街中をストリートミュージシャンに開放して、約6万人の観客を集める東京都立川市

新宿から中央線特快に乗って25分くらいのところにある立川では毎年5月になると「立川いったい音楽まつり」というイベントが開かれ、当日は街の至るところで路上ライブが行われます。

このイベントは立川の市民団体が主体となって行っており、立川市内の広場や商業施設に協力を得て、一斉に街中で路上ライブを行うことで街いったい(一帯)に音楽を溢れさせ、出演者と観客がいったい(一体)となることを目的にこのイベントは始まりました。



イベント当日は立川駅周辺の約30か所が路上ライブ会場として開放されて、約330組のアーティストによって演奏が行われ、約6万人もの観客が集まるのだそうです。

このように立川で音楽まつりが始まったのは、もともと立川に路上ライブなどの音楽文化が根付いていたことにあり、その背景には、戦後、立川に設置された立川基地という米軍基地の存在がありました。

▼ 立川の音楽文化は米軍基地から始まった「日本の音楽文化と米軍基地は切っても切り離せない関係にある」



戦中の日本ではジャズは敵性娯楽として禁止されていましたが、敗戦後に占領軍兵士のための慰安施設として音楽や踊りを楽しむダンスホールが解禁され、仕事、食べ物、そして音楽を求めて音楽好きな日本人が米軍基地に通いつめ演奏したと言われています。(1)

この時に学んだジャズの要素が日本の音楽に大きな影響を与え、それが今日のJ-POPに発展したとも言われているのですから、日本の音楽と米軍基地は切っても切り離せない密接な関係にあるようなのです。



こうした背景があって立川には音楽文化が根付いたのですが、この音楽文化を支えたのが立川の若者でした。

立川は交通の要所であることから多くのサラリーマンで賑わう街ですが、実は都内屈指の学生の街でもあるのです。

立川には国立音楽大学と自治大学があり、さらに交通の便の良さから近隣都市にある一橋大学、東京外国語大学、東京農工大学、津田塾大学、そして武蔵野美術大学などから大勢の大学生が足を運びます。(2)



そうして多くの若者が集まる立川にはストリートミュージシャンが増えたものの、次第に路上演奏に対する規制が厳しくなり路上ライブは立川から失われてしまったのだそうです。

もちろん「通行の妨げになる」とか「うるさい」といった指摘があることは事実ですが、過度な規制は街の価値を大きく引き下げてしまうものなのかもしれません。

例えば、ニューヨークなどの世界的な観光都市では地下鉄や路上など、街の至るところでパフォーマンスが行われているように、恐らく、街の魅力というものは路上パフォーマンスによって左右されるものなのでしょう。

▼ 街に音楽が流れると人々は足を止め、そこに会話が生まれる「人と人との間にある壁を溶かしてくれるのは音楽だけ」



実際に立川でも、音楽まつりの当日には路上ライブに合わせて露天や各種イベントなどが同時に行われ、街一体が大きく賑わっただけでなく、人々が足を止め、会話が生まれるなど街に一体感が生まれていました。

音楽によって立川に一体感が生まれたのは、恐らく、音楽が人と人との間にある壁を溶かす力を持っているからなのかもしれません。

私たち日本人は普段から無意識のうちに他者との間に壁を作りながら生活しており、その根本にあるのは日本人が常に持っている「ウチとソト」という意識でしょう。

それは自分が所属する組織の中では周りに過剰に気を遣う一方で、組織から一歩でも出てしまえば周囲にはほとんど目もくれないという日本人特有の意識です。



実際にどんなに疲れていて気が乗らなくても会社内の付き合いには参加する一方で、会社から出てしまえば、道端で人とぶつかったり電車の中で靴を踏んでしまっても謝ることはほとんどないでしょう。

このような日本特有の社会構造は「ウチとソトとの落差が大きな社会」と呼ぶのだそうで、普段ウチで周囲に過剰に気を遣いすぎるがゆえに、その反動でソトではまるで他人に壁を作り、他人を避けるかのように振る舞ってしまうのだそうです。(3)

