“倉庫島”を“アートの街”へ。「天王洲を巡ると見えてくる、答えのないものとの付き合い方」
羽田空港から約20分のところにある「天王洲アイル駅」。
この駅周辺のベイエリアは、30年前は“倉庫島”と呼ばれていたような、オフィス街とも住宅街とも違う、人気の少ないガランとした街だったそうです。
そこから「東京モノレール」や「りんかい線」が開通し、2000年頃からビルの建設が進んで天王洲エリアはオフィス街へと変わりましたが、そんなこの街が、海外からもアーティストが訪れる「アートの街」として知られるようになってきたのが、ここ数年の話。
日本最大級の壁画プロジェクト「TENNOZ ART FESTIVAL 2019」が天王洲で開催された。海外からのアーティストも参加し、ビルの壁一面を使ったど迫力の壁画が完成。壁画は2020年春まで展示される予定。(©︎ Tennoz Art Festival 2019 Art Work by ARYZ)
「僕が来た5年くらい前は、土日になると街がガランとしていて、当時は天王洲に行きたいと思わせるコンテンツがほとんど無かったんです。」と言うのは、画材ラボ「PIGMENT TOKYO」の店長、能條雅由(のうじょう まさよし)さんです。
お店の壁一面に4500色の顔料がズラリと並ぶ様が圧巻の「PIGMENT TOKYO」。海外では入手困難な画材もあり、羽田空港からそのままスーツケースをゴロゴロ転がしながら、「やっと来られた!」と興奮気味にお店に入って来られる海外からのお客さんもいらっしゃるそうです。
▼ 連日世界中から人が訪れるミュージアムのような画材ラボ。「技術と知識を深めてもらえる場所作りを目指しています」
2015年のオープン当初から「PIGMENT TOKYO」で店長を務める能條雅由さん
“画材屋”というと美大生や国内のアーティストの方が通うお店のように思われがちですが、「PIGMENT TOKYO」では海外の方も視野に入れており、店内では英語によるワークショップも行われています。
お店に訪れた海外からのお客さんは、自分の思ったことをなんでも伝えようと英語で話しかけてくれるのだそうで、そういった方たちを迎えてきた店長の能條さんは「いろいろな国からいらっしゃるお客さんみんなが英語の先生ですよ。」と笑っていました。
博物館のような実験室のような「PIGMENT TOKYO」の内装デザインは、隈研吾氏が手がけたもの。
最近では、色について学んだり実際に色をつくったりする「PIGMENT TOKYO」のワークショップのことが、国内外の化粧品・ファッションの業界でウワサになり、様々な企業からワークショップの依頼が来るそうです。能條さんは次のように言います。
「ワークショップでする話の中に、色の文脈の話があります。例えば、先日天皇陛下が御退位された時にお召しになっていた黄櫨染(こうろぜん)という装束の色は、天皇陛下しか身につけることを許されていない色なんですよ。」
「黄色という色でお話ししますと、アジアでは歴史的に豊かさの象徴とされてきたのですが、一方でヨーロッパでは裏切り者のユダの身につけていた装束の色だったこともあり、忌み嫌われてきた歴史があります。」
ある人から見ればいい意味がある色でも、別の人から見れば全く違う…。空の玄関に近く、大きなホテルなどもある天王洲では、そうした文化によって異なる感じ方を知ったり、伝えあったりする体験もできるのです。
▼ 天王洲の最大の資源は倉庫。「倉庫はアトリエにも、ファッションショーの会場にも、歌舞伎のシアターにもなります。」
画材ラボ「PIGMENT TOKYO」もそうですが、海外から「アートの街」と言われるようになるほど、天王洲エリアにアートにまつわるコンテンツをつくりだしてきた仕掛け人は、ベイエリアで倉庫事業を手がけてきた寺田倉庫という企業です。
寺田倉庫は1970年代から、自前の倉庫スペースを活用して美術品保管の事業を行っており、言ってみれば、1000年先の未来に美術品を残す「現代版 正倉院」のような役割を担っています。
そうしたアート関連事業の一環としてさらにこの数年の間に、倉庫だった建物を使った「TERRADA ART COMPLEX」というギャラリーやアトリエの入った施設や、建築模型をアート作品として保管・展示した「建築倉庫ミュージアム」などを天王洲エリアにオープンさせました。
