“なんにもないまち”練馬区小竹向原にあったのは、まちの人たちが集まる保育園。

東京メトロ(有楽町線・副都心線)と西武有楽町線の乗り入れる小竹向原の駅を降り、階段を上がって外に出ると目の前にはマンション、そしてその先には住宅街が広がっています。
練馬区と板橋区のちょうど境目に位置し、電車でおよそ5分で池袋にアクセスできる立地にありながら繁華街がなく、「何もないところ」という印象を持たれてしまう小竹向原。テレビドラマ「孤独のグルメ」では、住宅だらけで店がない小竹向原の街並みに、「ここの住民はどうやって暮らしているのか」と心配してしまうシーンもありました。



とはいえ小竹向原の住宅街の中身を見てみると、長く小竹向原で暮らしてきた年配者、新興住宅地で暮らす親子、そして日本大学藝術学部や武蔵野音楽大学、武蔵大学に通う一人暮らしの学生といった、閑静な住宅街と一括りにするにはもったいないほど、小竹向原の住民属性はカラフルです。

そしてここ数年、この小竹向原の多様な人たちが関われるようにと、一つの場所を提供しているのが、駅から少し歩いたところにある保育園です。



2011年に開園した「まちの保育園」には「まちのパーラー」というカフェが併設されており、朝はパンを買いに来るビジネスマンや学生で賑わい、保育時間内に訪れる人は保育園児に話しかけられることもよくあるのだそうです。

子どもを守るために保育所の門を閉ざすことは今や当たり前で、「子どもへの声かけを見つけたら通報の対象になる」いう条例もできています。

しかし、小竹向原の「まちの保育園」のように、場を開放することで、地域の人々との関わり合いや信頼関係が生まれて守られる安全があるのも事実です。

例えば、すぐ近くにドヤ街のある横浜市寿地区の「寿福祉センター保育所」も正門は開放しており、それは、正門を閉じることで図られる安全よりも、地域の人々の手によって守られる安全を大切にしていきたいという考えに基づいています。

▼ 「家と職場の往復」「家と保育園の往復」では、地域のおじちゃん・おばちゃんは育たない。



小竹向原における「まちの保育園」と同様に、学童で人と人が関係をつくることに取り組み、現在埼玉大学などで非常勤講師も務めている西川正さんは、“家と職場の往復”だけではどの街に住んでいようが同じだといいます。

そして、家族以外の知り合いができて初めて人は「まちの人としての自分」を発見する、草刈りでもなんでも地域の作業を重ねていくうちに「地域のおじちゃん・おばちゃん」として人は育つのだとして、その実感を次のように語りました。

「私が小さいときから知っている子も、いま中学生や高校生になっている。まちで生意気に友達と連れ立って歩いてても、目があうと、『おっ』と反応してくれる。一瞬、小さな頃の表情に戻る。それがうれしい。」



考えてみると、まだまだ子どもが多かった80〜90年代は、地域の大人と子どもが顔見知りになることは多かったのではないでしょうか。

ところが、大人になった私たちは、少子化で子どもが減っているというのに、地域に住んでいる子どものことがどんどんわからなくなっています。

子どもの側から見ても、核家族の多いところでは、“家と保育園の往復”を繰り返している園児が大半ですから、幼い子どもたちが日常的に会っている人は、保育園の人と孤独に育児をしているお母さんという、同じような年齢層の女性に偏っていまいがちです。



「子どもたちがその社会に入っていって、面白いと思える社会なら、子どもたちもよく育つんじゃないか」これは小竹向原の「まちの保育園」を設立した松本理寿輝さんの言葉ですが、実際、3歳までは母親が自分で子どもを面倒をみるべきとする「3歳児神話」は日本で長く言われてきたわりに、あまり根拠がないのだといいます。

例えば、チンパンジーと人類を比べてみると、自分で子育てをするチンパンジーの母親は出産してから5年間発情することはありません。

それに対して人類はというと、人の子どもが一人前になるまでにチンパンジーよりも何年も多くかかるというのに毎年子どもが産めるようになっており、それは共同で子育てするように進化してきたからだと考えられるのだそうです。