そんな中、立川で行われていた音楽イベントによって他者に対して壁を作っていた人々が足を止め、小さな会話が生まれたように、音楽にはこうした壁を溶かす役割があるに違いありません。



このように立川では音楽が都市型コミュニティを形成する役割を担っていますが、明治期には音楽は近代国家を樹立するためのツールとしても使われていたようです。

例えば、同じ歩調で行進して合図によって同じ動きができる近代的軍隊を育成するために軍には軍楽隊があり、あるいは学校教育においても、一つの「国民」という意識をもった集団をつくるために合唱の授業が設けられたと言われています。(4)

つまり、バラバラになってしまいがちな人々を一つに繋げる力を音楽は持っていると考えることができるのではないでしょうか。



実際に脳科学者の茂木健一郎氏は、常にリズムを取りながら活動している脳の活動は音楽と類似していると言い、そのリズムが人間の思考や会話などの社会活動を円滑にすると言います。(5)

確かに、話すときの間合いのとり方、話題を変える時、あるいは話を打ち切るときなど、人々のコミュニケーションには常にリズムが介在するもので、そういった意味では立川の音楽まつりで会話が生まれたのも当然だったのかもしれません。

▼ CD市場が縮小する中、コンサートの市場規模は3倍に「音楽は一人で楽しむ時代から、みんなで楽しむ時代へ」



ポータブル音楽プレーヤーのウォークマンが爆発的な人気を博したのは、都市空間に流れるノイズを削除して、そこに自分だけの音楽を流すという「都市空間の再編成」といった概念によるものだと言われています。(6)

つまりウォークマンが人気だったのは、好きな音楽を聞ける喜びによるものではなく、自分だけの都市空間を演出できるところにあったという訳なのです。

しかし、お気に入りの音楽を外に持ち出して自分だけの空間を作り出すことが陳腐化した今、都市コミュニティのあり方が考え直されるようになり、人々の関心は音楽を自分一人で楽しむのではなく、立川の音楽まつりのように他者と音楽空間を共有する方向へと進んでいます。



実際に日本のCD市場はピーク時の3分の1にまで縮小し、世界の5大レコード会社は3つへと集約、さらにアメリカの音楽家の3割が失業の危険にさらされている一方で、コンサート市場はどんどん拡大しているようです。(7)

事実、壊滅的に縮小しているCD市場や音楽配信とは対照的に、コンサート市場は10年間で入場者数が2.4倍、市場規模も3倍になっていることが分かっています。

また、冒頭で立川の路上パフォーマンスが禁止になったのは苦情対応のためと述べたものの、実際に立川市民に路上ライブに関するアンケートを実施したところ、市民の8割が路上ライブに好意的に受け止めているのだそうです。

それだけ立川市民が路上ライブに好意的な反応を示したのは、路上パフォーマンスが街の雰囲気を大きく左右することを直感的に理解しているからなのでしょう。

立川の音楽まつりは回を重ねるごとに協力者や観客の数が増え続け、今や立川を代表するイベントとして定着していると言います。

つまり「街いったい(一帯)に音楽を溢れさせ、出演者と観客がいったい(一体)になる」という立川の目的が達成されているということなのでしょう。


【参考書籍】(1)輪島 裕介『踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽』(NHK出版、2015)Kindle (2)岡島慎二、鈴木ユータ『地域批評シリーズ18 これでいいのか東京都立川市』(マイクロマガジン社、2017)Kindle (3)広井良典『コミュニティを問いなおす ――つながり・都市・日本社会の未来』(筑摩書房、2009)Kindle (4)輪島 裕介『踊る昭和歌謡 リズムからみる大衆音楽』(NHK出版、2015)Kindle (5)茂木健一郎『すべては音楽から生まれる 脳とシューベルト』(PHP研究所、2007)Kindle (6)南後由和『ひとり空間の都市論』(筑摩書房、2018)Kindle (7)清水 量介、森川 潤『誰が音楽を殺したか? 週刊ダイヤモンド 特集BOOKS』(ダイヤモンド社; 第1版、2013)Kindle


著者:高橋将人 2018/7/9 (執筆当時の情報に基づいています)
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