研究学園都市、茨城県つくば市がパンの街になったワケ
秋葉原からつくばエクスプレスに乗って45分ほどのつくば市は、筑波大学、JAXA、産業技術総合研究所を始めとした32もの国の研究・教育機関が集まる日本屈指の研究学園都市として知られています。
ハイレベルな研究と教育を行うための拠点づくりを目的とした国家プロジェクトとして開発が進んだつくば市は、今や2万人もの研究者が暮らす「知」の街になりました。
実はそんなつくば市は「パンの街」としての顔も持ち合わせており、実際にグーグルマップで「つくば パン屋」と検索すると、30軒以上のパン屋がヒットします。
つくば市がパンの街の顔を持つようになった背景には、つくば市民の憩いの公園「洞峰公園(どうほうこうえん)」にありました。
散歩、ランニング、そしてピクニックなど様々な用途でつくば市民が利用する洞峰公園の周辺には、数多くの研究所が軒を連ねており、多くの外国人研究者が日夜研究を行っています。
世界各国から集まる研究者の中には、フランス人やドイツ人などパンが美味しい国出身の方も少なくなく、そうした外国人研究者の舌を満足させるために洞峰公園周辺を中心につくば市のパン屋は発展してきました。
一般的に、日本で「パンの街」として圧倒的な地位を築いている神戸のような街は大きな港があり、外国人が街に頻繁に出入りし新しい文化が定着する過程でパン食の文化が開花するケースが多いのですが、つくば市の場合、市内の研究所がパン文化の起点となったのです。
こうしてパン屋が増えることによって、街に変化が起こるようになります。
パンに限らず、食べ物は「作る人」「売る人」「買う人」「食べる人」が介在する大きな文化を形成するもので、実際に開国・開港をキッカケにパン文化が持ち込まれるようになった時代には、日本で新たな産業が生まれました。
例えば、パン作りには必ず牛乳が必要であり、江戸時代の末期には牧場が作られました。さらに、農業分野でもブドウやイチゴなどのフルーツ栽培が始まり、オイルサーディンの缶詰が作られるようになるなど、パン食文化を支える食産業が大きく発展することになったのです。
つまり、パン文化の発展とともにそれを支える産業が発達するわけですが、つくば市でも同じようなことが起き始めました。
当初、外国人研究者の舌を満足させる過程でつくば市のパン屋は発展してきたものの、パンがつくば市民の生活に浸透する中で、「地元で育てた小麦で焼いたパンを食べたい」という声が上がってくるようになったのです。
小麦粉にはタンパク質の含有量が多い順に、食パン用の強力粉、ラーメン用の準強力粉、うどん用の中力粉、そして天ぷらやケーキ用の薄力粉に分けられるのですが、日本で作られてきた小麦の多くはうどん向けの小麦でした。
なぜならパン用の小麦は北海道などの涼しい気候でなければ育たず、日本にはうどん用の中力粉に向いた品種の栽培に適した産地が多かったことから、国産のパン用小麦はあまり多く栽培できなかったのです。
そこで立ち上がったのが、つくば市に拠点を置く「農研機構」です。
農研機構が開発したパン用の小麦品種は、これまでのうどん用小麦とは異なり、日本のような高温多湿な気候でも十分な収穫量が確保できることから農家が栽培を検討しやすくなりました。
なおかつ、含まれるタンパク質の量と質が大きく異なることから、日本人好みのモチモチとした食感のパンを作ることができ、つくば市内では老舗パン屋「ピーターパン」などのパン屋でこの小麦を使ったパンが販売されています。
この小麦は、「パン用の国産小麦」というパン屋にとっての夢が四方に広がるようにとの願いを込めて「ユメシホウ」と名づけられ、開発されたつくば市はもちろんのこと、千葉県や神奈川県など日本各地で栽培が広がっているそうです。
こうして最初は外国人研究者を喜ばせるために広がっていったつくば市のパン屋は、今や地元の小麦を使ってクオリティの高いパンを作るパンの街として顔を持つようになったのです。
日本のパンの歴史は常に、西洋から学び、そこに日本独自の工夫を加え、さらに西洋から学び、日本で改良を加えるというサイクルを繰り返すことで、約150年かけて現在の高い水準にまで達しました。
日本は今や世界的に高い水準のパンを食べられる「パンが美味しい国」として本場の外国人にも認められるようになり、つくば市はその一端を担っていると言っても過言ではありません。
つくば市がパンの街として評価されるようになったのは、つくば市民の市民性も影響しているのかもしれません。前述の通り、つくば市は2万人もの研究者が暮らす研究学園都市であり、良いものを知っている人が多いまちでもあります。
一般的に毎日食べるパンのような商品は、購入における意思決定が価格優先で行われてしまう傾向が強いものですが、つくば市のパン屋を数軒訪れてみると、平日にも関わらず多くのお客さんで賑わっていました。
つまり、つくば市は本当に良いパンを扱っている店ができれば、値段が少しだけ割高でも、しっかりとお金を払いその店を買い支える土壌があるということなのかもしれません。
食べ物の文化というものは、作る人、売る人、買う人、食べる人、どれか一つが欠けても成立しないものです。
この全てが揃っているつくば市でこの先、パン文化がどのような進化を見せるのか楽しみでなりません。
2020/7/17 (執筆当時の情報に基づいています)
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