小竹向原のある練馬区・板橋区を含め、東京23区では外出もままならず毎日赤ちゃんの世話に追われて孤立してしまっている母親は多く、2005年からの10年間に自殺で亡くなった妊産婦が60人以上に上り、産後鬱という症状が広く知られるようになりました。

周囲の人とともに子育てすることが人のDNAに刻まれていると思えば、孤独な育児という無理のある状況によって精神のバランスを崩してしまう母親がいるのも不思議ではありません。

▼ 子どもへの投資リターンが最も大きいのは0歳〜6歳の時期。少子化は子どものボキャブラリーを減らしている。



また、私たちは高等教育に対して就学前教育と比べると平均して3倍も多い予算をつぎ込んでいると言われています。しかしながら、もっとも投資リターンが大きいのは就学前、つまり0歳〜6歳の時期で、その後は急速に低下するといいます。

就学前であれば投資した1ドルあたり12ドルを超えるリターンがあるとも試算されており、こうした研究を先駆けたノーベル経済学賞受賞者のJ・ヘックマンによると、幼い子どもの環境を豊かにすることは、その子の学力のみならず、やる気や忍耐力、自信、そして協調性といった面にも影響を与えるということです。

つまり、早期教育というならば、幼稚園受験や英語の習得に集中するより、小竹向原の子ども達が多様な人と関わるように、この時期だからこそ急速に伸ばすことができる情動的・社会的な部分の成長を、もっともっと重視するべきだといえるでしょう。



小竹向原に「アトリエ春風舎」を構え、劇団「青年団」を主宰している劇作家の平田オリザさんは、近頃の子どもは、一言「ケーキ!」といえばケーキが出て来るような環境に育つのが普通になり、子どもが単語でしか喋らなくなっているとして、次のように述べていました。

「少子化が、子供のボキャブラリーを少なくしていることは間違いない。家庭で、教室で、会社で、私たちは、どんどんと小さなサークルに囲い込まれ、そのなかでしか通じない記号のような言葉のみを使って生きるように習慣づけられている。」

「そもそも子どもは、幼児期には単語でしか喋らない。それが成長するにつれて、他者と出会い、単語だけでは通じないという経験を繰り返し、『文』というものを手に入れていく。この言語習得の過程が崩れているのではないか。」



小竹向原の、静かだけれどいろいろな人が暮らす街の中に人間ドラマが潜んでいるように、「静かな演劇」といわれるオリザさんの演劇には、人々が日常的にしているのと同じ話し方やしぐさ、行動が徹底して表現されています。

オリザさんの演劇のクラスでよくやる短い芝居で、列車のボックス席で2人の人が向かいあって会話をしているところに知らない人がやって来て、「ここ、よろしいですか?」と声をかけられるところから、「旅行ですか?」と世間話が始まるというものがあるのだそうです。

高校生がこのスキットを演じてみると初対面のはずなのに、妙に馴れ馴れしくなってしまったり、逆に質問が尋問のようになってしまったり…そこで、オリザさんが「どうして、これが難しいのかな?」と聞いてみると高校生からは、「私たちは、初めて会った人と話したことがないから」と返って来るのだといいます。

▼ 都心では50%しか保育園に受からない。赤ちゃんと過ごす貴重な時間が、保育所探しに消えていく。



「親が子どもをきちんと見ていてください」といわれるようなキッズ施設が増え、手のかかる子どもを持つ親などは他の親子に迷惑をかけないようにと自ら孤立するばかりです。

けれど、小竹向原の「まちのパーラー」のような子どものいる場では、人々は社会的な装いを脱いだ“ノーメイク”状態で関わりあうことができるのだそうです。

そういう空間では、“孤育て”をしている都市部の親たちこそ、子どもを抱えた弱い立場として、相談したり助けられたりすることで、人と関わる経験を積むことができるともいえるでしょう。全然思い通りにいかない子育てに戦場のような毎日を送り。自分でなんとかなる生活を送っていた頃ではきっとわからなかった、受け入れられる場・差し伸べられる手の大切さを教えてくれます。

前出の西川正さんの言葉を借りれば、「一番つらいときに、ともに悩んでくれる人にもし出会えたなら、それは、逆にとても豊かな人生を歩んでいけるスタートにもなる」というのは、きっと間違いありません。



