お風呂で授業をする元浅草の日の出湯「服を脱いで裸になれば、地位も肩書きも全てリセットされる」
昭和40年のピーク時には都内に約2600軒もあった銭湯も、自家風呂の普及率が約98%にものぼる現在では、週に1軒のペースで廃業しています。
一方でそうした銭湯とは対照的に、台東区元浅草(もとあさくさ)にある「日の出湯」は現代でも業績を伸ばしている数少ない銭湯の一つです。
全国の銭湯が経営不振にあえいでいるように、日の出湯も同様に赤字経営が続いていましたが、12代目の田村祐一さんが2012年から経営に携わり始めたところ、半年間で来店者数が1.5倍、さらに売り上げも2倍に増加したのだそうで、今回はそんな田村さんにお話を伺いました。
都の条例によって価格競争ができず、大規模な設備投資もきわめて難しいという状況に立たされていた田村さんにできたことは、元浅草まで足を運んでくださるお客さんとの日々のコミュニケーションに力を入れ、接客態度を良くすることだったと言います。
ただ、接客を良くするだけで売り上げが2倍になったと聞くと、「そんな単純なことで売り上げが上がるはずがない」と考えてしまいがちですが、その背景には高齢者のお客さんの消費傾向が関係していると田村さんは語っていました。
▼ 日本で一番お金を使う70代のおばあちゃん達は、コミュニケーション購買をもっとも好む世代でもある
お店の利用は、カウンター越しの田村さんとの世間話から始まる
「接客を良くしたら売り上げが2倍になったというのは実は後付けなんです。僕が店を継いでからお客さまの数は増えたものの、その理由が最初は分からなかったんです」
「でもある時、お客さまが『おばあちゃんたちが、お風呂でアンタのこと感じがいいって話してたわよ』と教えてくれて。またあるときは、新規のお客さまが『アンタ、感じいいらしいわね!』と言って来店されたりして。あとで分かったことなのですが、おばあちゃん世代の口コミネットワークは本当に強力なんです」
「おばあちゃんコミュニティの中で銭湯に関する口コミが流れると、あっという間に共有されるんですよ。だから、さっきの新規のお客さまも噂を聞きつけて、わざわざ元浅草までやって来たというわけなのです」
さらに田村さんは、おばあちゃんたちがコミュニティ消費を行い、単に入浴のためだけに銭湯に足を運ぶのではないとして次のように語っていました。
「実は日本で一番お金を使っている世代は70代の女性だということが分かっています。例えば、良いお肉、お魚、そしてお野菜を買う方って70代女性が圧倒的に多い。なおかつ、そういった人たちはコミュニケーション購買をすることも分かっているんです」
「コミュニケーション購買というのは、同じ売り物を買う場合に、安い場所よりも自分のお気に入りの人がいる場所で買うという選択行為のことです。つまり、ちょっと高くてもお気に入りの店員さんがいるコンビニで買い物をするのが、その世代ということになりますね」
「言い換えれば、店員さんと話すために何かを買うところがあるんですね。だから、『感じ良いわね』って言ってやってくるお客さまは、近所に銭湯があっても、喋りに来るために元浅草まで足を運んでいるのかもしれませんね。」
コミュニケーション購買を促すためには、コミュニケーションの種になるようなキッカケがなくてはなりませんが、日の出湯はカフェのような作りになっており、店に入った瞬間、会話のキッカケになるようなものが散りばめられています。
その中でもお店の看板商品であるジンジャーエールには、田村さんの経営哲学が込められており、田村さんは次のように述べていました。
「結局、僕たちが売っているのは『幸せ』なんですね。気持ち良い風呂だったなあって。その手段として、炭酸泉やジャグジー、サウナや水風呂があるのですが、うちの場合は『空いているお風呂』を提供したいと思って」
「でも、空いているお風呂を提供したいという気持ちと、経営者として利益を上げるという目的とは矛盾しますよね。お風呂がガラガラだったら商売になりませんから。そこでパティシエの妻に協力してもらって、ジンジャーエールを売り始めたんです。」
「仮にお客さまの半分がジンジャーエールを買ってくれると、これまで100人だったお客さまを50人に減らしても、これまで通りの利益が確保できるというわけなのです。とは言っても単純な仮の話ですけどね(笑)それでも7人に1人くらいの割合でジンジャーエールを買ってくれるんです。」
▼ 地域の人が先生になる、はだかの学校「裸になれば社会的地位がすべてリセットされてフラットな関係になれる」
銭湯にあまり縁がない若い人たちにも来てもらおうと田村さんが考えた末にできたのが、お風呂を教室に見立てて授業を行う「はだかの学校」と呼ばれるものです。
この取り組みは、元浅草のお客さんとのコミュニケーションを丁寧に重ねてきた田村さんが、当時92歳のお客さんと世間話をしているときに東京大空襲の時の話を聞いたことがキッカケになったと言います。
「庭で料理をしていて少し目を離すと鍋ごと盗まれたり、洗濯物を干していると物干し竿ごと持っていかれる、そんな時代だったみたいです。それに物がない時代だったけど、どういう訳か、メザシだけは安かったからアメ横にメザシを買いに行った話とか。」
「これは貴重な話だと思って、友達たちに『こういう話を風呂で聞きたいか』と聞いたら、みんな反応が良くて、そこから始まったんです。」
「他にもこういう話ができる人がいるんじゃないかと思って、お客さまたちに声をかけてみたら、マグロ漁船に乗っていた人、溶接の仕事をしている人、囲碁を教えている人など、いろんな人がいたので、お客さまたちにお願いしてお風呂で授業を開いてもらったんです。」
普段は体をキレイにする場所として使われている銭湯が、「地域の教室」になる
銭湯という施設は平均面積が約1000平米と非常に大きく、また、公衆浴場というその役目から地域の中心部に位置していることが多い傾向にあります。
また、公衆浴場である銭湯は様々な層の人たちが集まりやすい環境だと言え、ターゲティングが行われることによって似たような客層が集まるお店とは対照的に、銭湯ほど集まる人々の多様性が高い施設は他にはないのではないでしょうか。
つまり、普段の社会生活の中では交わることのない人々が空間を共有する唯一の場所が銭湯であり、さらに銭湯には社会的な立場や地位をリセットする力があると田村さんは言います。
「スーツを着ていたり、作業着を着ていたりとか、何かしら服を着ていたらその人の社会的な地位の高さが分かってしまうけれど、みんな裸だから全然分からないんですよね。だから、そういう意味では肩書きを捨てられるんです」
「日常生活の中では社会的な序列のようなものがありますが、お風呂では関係性がフラットになるから話しやすいんですよね。例えば、会社員が集まるセミナーとかに行くと『質問はありますか?』といっても手が挙がらないんです。でも、お風呂で裸になるとどんどん手が挙がる。お風呂にしかできないことがあると思っています」
もともと、人々の衛生的な生活を担保するために作られた銭湯という施設は、自家風呂の普及率が上がるにつれて、その存在価値が問われるようになってきました。
実際に週に1軒のペースで廃業が続いているという事実が表しているように、体を清潔にする場所としての銭湯は、もう時代にそぐわないのかもしれません。
しかし、社会的地位や肩書きを全てをリセットしてくれる場所は銭湯以外にはないように、地域の人々を繋げる場所としての銭湯はまだまだ需要があると言えるのかもしれません。
◼︎取材協力/日の出湯・田村祐一
◼︎アクセス/東京都台東区元浅草2-10-5(東京メトロ稲荷町駅から徒歩2分)
著者:高橋将人 2018/10/16 (執筆当時の情報に基づいています)
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