公園が主役のYanasegawa Market「あまり使われていなかった公園が『私の場所』になることで、まちが変わりはじめる」

これまで土地を担保に融資が行われ、「土地」が経済活動のベースになってきた日本では、土地本位制が根強かったことから、「その空間が誰のものなのか」という議論が盛んに繰り広げられてきました。

しかしその一方で、「その空間が誰の“ため”のものなのか」という議論はほとんど行われてこなかったため、まちには形式上の公共空間はあっても、日々の暮らしをつくるような空間はあまり多くはありません。

実際、まちには誰も使わない公園や広場がたくさんありますが、埼玉県志木市でYanasegawa Market(柳瀬川マーケット)を主催する建築家の鈴木美央さんは、閑散とした公園から、まちを変える取り組みを行っています。

▼ 豊かな公共空間は、「ここは私の場所」と認識する人が集まることで作られる



鈴木さんが主催するYanasegawa Market(柳瀬川マーケット)は、志木ニュータウン内にある広大な公園で開催されているのですが、興味深いのはマーケットの主役がマーケットではなく、「公園」と「そこに集まる人」だという点です。

「公園の今あるものを活かしたデザイン」をコンセプトとして設計されているYanasegawa Market(柳瀬川マーケット)は、いつもの公園の姿を保つために、露店が公園の端っこに一列に並べられていて、鈴木さんはこのことに関して次のよう話します。

「マーケットを作るとき、いかに公園という空間を活かすかを考えました。最近よくあるお洒落なマーケットなどは、お洒落にすることが目的になっていて、その場所のポテンシャルを考えていないことがあると思うんです。でも、私たちが本当に考えなければならないのは『いかに場所を使いこなすか』だと思います」

公園の端っこに一列に並ぶ露店。公園中央の広場のスペースがかなり広めに取られていて、普段の公園の姿が見えるよう工夫されている。

公共空間は「みんなのもの」であるものの、地域の人が「みんなのもの」と思った瞬間、誰のものでもなくなってしまうものです。

むしろ、「ここは自分の場所」と認識する人を増やすことが公共空間を育むことに繋がると言えますが、鈴木さんは地域にそういう人が増えることによってイベントがなくても、その場所を日常生活の中で利用するようになると言います。

「本当に場所を使いこなす力が付いたら、マーケットが無い日でも、シートを敷いてピクニックなどで公園を利用しますよね。そうした地域の人たちの『場所を使う力』を引き出すという意味では、何も与えない方が良いんですよ」

「最初はシートを貸出ししようと思ったのですが、受動的じゃない、能動的な参加を育てたくて、やめました。そしたら、回を重ねる毎に自分で持って来る人が増えてきました」

木製スタンドを囲んで談笑するグループ。鈴木さんによると、このスタンドは出店者さんが皆に使ってほしいと持参したものなのだそう。参加者の能動性を引き出すのも、Yanasegawa Marketの強みだ。

「結局、人の活動というのは余白で生まれるので、余白をいかに作るかということが重要になります。そして、その活動をどう引き出すかを空間の作り手は考えるべきです」

「参加者さんを見ていると、ブルーシートとかではなく、ちゃんとしたラグを持ってきているんですよ!この空間をより楽しみたいと思って、自分のお気に入りのラグを持ってきているんです。地域の人が公園を使いこなしている。小さなことですが、そうした積み重ねが、場所のポテンシャルを引き出し、場所を育てていくことになるんです」

お気に入りのラグを敷いて、お弁当を広げる人、お茶を飲んでいる人、ゲームに熱中する人、日向ぼっこをしながら昼寝をしている人など、各々が自分なりの使いこなしをしているのが印象的。

▼ 仲良しグループができ始めたら要注意「一部の誰かに開かれた空間は、他の誰かにとって閉じた空間になりうる」

そうして一人ひとりが場所を使いこなせるようになると、次第に知り合いができてきて、ある種の盛り上がりを見せるようになります。

しかし一方で、鈴木さんはYanasegawa Market(柳瀬川マーケット)を運営する上で、特定の仲良しグループが生まれないよう、コミュニティ運営にあたっているのだそうです。

「私はマーケットをパブリックなものと捉えています。コミュニティというものは居心地が良い一方で、閉鎖的な側面もあると思うんです。ただ、マーケットという場所は開かれた場所であるべきなのに、そうした仲良しコミュニティがあると新しい人がどうしても入りづらい」

