子どものやりたい映画をつくる chigasaki kodomo cinema。参加できる大人は「子どもに口出しをしないで見守れる人」。

昭和11年、松竹が撮影所を蒲田から大船に移転したことをきっかけに、海辺の静かなまち、茅ケ崎に、映画関係者をはじめとする多くの文化人が移り住むようになりました。

『東京物語』などで知られる小津安二郎監督が当時定宿としていた「茅ケ崎館」には、10年ほど前から、是枝裕和監督も脚本を書きに訪れているそうです。

茅ヶ崎のお店には、小津監督やノンフィクション作家の開高健さんが飲み歩いた逸話が今も残る。サザンオールスターズの桑田佳祐さんのご実家が経営されている映画館もあった。

映画にゆかりの深いまちとなった茅ヶ崎で、3年前に立ち上がったのが、市民ボランティアによって運営されている「chigasaki kodomo cinema」。

正式に募集を始めた2018年、定員10名の子どもに対して30名弱の大人が集まり、7日間という時間の中で子どもが自分たちで映画を制作して上映するまでを支えたそうです。

小学生から参加者を募って、7月から9月にかけて映画をつくる。2019年度は一泊の合宿も追加される予定。

どのようなきっかけがあって「chigasaki kodomo cinema」がスタートしたのか。

「chigasaki kodomo cinema」で共同代表を務める山口さんと西村さんはそもそも茅ヶ崎で開催されている「茅ヶ崎映画祭」の実行委員ではありましたが、「最初から『子どもに映画をつくらせたい』ということではなかった」と、次のように言いました。

「『こうやるんだよ』って大人が教えたら子供はできる。教えないで、ものをつくらせるにはどうしたらいいの?何をしたら子どもが自分で考えるようになるんだろう?と考えていった中で、その一つとして『映画をつくる』というのがあったんです。」

「もともと、自分で物事を考える人が少ないなっていう話をしていて。子どもというより大人が、ですね。どうやって育ったらそういう大人にならないんだろう。誰かにやらされるのではなくて、自分たちでやろうという大人がこのまちに増えていったらいいなぁと思っていたんです。」

まずは、大人で素人の自分たちで映画のワンシーンを撮ってみようとなり、そこで「映画をつくる」ということの手応えを得た山口さんや西村さんたちは、本格的にプロジェクトを進めていきました。

▼ 親の目を気にせず、子どもたちをニコニコさせられたら合格



「chigasaki kodomo cinema」共同代表の西村誠さん(上)と山口理紗子さん(下)。

こうして生まれた「chigasaki kodomo cinema」にボランティアとして入ることができる大人は、「子どもに口出しをしないで見守れる人」。

実施にあたり、子どもの見守り方を議論してつくられたという資料を見せていただくと、「答えは言わない」「大人が前のめりになりすぎない」「風に吹かれていきそうな子をチェックしておく」など、大人が先に立たない方法の数々が、リストアップされていました。

じっと見守るボランティアの職業は、映像作家・WEBデザイナー・学芸員・カフェ経営・絵本作家・幼稚園先生・カメラマン・市役所職員・病院職員・映画監督・メディア関係者など、バラバラ。

参加する子どもの親御さんにおいても、朝、子どもを集合場所に送ったあとはその場に残らず、すぐに帰ってもらっているのだそうです。

西村さんはその理由を次のように言います。

「保護者の干渉をなくしたいんです。親は子どもを送ったあともずっと見ていたいんでしょうけど、『もう帰ってください』とこちらから言うんですね。朝預けたら夕方5時に迎えに来てくださいっていうプログラム。親の目を気にしちゃうから、子どもは。」

「笑顔じゃなかった子どもが笑顔になる。親の目も気にせずに、子どもたちをニコニコさせられたら合格だと思います。」

「chigasaki kodomo cinema」の活動拠点となっている茅ヶ崎の和食居酒屋「Que」(ケ)にて。

一番大変なのは顔合わせの後の企画会議で、子どもたちはまず、シナリオづくりからスタートするわけですが、男女混合でしかも初めて会う同士。一つのストーリーにすんなりとまとまるわけもなく、言い合いになって泣き出す子もあるそうです。

