川崎の緑の中にある、永遠に完成しないプラネタリウム 「人が星を見るのは、『本能』だと思う」

一つ、二つとさまざまな光度の星が頭上に現れる。それは瞬く間に無数に出現し、やがては背景にある暗闇を覆いつくす。目が慣れてくると、夜空を流れる天の川や雲の動きまで、きめ細かに見えてくる。

そんな光景が、人口約150万人を要する大都市、川崎の中にあります。「かわさき宙(そら)と緑の科学館」のプラネタリウムは、市内最大級の緑の宝庫である生田緑地の中に、ぽつんと佇んでいます。



「川崎は工場が多くて、『公害のまち』と言われてました。そんな中、当時の学校の先生や天文愛好家の方々が『この夜空に、星を見せてあげたい』と、この施設の建設を始めたんです」

そう語るのは、学芸員の弘田澄人さん。高度経済成長期の真っ只中、京浜工業地帯の中核を担った川崎では、「川崎喘息」という公害病が流行するほど、大気汚染が悪化していきました。

そんな当時の川崎市民の一縷の願いから生まれたのがこのプラネタリウムだったのです。

過去と現在のフュージョン「最先端でありながら、昔懐かしい雰囲気を出せるプラネタリウム」



昨今では、キャラクターによる解説や録音されたテープを流すプラネタリウムが多く見られますが、この施設では開設以来ずっと、肉声によるリアルタイムでの解説にこだわっています。

こちらで20年以上解説員をしている河原郁夫さんは、以下のように話します。

「会場の人との一体感が生まれるんですよ。だから、その時々に合わせた、解説をするんです。それに、『人の声』というのが良いんです」

「真っ暗闇の中で、顔も見えませんし、声も聞こえないんですが、だいたい空気でわかるんです。楽しんでいるのか、退屈しているのか。まぁ、第六感というんでしょうか…。」



河原さんの解説員としてのキャリアは通算でなんと60年以上にも及ぶといいます。そうして積み上げてきた知識や経験が厚い層となり、意識せずとも雰囲気が読み取れてしまうのかもしれません。

このプラネタリウムでは、最新機器『メガスターⅢ フュージョン』と呼ばれる投影機を使用しており、この製作を手がけたプラネタリウムクリエイター 大平貴之さんの出身地もここ川崎です。

大平さんは小学生当時、「川崎市青少年科学館」と呼ばれていたこの川崎のプラネタリウムの夜空に魅せられ、プラネタリウムつくりを始めたのです。



大平さんがこのプラネタリウムで追求したのは、よりリアルな「星」と「景色」の関係性でした。

従来型では、光学式と言われる投影機で全ての星の輝きを映し、デジタル式と言われるそれで景色を写していました。そうすると景色が星に重なって、例えば「夜空を飛んでいる飛行機に星が透けて見える」といったような状態になってしまうのです。

そんな夜空は極めて不自然だと感じた大平さんは、デジタルでは表現できないレベルの明るい星に絞って光学式で表現し、その他の星や景色を全てデジタル式で表現するという手法「フュージョン」を採用しました。

ドームの夜空には、夕暮れの手前に浮かぶ木々や科学館の建物のシルエット、そして、夕闇に無数の星々、川崎市民に馴染みの生田緑地に映し出される最先端の夜空。これを大平さんは、著書の中で「最先端でありながら、昔懐かしい雰囲気を出せるプラネタリウム」と表現しました。(1)

人間が星を見る理由、それは「本能」。生田緑地に浮かぶ夜空は、見る人の心に安らぎを与える。



写真:かわさき宙と緑の科学館提供

ヴァーチャルリアリティ(VR)などを筆頭に、新しいエンターテイメントがこれだけ急速に多様化し、現実とはかけ離れた映像体験が可能となった今、かわさき宙と緑の科学館が星空を描くリアリティにこだわる理由はどこにあるのでしょうか。

そのヒントは、「人間が星を見る理由」にありそうです。前出の弘田さんは、次のように語ります。

「人が星を見るのは、『本能』だと思うんです。建物がなかった時代に、人々は星空を眺めることでどこか安心して寝られていた。その本能が今も残っていると思うんです」

人が星を「見たい」というのは後付けではなく、先天的なもの。つまり本来、私たちが本能的に「見たい」と思うのは、はるか遠い祖先も眺めた夜空であり、これに限りなく近づけるほど、それを見る人の心が安らぐということなのかもしれません。



川崎の夜空も、本来見る人に安心を与えることができるはずですが、街灯もない真っ暗闇の星空をつくりだすのは今はもう、ほぼ不可能です。

そもそも昔の人は、星を「光」と純粋に感じることができていたから、「闇=不安」に対して「星空=安心」という図式が成り立っていたのではないでしょうか。

『新約聖書』にも、「光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった」と書かれているように、いつ何時も、闇の中に存在する光は希望の象徴でした。(2)

文明が未発達で人工的な灯りがない世界では、夜空は不安を煽るものだったのかもしれません。そんな中で、夜空に煌々と浮かぶ星は、そうした人々の心を鎮めたのでしょう。



写真:かわさき宙と緑の科学館提供
徹底的に「リアル」を追求した結果、世界最高峰との称号を得られるまでになった川崎のプラネタリウム。ですが、長年天文教育に携わってきた伊東昌市さんの著書に、以下のような言葉があります。

「まず私たちが知っておかなければならないことは、本物より美しい星空を再現してくれるプラネタリウムはいまだ存在していない」(3)

“本物より美しい星空”は本当の闇を知っていた遠い過去の記憶の中にある星空ですが、それを私たちが無意識に求めてしまう限り、プラネタリウムの進化は永遠に続いていくことになるのです。



写真:かわさき宙と緑の科学館提供
プラネタリウム観覧者数は増加している現状にあります。

日本プラネタリウム協議会の調査によると、2011年度の総観覧者数が769万人だったのに対し、2016年度には858万人(速報値)と大きく増えています。

時が経つに連れ、進化していく川崎のまちは、星々に代わって高層ビルやマンション、店々の灯りが街全体を照らし、それに反比例するように肉眼で見える夜空の面積を狭めていきます。

一方で、よりリアルへと進化していく川崎のプラネタリウムの星空は、ますますその存在意義を高めていくはずです。



【取材協力】

かわさき宙と緑の科学館

【参考書籍】

(1) 大平貴之『プラネタリウム男』(講談社現代新書 2016)

(2) 池田博 訳『新約聖書』(幻冬舎ルネッサンス 2007)

(3) 伊東昌市『地上の星空を−プラネタリウムの歴史と技術−』(裳華房1998)