まちの情報が流れる、茅ヶ崎のリアルフェイスブック「holon」。美容師が目指すのは、”オシャレ”よりも”信頼”。
横浜駅からJR東海道線で南西方面へ下ること30分。広大な相模湾に面した湘南エリアの中心地、茅ヶ崎市は昨今、都心部から自然を求め多くの人が移住してきます。
東京や横浜のベッドタウンとしても知られ、市制開始以来人口が増え続けている茅ヶ崎。沿岸部ではマリンスポーツも盛んで、海沿いにかけてサーフショップなどが軒を連ねるほか、海岸線からは江ノ島や伊豆半島、富士山などが望め、散歩コースが多数あるなど、自然を満喫するには十分な環境が整っています。
そんな茅ヶ崎に、約11年ほど前に渋谷から越してきたという緑川修さん。7年前から運営する美容室「holon」は、約1ヶ月ほど先まで予約が埋まっているという人気店です。
住宅街の一角に突然現れるおしゃれな外観。物珍しさに中を覗いていく人も多くいる。
駐車場の横木に貼り出されたメニュー表。この駐車場を地域のために貸し出すこともあるという。
これだけ支持される理由のひとつに、「地域との関わり」がありました。いまや茅ヶ崎市民の情報拠点にもなっているholonについて、緑川さんは次の通り語ってくれました。
「美容室というのは、限りなく『リアル』な仕事だと思うんです。というのも、今はなんでも『ネット』で手に入る時代です。でもネット上で髪を切ることはできない。直接やりとりができるからこそ、お客さんから地域のことや家族のこと、いろんな話を仕入れられるんですよね」
holonオーナーの緑川修さん。背景に映る緑は裏庭で、この空間は昔八百屋だったという。
「その情報を、今度は別のお客さんに還元する。たとえば、求職中の人が来店したとして、その数日後に働き手を探してる店のオーナーが来る。僕がそれを伝える。もちろん許可をとって、人柄なども伝える。つまり、店が広告媒体の役割を果たすんです」
「だから僕はここを、茅ヶ崎のリアルフェイスブックだと思っているんです。holonのもとにたくさんの情報が集まって蓄積する。仕事だけじゃなく、生活や防災も。それを適材適所に還元していく。このように『まちのタイムライン』でいられたらいいなと思います」
▼ オシャレを追求するだけが美容師じゃない。人々の生活に根付いていくことが、最も大事な仕事。
はじめこそお客さんは疎らだったものの、こうした情報が地域に伝わっていき、新たなお客さんが来店。そのお客さんが家に帰って話し、別の世代の家族が来店する。このような循環がつづき、holonは茅ヶ崎に欠かせない存在となりました。
しかし、このような設計はあらかじめ組まれていたわけではありません。そもそも緑川さんはholonをオープンするまで、原宿で美容室を経営していた美容師。しかしサーフィンにはまったことなどをきっかけに、茅ヶ崎に移住しました。
月に150人ほど持つという緑川さん。原宿時代からお客さんとのコミュニケーションを何より重視している。
その後も一時間以上かけて原宿に通うなど、まさに茅ヶ崎をベッドタウンとして活用していたのですが、あることをきっかけに茅ヶ崎に店を出そうと決心したそうです。
「東日本大地震はやはり大きかったです。当時原宿ではファッションの最先端を追い求めていました。そんななかで仮に震災が起こって、茅ヶ崎にいる家族を助けることができず、僕のもとにはファッションが残る。それのなにに意味があるのだろうと」
「そうしたことから『職住接近』を意識し始めました。いまでは仮に茅ヶ崎が震災に襲われても、僕の子供が路上をさまよっていれば、近所の人は『あ、あの美容室の子供だ』と分かってくれると思うんです。逆のパターンで、僕も『あの家のあの人の子だ』と分かる。こうした感覚は原宿時代にはありませんでした」
店入口には、近隣の商店や飲食店の情報が配架されている。
地道に地域との交流を続け、いまでは、七五三や卒業式、成人式など、いわゆる「ハレの日」に携わることも増えてきたというholon。徐々に地域の根幹に入り込んでいくうちに、緑川さんはあることに気づいたと言います。
「美容師ってオシャレを追求するだけじゃなくて、人々の生活に根付いていく職業なんじゃないかって思うようになったんですよ。容姿っていうのはその人の人生に大きく関わることですし、だからこそそれを他人の手に委ねるというのはとても『信頼』がいること」
「その『信頼』を獲得するには、やっぱり『リアル』であることが大事で。その『リアル』を最大限に活用するのが『コミュニケーション』。だからうちは、1人のお客さんにかける時間が他に比べても長いんですよね」
▼ 美容師過多の時代だからこそ、「価格」ではなく「信頼」で競う。
このように美容室の新たなあり方を追求する緑川さんのもとには、他美容室から「お客さんが入らない」「全然儲からない」といった声が多く届くと言います。
厚生労働省が公表した平成29年度衛生行政報告によると、美容室の数は、前年比約1.7%増の24万7,578店舗と、過去最高を記録。経済産業省の平成29年度商業動態統計によると、コンビニエンスストアの店舗数が5万6,374軒なので、美容室がいかに多いかが分かります。
このような背景があるからこそ、他店舗と差をつけるために「コミュニケーション」が必要だと、緑川さんは語ります。
「最近では駅中に1,000円カットができたりと、より安価に、手近に、とコンビニ感覚になってきています。客数を増やしたいのなら、1人あたりの時間を減らして安価にするという考えは当然です。でもそうすると、その店で髪を切る意味が『価格』だけになってしまいます」
「だけどそうすると、より安いところができたらそっちに行こうとなり、リピーターがなかなか生まれない。だからこそ、そこでしかないもの、つまり『信頼』をつくる必要があるんです」
「髪を1センチ切るだけのカットだとしても、なぜ1センチなのか、そこにはどういう背景があるのか、とその人自身を探っていきます。そうするとじゃあ1センチじゃなくてもいっか、それなら髪色を変えたほうがいいと様々な提案が生まれ、やがては『信頼』につながります」
こうして地域と信頼関係を結んでいったholonですが、最近では美容室という空間自体を、地域のために利用することも増えてきたと言います。
ヨガ教室のために貸し出したり、100%サワードゥ酵母のパンを駐車場で販売してもらったりと、「美容」以外のものへと広がりを見せているんです。
駐車場を利用して100%サワードゥ酵母のパンを販売。実際に販売しているのは緑川さんの知人。
思想に共感でき、かつそれが地域のためになれば空間をシェアすることも厭わないholon。最後に緑川さんは、holonの最終的な理想の姿について語ってくれました。
「サインポールが回ってる、いわゆる昔ながらの床屋さん、みたいなのに行きつくんじゃないかなと思います。テレビを見ながら新聞を読んで、お客さんが来たら『はいはいー』と言って出ていく。あれこそ『リアル』で、まさに美容室の本当のあり方な気がするんです」
広告媒体に掲載することなく、口コミだけで広がっていく茅ヶ崎の情報拠点「holon」。海風薫る湘南の美容室に、今日もまちの情報がたくさん集まってきます。
【取材協力】
holon 代表/緑川 修さん
【アクセス】
神奈川県茅ヶ崎市赤松町13-56
JR辻堂駅より徒歩10分ほど
著者:清水翔太 2019/7/4 (執筆当時の情報に基づいています)
※本記事はライターの取材および見解に基づくものであり、ハウスコム社の立場、戦略、意見を代表するものではない場合があります。あらかじめご了承ください。