そうした子どもたちの様子に反応して、全員が見守り役をつとめているボランティアの大人たちも、「どこまでいったら口を出す?」「今止めに入っちゃいけないと思うんだけど。」など、裏で喧嘩になっているのだとか…。

映画をつくる過程では、長い時間を割いて、いろんな作業があってお互いを知ることができるのだと、山口さんは次のように言いました。

「とても静かな子がいて、意見を言う感じもないし、どうしようかって言っていたんですけど。でも、撮影に入ったらその子が生き生きし出したんです。女優さんになりたいという夢持っている子だったんですね。」

「出番がいろいろあるんだなって思います。自分の思ってることを伝えるのが上手じゃなくても、『監督になりたい』と名乗り出た子もいました。いくらボソボソ言っていても、『今監督がなんか言ったぞ』と、その子の言葉をみんなが拾って、『そうだね』『そうじゃないんじゃない?』って、また議論が始まるんです。」

▼ 映画は記憶を刻むもの。記憶がどんどん刻まれていったら、まちは心の拠り所になる。

日本には古くから、子どもの背中から悪いものが入ってこないように、背中に印をつけるおまじないがあった。その「背守り」からヒントを得てつくった「chigasaki kodomo cinema」Tシャツ。

カメラを持ってまちに出た子どもたちは、地図などを持たず、自分の足で映画のロケ地を探して選び、映画を撮ります。

茅ヶ崎市美術館にあった煉瓦積みの壁は子どもたちの映画の中で神殿になり、ただの地下道は宇宙へのワープゾーンになり…。

映画をツールとして、まちを自分なりに開拓していく子どもたちを見て感じたことを、山口さんは次のように述べていました。

「こうして思い出がまちのあちこちに植え付けられていったら、大人になった時に、子供時代にこういうことをしたなぁと、自分の故郷に帰れる気がしません?心の拠り所というか。」

「chigasaki kodomo cinema」に参加した去年の子どもたちの中には、その思い出を絵にした子、動画にした子、詩にした子、歌にした子もいた。

シナリオづくりや担当決めの会議から、ロケ、編集、上映まで、「chigasaki kodomo cinema」のボランティア以外にも茅ヶ崎のまちの人々が、あちらこちらで子どもたちに協力をしてくれるそうです。

例えば、6つの飲食店がそれぞれにアイデアを出し合ってロケ弁を開発してくれたり、最終日には「ご苦労様」と子どもたちにケーキをプレゼントしてくれたまちのケーキ屋さんもありました。

また、茅ヶ崎にあるイオンシネマも、営業時間前に一番大きいスクリーンを使わせてくれて、子どもたちがつくった映画の試写会が実現したのです。



老舗の仕出し弁当工場をリノベーションしたゲストハウスを会場にして、「第1回ちがさきこども映画祭」を開催。自分たちの映画を上映されることになり、子どもたちは、企画、宣伝、飾り付け、露店の売り子まで主体的に取り組みました。

「記憶をどんどん刻んでいくっていう空間が、まちにあったらいいですよね。『chigasaki kodomo cinema』によって、空間の使い方、まちの使い方を茅ヶ崎の人に伝えられるかもしれない。」と語る、山口さんと西村さん。

昨年、完成した映画の上映会で、舞台挨拶に臨んだ子どもたちからは自分たちのことばかりでなく、「協力なしではできませんでした。」「たくさんの人に見てもらってよかったです。」という言葉が聞かれたそうです。

「みんな、死ななければ何やってもいいから。」と初対面で言われて驚いていたのが嘘のように、プログラムを終えた子どもたちの表情は、初めて出会った時と全然違って見えたと、お二人は顔をほころばせていました。



「10年後の目標は、ベルリン国際映画祭に子どもたちを連れて行くこと」

これから「chigasaki kodomo cinema」を10年続けていって、参加した子どもの数が100人を超えた時、茅ヶ崎は子どもたちやまちの人にとっては聖地だらけの、映画のまちになっているはずです。

⬛️取材協力

「chigasaki kodomo cinema」共同代表 山口理紗子さん、西村誠さん


著者:関希実子・早川直輝 2019/8/15 (執筆当時の情報に基づいています)
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