企業が次々と川崎に工場を建設し始めたことで、川崎は大きく発展を遂げることとなったのです。(4)

そして川崎は京浜工業地帯のリーダーとして戦前は軍需産業を支え、戦後は日本の高度経済成長期を牽引、そして公害などを乗り越えて現在はエレクトロニクス、機械、そしてバイオテクノロジーなど200以上にも及ぶ様々な分野の研究開発機関を擁する日本最大の研究開発都市として、新たな時代を築き上げるなど、川崎抜きで日本の未来を考えることは出来ません。(5)



川崎駅前にある東芝未来科学館は、ドラえもんの世界のように未来を身近に感じられる研究開発都市川崎を代表する施設ですが、これは企業PR施設であるとともに、科学技術を通して地元川崎市民との交流を目的に東芝創業85周年を記念して1961年にスタートし、誰でも無料で最新の科学技術を体験することが出来ます。

この東芝未来科学館の歴史は長く、遡ること1927年、街の明かりとして電灯がようやく普及し始めた昭和のはじめに、電灯会社や販売店に照明や電気器具の配線を教えるマツダ照明学校と呼ばれる施設が開設されたのですが、これが後の東芝未来科学館となったのです。



こうした最新技術を地元川崎エリアに広げていったマツダ照明学校の考え方をしっかり受け継いだ東芝未来科学館は、地元川崎の子どもたちの学びの場としても機能しているようで、例えば、東芝の従業員の指導を受けながら、子ども自身が自由な発想で実験などの創作活動を行なう「川崎さいわい少年少女発明クラブ」の活動はここ東芝未来科学館を会場に行われています。

このように最新技術を持っていながら決してサイエンスだけに偏るのではなく、地元川崎の人々との繋がりを重視して、地元の子どもたちが科学的な関心や興味を追求できる環境が整えられていることを考慮すれば、川崎が最先端科学の集積地となれたのはごく自然な流れだったのでしょう。

また、川崎が日本最大の研究開発都市として新たな時代を築き始めているという事実は、こうした早い段階での地元の子どもたちへの投資だけでなく、川崎がアートの街であることも影響しているのかもしれません。

▼ 岡本太郎が生まれた川崎「最先端技術とアートを足して2で割ると未来が生まれる」



川崎は芸術家にゆかりのある街であり、例えば、世界的芸術家で大阪万博の太陽の塔でも有名な岡本太郎は川崎生まれですし、他にも藤子・F・不二雄を始めとした数多くのクリエイターが大勢住んでいます。

そのため川崎には「川崎市岡本太郎美術館」や「藤子・F・不二雄ミュージアム」といったアートに関連する施設が多く、さらに一年を通してアジア音楽からジャズまで、多種多様な音楽祭が開かれるなど、川崎はアートが日常に溶け込んでいる街なのですが、アートがビジネスに与える影響力は小さくありません。



例えば、これまでの企業の歴史を見てみると、アートの視点を持ったウォルトと典型的なビジネスマンの兄ロイが創業したウォルト・ディズニーや、日本においても本田宗一郎と藤沢武夫が創ったホンダなど、アートで引っ張るトップとビジネス的視点で支えるパートナーという構造は様々な場面で見かけます。(6)

さらにアメリカの自動車会社フォードを始めとした海外の大企業では、幹部候補をビジネススクールに派遣する代わりに、デザインスクールでアートを学ばせる方向へシフトし始めていることを考慮しても、世界中の企業がアートとビジネスの相性の良さに気づき始めているということなのでしょう。

川崎生まれの世界的芸術家である岡本太郎は生前、アートは人間の生命にとって食べ物と同じくらい欠くことのできない人間の本質そのものだと述べていましたが、確かにアートというものは、無味乾燥になりがちなビジネスや科学技術などの分野に人間味を与えるものだと言えます。(7)

実は人間味の重要性に関して、藤子・F・不二雄も似たようなことを生前に述べています。

川崎に転居してきて本格的なマンガ家として活動する前の藤子・F・不二雄は、手塚治虫の『メトロポリス』という本を愛読しており、その本にかかれていた「人間を描く」ことの重要性を肝に銘じたとして次のように述べていました。(8)

「淡々とした日常を描きながらも、共感をよせる人物がいて、妙に心を惹きつけてはなさない映画もある。ひょっとしたら、これが人間が描けているかどうかではないか、と思いました。」

「どうしたらいいのか。本当のところ、僕にはわからないのです。けれども、少しずつ少しずつ『こういう人間がいるかもしれない』と、体温を感じさせるような人物を創っていきたい。そう思いながらマンガを書いているのです。」



藤子・F・不二雄がここまで人間を描くことを重要視している理由は、ドラえもんの世界のSF要素をより際立たせるためだと言います。と言うのも、SF世界とは対極にある人間味あふれる普段の日常生活の中で、ドラえもんが四次元ポケットから秘密道具を出すからこそ、現実と夢との間にギャップが生まれ、それが面白さとなるからなのだそうです。(9)

そういった意味において、SF作品にもっとも大切な要素は、その対極にある人間味ある日常生活ということですが、それは作品の中だけではなく現実世界でも言えることで、研究開発都市川崎から未来をひしひしと感じとることが出来るのは、ここ川崎に人間味がしっかりと残っているからなのでしょう。

最先端の科学技術が川崎に集約する一方で、アートが日常に溶け込むような人間味のある街だからこそ、川崎の未来的な雰囲気がより強調されると言えるのかもしれません。



藤子・F・不二雄がSFマンガ家になったのは、小学校のときから運動も勉強も全くできず、自分にはとりえが無いと感じて「もし◯◯だったら」と空想することが多かったからなのだそうですが、それは悪いイメージがすっかり浸透していた川崎が変化しようとしていた姿と重なる部分があるように感じます。

ドラえもんの世界観が一貫して未来を想像することに徹しているように、川崎の街もこれまでの時代ごとに日本人が希望する未来を具現化してきた歴史を持っており、その流れは子どもたちの科学的好奇心を満たす川崎でこの先も続いていくのでしょう。

だって、いつの時代でも未来というのもは「もしも◯◯だったら」という一言から全てが始まるのですから。

【参考書籍】1.地域批評シリーズ編集部、岡島慎二『これでいいのか神奈川県川崎市 地域批評シリーズ』(マイクロマガジン社、2015)Kindle
2.ドラえもんルーム『藤子・F・不二雄の発想術』(小学館、2014)P103
3.ドラえもんルーム『藤子・F・不二雄の発想術』(小学館、2014)P103
4.藤沢 久美『なぜ、川崎モデルは成功したのか?』(実業之日本社、2014)Kindle
5.藤沢 久美『なぜ、川崎モデルは成功したのか?』(実業之日本社、2014)Kindle
6.山口 周『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?~経営における「アート」と「サイエンス」~』(光文社、2017)Kindle
7.岡本 太郎『今日の芸術~時代を創造するものは誰か~』(光文社、1999)Kindle
8.ドラえもんルーム『藤子・F・不二雄の発想術』(小学館、2014)P112
9.ドラえもんルーム『藤子・F・不二雄の発想術』(小学館、2014)P120


著者:高橋将人 2018/4/20 (執筆当時の情報に基づいています)
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