超長期的な目線で考える京都の花街「時代の流れの中でいつまでも変わらないものを探し続ける」

清水寺や金閣寺、二条城といった歴史的な建物が立ち並ぶ京都の街は、新しいものを取り入れる時に「変えるもの」と「変えないもの」をきちんと選択することで、独自の文化をアップデートしてきました。

琵琶湖から水を引き入れて発電を行い、日本で初めて路面電車を走らせ、多くのノーベル賞学者を排出し、有名なベンチャー企業から京セラや任天堂といった世界的大企業までを一挙に内包するのが京都の町です。



京都の国際観光大使でもある写真家の蜷川実花さんは、京都花街の芸舞妓をテーマにした写真展を2018年の4月から5月にかけて開催していますが、京都の花街には「舞」や「をどり」といった技芸の他に、お茶やお華といった伝統文化、日常的な言葉遣いや所作、しきたりといった京都の美学のすべてが凝縮されています。

『京都花街の経済学』という本を書いた西尾久美子さんによれば、祇園東、祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒の5つの花街は1つ1つの街が独自の雰囲気を醸し出していて、地域の人や馴染み客は「伝統と格式の祇園町」「粋な先斗町」「気楽に楽しめる宮川町」「しっとり落ち着く上七軒」といったイメージをそれぞれの街に抱いているようです。(1)



東京の六花街として知られた柳橋、新橋、赤坂、浅草、神楽坂、向島はいずれも昭和40年以降花街として急速に衰退していて、日本全体でも各地の花街はかつての隆盛を失っている一方で、京都には今でも100軒以上のお茶屋が残っており、京都の花街だけが唯一今でも一定の規模を維持し続けているのです。

▼ 京都花街のおもてなしは緊密な人と人との関係の中に作られる



花街で行われる宴会は、会場となるお座敷を持つお茶屋のお母さんが置屋から芸舞妓を、仕出し屋から料理を調達することで、来店するお客さん1組1組に合わせたおもてなしがプロデュースされています。

芸妓さんや舞妓さんの所属する置屋では女将さんのことをお母さん、芸舞妓の先輩をお姐さんと呼ぶ1つ屋根の下で共同生活が行われていて、こうした1つの大きな疑似家族の中で一人前の舞妓になるための修行が毎日行われるのです。



舞妓は踊りの会で失敗をすると、花街中のすべてのお茶屋さんのところに謝りに行くことが慣例となっているそうですが、これは置屋のお母さんや姐さんだけでなく、花街の行事に参加するたくさんの人たちに見守られて舞妓の育成が行われているためで、花街の緊密な人と人との関係性は次のように語られます。

「花街は運命共同体のようなものやさかい、ここでは、お互いに助け合うこと、心が通いあう関係であることが大切なんどす」(2)



京言葉では、何か頼まれごとを断るときには「それを引き受けるのは難しいです」とはっきり断る代わりに「ほな考えときまひょ」と言うことが多いそうですが、この言葉はほぼ間違いなくNOを示します。

これは狭いコミュニティの中で遺恨を残さずに末長く発展していくための工夫で、もともと多くの日本人によって共有されていたこの感覚は今の日本の都市部ではほとんど残っていませんが、京都の花街には今でもそれがはっきりと残っているのです。



こういった人間関係の濃い花街に中学校を卒業してすぐに飛び込んでいく少女たちは、1年間の住み込み生活を通じて、先輩の目配せやちょっとした仕草からその意図を理解して行動できるようになっていきます。

普段から生活を共にすることが晴れて舞妓となってからお客さんに接客を行う時にも生かされていて、宴会の場ではお客の心情を機敏に察知して連携プレーでそれに応えるのです。



花街のお座敷で行われるおもてなしは一見すると伝統や文化という言葉で片付けられてしまいがちですが、お客の期待に応えるために花街に携わる一人ひとりが努力し続けているからこそ、京都の花街は今も多くの人を惹きつけているのだと感じられます。

▼ 350年続く京都のお茶屋「長く続けていくことを考えると“一見さんお断り”が一番合理的」



京都花街のお茶屋さんと言えば「一見さんお断り」のルールでも有名で、普通の人からすると敷居が高く、閉鎖的で排他的な印象を受けがちなこの決まりは、顧客満足を極限まで高めるために最も適している方法として昔からずっと続いてきました。

これは初めてのお客の場合、どんなサービスが好みなのか分からないために顧客に100%満足してもらうことが保証できないということが関係しています。

反対に何回も来店している馴染み客であれば、料理の好き嫌いから芸舞妓さんの好みまで完璧に把握することができるので、わざわざ細かく要望を聞かなくても常にお客の期待に応えることができるのです。



お茶屋での支払い方法は、クレジットカード会社の存在しない江戸時代から1ヶ月~2ヶ月、長い時では半年先に請求を行うという長期の掛け払いで行われてきました。

なのでお茶屋へは財布を持って行く必要がなく、ステータスの象徴であるブラックカードもここでは何の役にも立たず、これはお茶屋で遊べるということ自体が、その人がちゃんと信用できる人物であるという信頼の証でもあるのです。



京都のお茶屋が今日まで続いてこれた理由は、市場規模は小さくても長期間コンスタントに取引が継続する顧客の要求を徹底的に満たしてゆく方針を取ったことにあります。

これがもし一見客を受け入れていたら、短期的には大きく業績を拡大することができても景気の変動や顧客の嗜好の変化に対応できずに衰退していたかもしれません。

株式会社では1年間ごとに毎年決算が行われるためどうしても短期的に利益を上げていくことが求めれられますが、京都の花街には目先の利益よりも長期的な存続を優先する目線が根付いていたからこそ今日まで続いてくることができたのです。

鴨長明が鴨川を見て「ゆく川の流れは絶えずして」と詠み、平家物語では「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」と語られているのを見ると、京都は移り行く時の流れに古くからずっと向き合い続けてきた街なのだと言えるでしょう。

時代が変わっても移り変わらないものは何なのかということを教えてくれるのが京都の街であり、多くの日本人や世界中からの観光客がこぞって京都に足を運ぶのは、心の何処かでいつもその答えを探しているからなのかもしれません。


引用文献
1. 西尾久美子『京都花街の経営学』(東洋経済新報社、2007年) P24
2.西尾久美子『おもてなしの仕組み ー京都花街に学ぶマネジメント』(中央公論新社、2014年)P107

参考書籍
▪︎高橋秀彰『「一見さんお断り」の勝ち残り経営 ~京都花街お茶屋を350年繁栄させてきた手法に学ぶ~』(ぱる出版、2017年)
▪︎西尾久美子『京都花街の経営学』(東洋経済新報社、2007年)
▪︎西尾久美子『おもてなしの仕組み ー京都花街に学ぶマネジメント』(中央公論新社、2014年)
▪︎杉田博明『京の花街 祇園(新撰・京の魅力)』(淡交社、2003年)
▪︎浜村 淳『京都人も知らない京都のいい話』(PHP研究所、2016年)
▪︎養老孟司『京都の壁』(PHP研究所、2017年)


著者:天野盛介 2018/6/27 (執筆当時の情報に基づいています)
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