一方で、都心では保育所を増やしても増やしても足りないという状況もあり、16年度の数字を見ると、渋谷区や目黒区、台東区、そして文京区など東京の多くの区で申込者数全体のおよそ半数しか入園できなかったと言います。

「少子化が進んでいるというのに、なぜ保育所に入れない子どもが増えるんだろう?」と思う人は少なくないかもしれません。

小竹向原のある練馬区で、ある私立認可保育所の行った調査の結果、その保育所に子どもを預けている親の7割が夫婦そろって非正規雇用であったそうです。

働く母親が税金の負担の少ない範囲でパート勤めをする「家計補助者」だったのは今は昔、現代では多くの母親がその収入なくしては生活が成り立たないような「生計維持者」に移行していますし、また、未婚のまま出産して家計を担う女性も増えているという現実がその背景にあります。

土地も物件も保育士も足りない今、保護者は「預かってくれればどこでもいい」と言わざるを得なくなり、保育所も15%以上定員を上乗せして児童を引き受けるようになってしまいました。

「まちの保育園」が小竹向原から、子どもを中心に人々が関わっていく文化を浸透させようと励んでいるのと裏腹に、保護者と保育者が「預けるだけ」「預かるだけ」でお互いに精一杯な多くの保育所では、地域どころか、親と保育者の対話さえままならないようになってきているのだそうです。

▼ 東京の出生率が上がらなければ日本は潰れる。都市部では、地域で一緒に暮らす人たちが実家がわり。

小竹向原の「まちの保育園」では、準備などに時間を取られてしまう行事は減らし、その分、対話のために時間を使うことで、保育側の保育観・子ども観を保護者にしっかりと共有しているのだそうです。
ジャーナリストの猪熊弘子さんの著書「『子育て』という政治 少子化なのになぜ待機児童が生まれるのか?」の中では、4人の子を育てる母として待機児童問題を抱えながらフリーランスで働いてきた猪熊さんの実体験も語られています。猪熊さんが、一人目の子どもを保育園の0歳児クラスに入れる際、子どもを17時まで預けたいと言ったところ、園長先生に「17時まで?」と驚かれたことが、今思うと決して悪いことではなかったとして、次のように述べていました。

「放っておいたら夜中まで、子どもを誰かに次々に預けてでも働いてしまっていたにちがいない私にとって、子どもにとって『17 時まで』という時間が長いものだということ、それが子どもにとっていかに大変なことなのかを教えてもらった。子どもが生まれる前は、子どもを預ければ何時まででも働けると思っている人がほとんどだろう。」

47都道府県で出生率が一番低いまま地方から若者を吸い取る東京は、「日本の未来を潰すブラックホールのようだ」と言われています。

けれど、小竹向原の「まちの保育園」のように、地域の人が立ち寄り、顔見知りになる空間を中心として、東京の地域コミュニティがだんだんと、お節介で世話焼きな“実家の母親”のような支えになっていくことができるかもしれません。

「女性の活躍」が盛んに叫ばれていますが、子どもを育てようと意識しなければいけないのは女性というよりはむしろ、小竹向原の保育園に併設されたカフェに訪れる、子ども好きな学生だとか、子育てを終えた先輩たちのように、まちの子どもを育てる地域住民なのでしょう。

どんな社会にも、人々を「みんな」に向ける装置があるといいます。

その装置がアメリカであれば「(市民)宗教」、イギリスであれば「階級」、中国であれば「(血縁)ネットワーク」となりますが、日本では「近接性」です。つまり、 ずっと一緒にいたという空間的な事実がものをいうのが日本の社会なのです。

地域の知らない人と関わるというとハードルが高く、表面上うまくやっていきたいと思っても、そういう「うわべだけの付き合い」には、人間関係に線引きしているようなネガティブな意味合いが込められるようになってしまいました。

平田オリザさんは、そういったマイナスイメージに囚われてしまう人たちに向けて、「心からわかりあえないんだよ、すぐには」「心からわかりあえないんだよ、初めからは」と伝えるようにしているのだそうです。

小竹向原の「まちの保育園」のように場を共にすることを重ねていけば、10年20年かけて少しずつ育つ“空間への愛”みたいなものによって、大きな家族のような“私たちのまち”がつくりだされていくのかもしれません。


著者:関希実子 2018/5/23 (執筆当時の情報に基づいています)
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