「だから、Yanasegawa Marketでは私たち運営側が露店の出店場所をコントロールして、特定の仲良しグループを意図的に離すことで、グループの繋がりを弱めるんです。そうすることで、より地域に開かれたマーケットになる。出店者同士で集合写真を撮ってSNSなどにアップしないのも、そのためなんです」

「コミュニティはあくまでも場所を使いこなすためのキッカケであって、目的ではないんです。だから仲良しコミュニティが出来始めたら、それはむしろ注意しなくてはなりません」

楽しい雰囲気を維持しつつも、特定のグループが仲良くなりすぎるのを防ぐことで、少しでも多くの人に開かれた場所をつくる。

こうした鈴木さんによる空間設計によって、Yanasegawa Marketは子供から高齢者まで、幅広く地域社会に浸透しはじめているようです。

「高齢化が進む郊外のニュータウンであるこのまちは『何もないまち』と捉えられがちでした。でも、マーケットをきっかけに『このまちにくらすよろこび』を多くの人が感じ始めてくれています。」

鈴木さんと共同でマーケットを運営する板倉恵子さんにお話を伺ったところ、まちにマーケットがあることが日常になりつつあると話します。

「この間もおばあちゃんたちが『じゃあマーケットでね』とマーケットで待ち合わせをして、友達と一緒にお昼を食べに行ったりしていたんです。それにマーケットを開催すると、近所の人たちがみんな集まるから、久しぶりに会えたりできるのも良かったですね。近所に住んでいても、なかなか会えないことって多いですから」

「それにマーケットではお母さんが楽しめるんです。買い物に子供を連れて行くと、お母さんが買い物に夢中になって子供がギャーギャー泣いて、お母さんもイライラしはじめて…。でも、マーケットなら子供は友達と走り回って楽しいし、お母さんも昼からちょっとお酒を飲めたり。大人も子供もそれぞれが楽しめるので良いですよね」

お母さんたちは買い物やおしゃべりに夢中になり、子供たちも広い公園で夢中になって遊ぶ。Yanasegawa Marketでは誰もお母さんも子供も我慢しなくていい。

▼ 日本の新マーケット文化は、海外に輸出できるようになる

こうしたYanasegawa Marketの取り組みを伺っていると、マーケットは何か新しい社会活動のように感じてしまいますが、もともと日本でも「市」としてマーケットが親しまれていて、特に街路で開催される街路市は全国にあったようです。

また、深刻な物不足に陥った戦時中も、政府による食品や日用品などの配給の不足を補うために闇市が形成され、戦後復興を支えてきました。

ところが戦後になって、衛生面などの観点から、こうした闇市は全国で一斉に取締が行われ、さらにGHQの露店撤廃令、道路交通法の規定、そしてスーパーの登場などによって、日本のマーケットの歴史は途絶えてしまったのです。

しかし鈴木さんはこうした日本のマーケットの状況は、ある意味、強みだと言います。



「ロンドンなどのように大昔から脈々とマーケット文化が受け継がれてきたところと違って、日本のように一度その文化が途絶えてしまったところでは、伝統も歴史もないから何でもできるじゃないですか。自由な場としてのマーケットが発達してきていることが日本の強みですよ」

「今後アジアやアフリカなどでは開発が進み、その過程でマーケットなどの地域住民のための場所が失われ、街が高層ビルだらけになっていきます。コミュニティも地域経済もない、その中でも人と人が接する空間は必ず求められます。なので、いま日本全国で実践されている『マーケットでまちを変える仕組み』を、将来的には海外に輸出できるようになると思うんです」

「そうなった時、日本のマーケットは、世界中にある伝統的なマーケットとは一味違った、『社会課題を解決するためのマーケット』として強みになる。私は日本の新しいマーケット文化を輸出するところまでやりたいと考えています」

今回お話を伺った鈴木さん(右中央)と板倉さん(右)。「今日は取材だから特別に・・・」と、普段は撮らないようにしている集合写真を特別に撮影させてもらった。

まちの歴史を遡るとそこには必ずマーケットが存在し、最初は物々交換や商売をするために人が集まり、それがマーケットになって、次第にその場所が「まち」になったのだそうです。

その意味ではまちの起源とも言えるマーケット。柳瀬川で行われるマーケットを使ったまちを変える実験はまだまだ続きます。


【取材協力】

◼Yanasegawa Market(柳瀬川マーケット)/鈴木美央・板倉恵子


著者:高橋将人 2019/1/25 (執筆当時の情報に基づいています)
※本記事はライターの取材および見解に基づくものであり、ハウスコム社の立場、戦略、意見を代表するものではない場合があります。あらかじめご了承ください。