もともと“倉庫島”だった天王洲の資源とも言える、倉庫空間がアートのために活用されてきた経緯もあり、天王洲は「アートの街」として注目されるようになっていったのです。
もともとは倉庫だった「TERRADA ART COMPLEX」
能條さんも「PIGMENT TOKYO」から5分のところにある「TERRADA ART COMPLEX」にアトリエを持ち、「PIGMENT TOKYO」での仕事のあとや休日を使ってアトリエで制作活動をされていて、現在は来年(2020年)の海外での個展に向けて制作をしています。
金属箔を用いたアートの作家として活躍されている能條さん。それぞれに異なるものの見方が表現されているアートの世界には「制限も正解もない」のだとして、次のように述べていました。
「“究極これしかない”というのがアートですね。アートの世界は多様性に富んでいて面白いんです。」
能條さん「究極一つしかないものばかりのアートの世界。アイデアはカオスのように存在しています。」(能條さんの作品:Mirage #18 2000×1600㎜ 2017)
「アートはデザインと違って、問題解決をするツールではありません。中には問題を突きつけられて考えさせられるものもあるけれど、感じ方はそれぞれ違っていい。Aさんはこう思うけれど、Bさんはこう思うとなったときに重要なのは、なぜそれぞれがそう思ったか、ということなんですね。」
仕事場も住まいもこの地域にあり、毎日が“常にアート”という状態な能條さんにとっては、「僕はこう思うけど…」という会話のキャッチボールはとても自然なことなのだそうです。
少し立ち止まって振り返ると、学校や仕事の中では「正しくない」「よくない」という判断のところで自分の思考は行き止まりになることが多かったように思います。
「アートには正しい答えがあるわけではないので、『自分はこう思う』という答えでモヤモヤして終わるのもいいと思うんです。」という能條さんにインタビューをしながらも答えを探して頭を抱えてしまう自分がいましたが、予想外のところにアイデアがつながって脳の回路が増えたような気持ちがしました。
能條さん「『PIGMENT TOKYO』の隣にも保育園がありますけど、保育園とか小学校の段階からアートに触れることをもっと増やしていってもらうのがいいと思うんですけどね。」
日本中、行く先々でショッピングモールにコンビニ、ドラッグストアと同じものが並ぶようになってきている一方で、同じものが二つとないアートを感じて暮らすことのできる天王洲エリア。
天王洲にある寺田倉庫の倉庫スペースも、ファッションブランドのショーなどに貸し出されたり、歌舞伎のシアターとなったりと、その時々でさまざまな世界観に染まります。
2019年の夏から世界を巡っている「スター・ウォーズ™ アイデンティティーズ:ザ・エキシビション」日本展の会場として使用されることにもなっているのだそうで、また新しいカラーでこの街が彩られることになりそうです。
©︎ Tennoz Art Festival 2019 Art Work by Yusuke Asai
いつのまにか塗り替わっている壁画のある街並みに、さまざまな表現の場となる倉庫もあり、街を散策しているうちに「こうでなくてもいいんだ。」と頭のコリがほぐれてくるようなアートの街、天王洲。
天王洲の存在感はここ数年高まってきていますが、それはオリンピックだとか、すぐ近くの品川駅がリニアの始発駅になるとかいった理由以外に、どこにでもあるコンテンツではなく、究極ここにしかないコンテンツが次々とこの街で生まれるからなのかもしれません。
⬛︎取材協力
能條雅由(のうじょう まさよし)さん
・画材ラボ「PIGMENT TOKYO」
りんかい線「天王洲アイル」駅から徒歩3分/東京モノレール「天王洲アイル」駅から徒歩5分
著者:関希実子・久保耕平 2019/6/18 (執筆当時の情報に基づいています)
※本記事はライターの取材および見解に基づくものであり、ハウスコム社の立場、戦略、意見を代表するものではない場合があります。あらかじめご了承ください。