大型ショッピングモールが増えればマルシェも増えるという法則「敷居の低さNo. 1という、10店舗以下の小さなマルシェが越谷の商店街を変えていく」
東西、南北に路線が走り、市内に駅が8つもある越谷では、市内に暮らす4万を超える人たちが日々電車に揺られて、東京と越谷を行ったり来たりしています。
渋谷方面にも大手町方面にもアクセスが良く、次々と新しいマンションが建って新しい人が入ってこられる越谷ですが、この街が交通の要所だというのは、今に始まったことではありません。
江戸時代に、日本橋と日光をつなぐ日光街道の宿場町として栄えたのがそもそもの越谷の成り立ちであり、今も越谷駅東口の「旧日光街道」沿いには、当時の雰囲気を残して受け継がれてきた商店や古民家が見られます。
「数は少なくなっていますけど、この通りには築120年とか、そういう古い建物をそのまま使っていらっしゃるお店もございます。」というのは、旧日光街道沿いの「新町商店会」で会長を務めている金物屋「釘清商店」の店主、井橋潤さんです。
もともとはサラリーマンをしていた井橋さんですが、「釘清商店」を営んでいたご両親の手伝いとしてお店に入ってからもう20年になります。
▼ コインパーキングよりも価値が高められる方法はないだろうか。それを見つけられるのはきっと、新しい越谷の人たち
井橋さんが生まれる前から営業されているお店もある新町商店会では、いつの間にか、後継者のいる割合が半数という、「10年もすれば半分の店舗が廃業してしまうかもしれない」状態に陥っており、事実、昔ながらの風情あるお店の建物が壊されてコインパーキングになったりしていたのだそうです。
しかし、商店街に来る方は50代以上の昔馴染みのお客様ばかりである一方で、交通の要所である越谷には新しいマンションに引っ越して来られて越谷の住人となるファミリーも増えているのも事実。そこで商店街では、駅周辺のマンション住まいの新しい越谷の人たちに向けて働きかけるプロジェクトを始めることになったのだそうです。
井橋さんは、次のように言います。
「僕が言い出しっぺだったんですけど、『宿場まつり』というお祭りを立ち上げまして、宿場町だったということを知ってもらうイベントを始めたんですね。」
「新町商店会」で会長を務めている金物屋「釘清商店」の店主、井橋潤さん
「ただ、イベントだけではなかなか街が活性化とまでは行かなくて…。その時に人がたくさん集まっても、日常的に街ににぎわいを取り戻すにはハードの部分といいますか、拠点となるような場所がやっぱり欲しいということで、コミュニティカフェを設立することになりました。」
こうして井橋さんたちは、まずはコミュニティカフェの構想を地域の人たちに広めようと、カフェをつくる場所と同じ敷地内にあった蔵を1つ借りて「やおきさんのマルシェ」を開くことにしたのです。
▼ 新しくやってきた“風の人”と昔からいる“土の人”が混ざるマルシェ。ショッピングモールにはない、この街の文化をつくっていく
プロジェクトの中で、「やおきさんのマルシェ」の宣伝部長となるような、犬のキャラクターも生まれた。
出店数は10店舗以下という「やおきさんのマルシェ」はこじんまりとしていて、出店・出演している方もマルシェに遊びに来ている方も“イベントだから”と力んでいるところがありません。
そして、それがかえってこのマルシェを温もりある集まりにしているように思われました。
集まっている人たちの“抜け感”が心地よい「やおきさんのマルシェ」
フランスでは「カルフール」などの大型ショッピングセンターがシェアを拡大している傍らでマルシェの数が増えているといいますから、日本でも全国規模のショッピングモールに本気で対抗できるのは、地元民も新しい人も肩肘張らずに混ざれるマルシェなのではないかと思います。
実際日本のマルシェというと今や年間120万人が訪れるという北海道の「ふらのマルシェ」が有名ですが、「ふらのマルシェ」で活気を取り戻しつつある現在の富良野では、移住者である“風の人”と、地元の人である“土の人”の交流が活発になり、お互いの良さを引き出しあいながら新しい地域の文化が生み出されているそうです。
「やおきさんのマルシェ」は、3年ほど前にコミュニティカフェの宣伝として始まったもののその反響の大きさから定期的に継続開催され、2019年3月で16回目を迎えたところ。これから越谷でも、新しい「楽しいこと」「美味しいもの」がこのマルシェから生まれ、広まっていくのかもしれません。
マルシェのテーマは毎回工夫を凝らされている。例えば、今回は「ピクニック」、前々回は「カレーとビール」。
一度聞いたら忘れない、親しみやすい名前の「やおきさんのマルシェ」。
なぜそのように名付けられたのかというと、会場の蔵を貸してくれたお宅がその昔、「八百喜(やおき)」という屋号の魚屋さんを営んでいたという歴史に由来しています。
「やおきさんのマルシェ」は、きっとそれまでは歴史的な建物として感心されるばかりで、放っておけばいつか使われなくなって幽霊屋敷のようになってしまったかもしれないこの街の蔵を、マルシェのランドマークとして復活させることにもなったのではないでしょうか。
▼ マルシェはやりたいことを試す「社会実験の場」。マルシェで成功してから自分のお店を出せばいいんです
向かいにある小学校に協力してもらって2000枚のチラシを配っている。そのためか、会場には若い層やファミリーも多く見られる。
「そんなに広くなく、大変な準備もいらない手軽さが長く続いている秘訣かな」とおっしゃる井橋さん。出店される方に向けて、次のようにもお話しされていました。
「うちのマルシェほど敷居が低いマルシェはないかなと思っています。それこそ本当に趣味でやっておられて、ゆくゆくはお店を持ちたいという方がいらっしゃった場合、『じゃあうちのマルシェで試してください』と言っています。変な話、『マルシェで失敗してもいいよ。』と。何度でも試せますから。」
「10店舗といってもいろんなお店がありますから、売れているお店、売れていないお店とありますけれども、売れなかったら次のマルシェでもう一回トライしてもらったりもしています。社会実験のつもりでマルシェを捉えてもらったらいいかな。」
今、歴史ある街を新しい世代に引き継ぐために“社会実験”真っ最中の越谷では、「やおきさんのマルシェ」でお店を出された方が、隣接する「コミュニティカフェ803」でワークショップを開催したり、実際に街にお店をオープンさせるなどして活躍の場を広げているそうです。
2016年にオープンしたコミュニティカフェ「CAFE803」はこの日も満席。井橋さんの奥さんが店長をされている。大きな黒板には、イベントや新しいお店のことなど地域の情報がぎっしり。
100年200年前の暮らしを思わせる越谷で、新しく何かを始める人たちのスタート地点となる「やおきさんのマルシェ」。
蔵の佇む歴史ある越谷市の商店会は、「自分のつくったもので人とつながりたい」という想いを胸にやってくる人たちとの“社会実験”によって新しい文化をつくりだしながら、街の未来をもつなげていくことでしょう。
⬛︎取材協力
「やおきさんのマルシェ」実行委員会 実行委員長 井橋潤
著者:関希実子 2019/4/19 (執筆当時の情報に基づいています)
※本記事はライターの取材および見解に基づくものであり、ハウスコム社の立場、戦略、意見を代表するものではない場合があります。あらかじめご了承ください。