川崎の子どもが「ガンダムみたい!」と飛びついた。プロ人形劇団から地域に受け継がれる伝承芸能、乙女文楽。
武蔵小杉と日吉という、タワーマンションの立ち並ぶマンモス駅にはさまれた元住吉駅で下車し、矢上川沿いに沿ってしばらくいくと、人形劇団「ひとみ座」の青いタイルの建物が見えてきます。
「ひょっこりひょうたん島」を世に送り出した「ひとみ座」は、創立70周年を迎える人形劇のプロ集団。
川崎市内の保育園や幼稚園に出張公演をしているため、小さい頃からこの街で育った人で「ひとみ座」を知らない人はいないと言います。
ひとみ座の青いビルは川崎のランドマーク
手塚治虫やシェイクスピア、そして童話と、人々に愛されてきたさまざまなストーリーを人形劇にしてきた「ひとみ座」では、今から50年ほど前、「現代人形劇をつくる上で何か発見があるかもしれない」と思い立って劇団の人たちがある取り組みを始めました。
それが、伝統芸能 乙女文楽で、現在「ひとみ座」が母体となって設立された「(公財)現代人形劇センター」が運営にあたっています。
乙女文楽は文楽(人形浄瑠璃)につながる人形芝居で、文楽では1体の人形を男性3人で操るのに対し、乙女文楽は女性が一人で1体の人形を演じるようになっています。
もともと大阪で生まれた乙女文楽ですが、プロ人形劇団「ひとみ座」の向学心旺盛な団員の方々によって受け継がれ、時の経つこと半世紀。ついに昨年、「川崎市地域文化財」に認定され、日本の古典芸能を表彰する「松尾芸能賞」で特別賞に選ばれるなど、地域からも、芸能の世界から注目を集めるようになっています。
▼ 一番重い時で人形の重さは7kg。顔が上がらないし、自由に動けないし、「悔しいー!」ってなります
川崎の「ひとみ座」の建物の中にある「(公財)現代人形劇センター」を訪れると、演技者の方々が5月のゴールデンウィークに開催される公演に向けて稽古の真っ最中。
普段は「ひとみ座」の方で現代人形劇をされていたりもする皆さんですが、乙女文楽だからできることについて、次のようにお話されていました。
「『ひょっこりひょうたん島』とかの現代劇の人形の場合は、自分と離れたところに人形があるので、ちょっと距離がある。客観的に見ないと表現できないんです。乙女文楽の場合は、人形を自分の体につけているので、もちろん客観視が基本なんですけど、演じている人の感情とか呼吸とかがそのまま伝わる部分があって、シンクロするんです。」
「はじめてご覧になる方は、後ろの役者さんとどっちを見たらいいんだろう、ってなると思います。でも、お客さまの中には『だんだん人形だけになる。人形が喋って泣いている気がしてくる』と言ってくださる方も少なくありません。」
「文楽は、なぜか物事がうまく行かなくて悲しいことになってしまったり、細やかな心情が描かれる演目が多いんです。稽古中は結構気持ちが入って泣いちゃいますね。本番までには気持ちを整理して、人形で感情を表現できるようにして行かなくちゃいけないんです。人形は遣い方で表情が変わるんですよ。」
能面や文楽人形では、上を向いていると笑って見える、下を向いていると悲しんで見えるというように、「どこを見ているのか」「どんな気持ちで見ているのか」目線の置き方一つで、それを見る人が想像して人形の気持ちが変わってみえるのだそうです。
また、乙女文楽の劇中では三味線の生演奏で義太夫節が語られます。ときにしっとり、ときに激しくと起伏の大きい義太夫節が、忙しい現代人からは見失われつつあったダイナミックな心の動きを乙女文楽の人形に宿して見せてくれるような気がしてきます。
▼ 難しく考えずに「かっこいい!」って楽しんじゃう子が増えてくると、乙女文楽は続いていけると思います
夏休みには、小学校5年生以上の子ども向けに乙女文楽教室も開催していて、今年で12回目を迎えます。
「(公財)現代人形劇センター」で理事長をされている塚田千恵美さんにお話をうかがったところ、夏休みの教室の前になると毎年、川崎市内のいくつかの学校に行き、乙女文楽の出張講座をしているのだそうです。
学校に人形劇でおなじみの「ひとみ座が来る」ということで、ぬいぐるみサイズの人形を想像して待ち構えていた子どもたちは乙女文楽の人形を見て「こんなに大きいのが来た!」と驚くそうです。
夏休みの教室は男女ともに参加が可能。10回講習を受けて、最後に発表会をさせてもらえる。教室は初級と上級に分かれていて、修了した子どもたちは「修了生の会」に入れば、神社での奉納上演など、地域のイベントに参加できる。
大人たちは“伝統芸能”というワードが先行して、難しいもの、とりつきにくいものとして乙女文楽を見てしまうものですが、川崎の小学校では、乙女文楽の人形を付けてみて「ガンダムみたい!」と叫んだ男の子もいたといいます。
そんな子どもたちを見てきた塚田さんは次のようにお話されていました。
「私たちは現代人形劇団なので、『古いものを伝承することに意義を見いだす』っていう感覚とはちょっと違うんですよ。そもそも先輩たちがここで乙女文楽を始めた時も、現代人形劇を作る上で色々な発見があるんじゃないか、ということだったんですから。」
「繰り返し教室に来てくれている子は、好きで来てくれている、人形を遣うのが楽しくて来てくれているので、立場として私たちと一緒なんですよね。みんな人形が大好きなんです。」
大人になって乙女文楽を始める「ひとみ座」の方々も基本、人形が大好きで、「かっこいい」「不思議だな」という好奇心が乙女文楽への入口になっているのだそうです。実際、稽古を見せてくださった団員の方からも次のような言葉がありました。
「普段は美味しいもの食べている時が一番幸せなんですけど…(笑)、乙女文楽を演っていて人形を通じてお客さんに伝えたいことが伝わった時、会場と一体化した時というのはやっぱり体の中から“ぞわぞわ”っとくる。病みつきになっちゃいそうな楽しさがあります。」
「ああするとかっこいいんだろうな、美しいんだなっていうのは見れば感じるんですけど、それを自分が演じるのはものすごく遠い道です。」
新しいマンションがどんどん増えていく川崎の、人形好きな子どもが毎年楽しみにやってくる乙女文楽教室。
ちょっとシャイな子が乙女文楽で人形をつけると大胆に動き出したりするため、発表会を見に来た親御さんが「あんな子じゃなかったのに…」と涙ぐんでいたこともあったそうです。
教室修了生からはだんだんと講師の助手として参加する10代の子たちも出てきていて、そうした中で成長した生徒さんがついに5月に行われる「ひとみ座」の公演に特別出演します。
「教室には友達とではなく、一人で来る子が多いんです。学校も違うし、歳も違うけれど仲良くなる。なかなかない場所だと思いますよ。」
川崎に新しく住まいをかまえるファミリーは、“古いものがいいからそれを伝えていきましょう”という気持ちは持ちにくいかもしれません。
しかし、「人形を持つと生き生きしてくる」という子どもたちが、川崎にしっかりと根を下ろしたプロの現代人形劇団の方たちとともに真剣に悩んで芸を磨きながら、日本古来の芸の世界を今、この街に広めつつあります。
⬛︎取材協力
(公財)現代人形劇センター
著者:関希実子・久保耕平 2019/4/25 (執筆当時の情報に基づいています)
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