お客さんの平均滞在時間が1時間を超える国立の靴屋「この店は靴を売る店ではありません。我々は町の観光案内所を目指します」

普段の生活の中で、靴屋の店主がオススメのイタリアンの店をお客さんに紹介することは滅多にありませんが、国立の旭通り商店街ではよく見かける光景のようです。

そう語るのは、国立で「靴の一歩堂」という靴屋を創業して2018年で10年目を迎えた川井一平さん。

今後、商店街が生き残っていくためには商品ではなく「体験」を流通させなければならないと考える川井さんは、靴屋の経営者でありながら、「この店は靴を売る店ではない」と強く語ります。

▼ お客さんは自分が本当に欲しいものを知らない「本当に欲しいのはヒールじゃなくて、お洒落して外出する体験」



「一歩堂が売っているのは、靴を通じて『お客様の行動半径を広げたい』という企業理念です。」

「例えば、女性だと外反母趾で悩んでいる方が多いです。でも、そういう方がヒールの高い靴を履けたら、今までお洒落をして外出できなかったフランス料理店やイタリア料理店で楽しい時間を過ごせるようになりますよね。そういった体験を提供していきたいのです」

「しかし残念ながら、お客様は自分が本当に欲しいものを知りません。お客様が買い物をするときに買うのは、欲しいと思い込んでいるものなのです」



「最初はナースサンダルをお求めになるお客様が非常に多かったんです。そこで、『どうしてナースサンダルが欲しいのですか?お客様は医療関係者の方ですか?』と伺ってみたところ、その方は事務職の方で、足腰が疲れて仕方がないから、ナースサンダルが足腰の疲れに良いと聞いて、買いに来たと言うのです」

「つまり、お客様が本当に欲しかったのはナースサンダルではなく、『足腰が疲れない靴』だったのです。そうやってお客様の本当の目的を気付かせてあげられるのが、小さな個人商店の強みだと思っております」

そう語る川井さんは一足の靴を売るために1時間かけてヒアリングを行うため、一歩堂ではお客さんの平均滞在時間は1人あたり1時間を超えると言います。

▼ 一足の靴を売るために1時間かけてヒアリング「自分の足をことを理解しているお客さんはほとんどいない」



川井さんが接客にここまで時間をかけるのは、お客さんから「本当の目的」を引き出すことに加えて、お客さんに自分の「本当の足」について理解を深めてもらうためなのだそうです。

「お客様にコーヒーをお出しして、『この靴でどこに行くのですか?』といった雑談をするのです。あるお客様は、本当はパンプスを履きたいけれど、足にタコができて痛いから柔らかいウォーキングシューズが欲しいと仰っていました。でも、結局そのお客様はこのパンプス購入されました」

そう言って川井さんが見せてくださったパンプス

「足にタコがあるのにパンプス?と不思議に思うかもしれません。実は足にタコができる原因は硬い靴ではなく、大きすぎるサイズの靴を履くことなんです」

「そのお客様は靴を選ぶときに『足幅が広い』と自己申告されました。そこで、実際に足を測ってみると1Dというとても小さなサイズで、本当はすごく足幅が狭い方だったです。つまり、自分は足幅が広いと思い込んでいたんですね」

「普通の靴屋さんは接客時間が短いですよね。『サイズはいくつですか?23センチです。ちょっとキツイなあ。じゃあ23.5センチ』といったやり取りが続きますが、それをやるとお客様はほぼ100%ゆるい靴を選ぶんです。そのため、この店では工房で微調節を加えて、無料で何度も調整を加えることでお客様の足に合ったサイズを提供しています」



人間の足は足首から先だけで50個も骨で構成されていると川井さんは言います。

足はそれだけ細かい骨が集まって成り立っているものであり、それだけデリケートな足を靴で包み込むわけですから、ちょっとした誤差が足に大きな負担を与えるのは当然です。

そう考えれば、川井さんがここまで念入りにサイズ調整を行う理由がよく分かります。

▼ 靴屋が町の観光案内所を目指す理由「町にお気に入りの店ができたら、年に数回しか来なかった人が毎月来るようなる」

川井さん行きつけの「柿屋ベーグル」。普段は長蛇の列でなかなか買えないのだそうだ

こうして丁寧に接客を重ねることで、まずは自分が本当に欲しいものを自覚し、次に自分の足について理解した上で、自分にピッタリの靴を選ぶことができたお客さんは、その靴を履いて外を歩きたくなるでしょう。

そうしたお客さんに向けて考えられた施策が商店街のお店紹介制度で、川井さんが所属する旭通り商店街では互いに互いの店を紹介し合うシステムを導入しているのだそうです。

地元商店主たちが協力して制作したグルメマップ。お店が発行する紹介状を持ってお店を訪れると温かく迎えられオマケをしてくれる。

「うちに来たお客さんで11時くらいにお越しいただいて12時くらいに買い物が終わったら、『美味しいイタリアンのお店がありますよ』と提案するんです」

「そうやって、それぞれが互いの店を紹介し合うことによって、お客さんは飲食店や美容院などお気に入りの店がこの商店街の中に増えていって、次第に町のファンになるんです。そうすると年に数回しか国立に来なかったお客さんが月に1回は遊びに来るようになる」

「基本的に靴は、春夏で1足、秋冬で1足で年に2足ほど買うのがせいぜいなんです。でもそうやって国立に遊びに来る機会が増えれば、それが3足になるんです。そして、この町も発展する」

「結局、自分の店だけじゃなくて、町全体で考えたほうが結果的に自分のためになる。だから国立では商店主たちが互いに店を紹介し合うんです。われわれ個人商店は町の観光案内所を目指しています」

川井さんに紹介状を書いて頂いたイタリア料理店「アルトパッショ」

川井さんオススメは「パスタ・エ・ファジョーリ(豆のスープ)」。アルトパッショ店主の吾妻さんに伺ったところ、これはイタリアの田舎料理なのだそう

こう語る川井さんは、ネットの登場によって小売店や商店街の価値が再定義されるようになると言います。

川井さんによると、従来の小売店は、日本全国や世界中から商品を仕入れて店に並べ、お客さんの選択肢を増やすことで、価値を生み出していたのだそうです。

しかし、現在ではネットにその役割を奪われただけでなく、価格破壊によって競争力まで奪われた小売店は、その存在意義が問われていると川井さんは語っていました。



そんな時代だからこそ、小売店はお客さんを感動させる体験を流通させる必要があるとして「もっとも安い値段で商品を購入したお客様は“満足”するが、自分が本当に欲しかったものを発見したお客様は“感動”する」と述べていました。

互いに互いの店を紹介し合う国立の旭通り商店街。一番安いものを買おうと思えばネットがもっとも便利ですが、ネットでは絶対に買えないものがこの町にはあるようです。

【取材協力】

◼靴の一歩堂/店主・川井一平

◼アクセス/東京都国立市東1-15-32(JR中央線国立駅南口より徒歩3分)


著者:高橋将人 2018/12/18 (執筆当時の情報に基づいています)
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