ポジティブだけれど、哀しみを受け入れる、高崎の街。「とりあえず熱燗。それから煮込みと地ビールで、ゆるゆると酔う」

多くの人が毎日のように手にするビール。全国的に同じものが大量に消費されてきたのには、かつては、年間最低製造量2,000キロリットル(およそ大瓶20万本)という条件を満たせる大きなメーカーしかビールをつくれなかったという背景があります。

しかし、酒税法改正により今では小規模なビール製造が可能になり、また、世界的なクラフトビールの人気にも後押しされて、こだわりのビール職人が、全国のあちらこちらで地ビールづくりをするようになりました。

群馬で一番こだわりのある店が集まっている街として一目置かれている高崎市にも、和食の板前さんがビールをつくっているマイクロブルワリー(小規模ビール醸造所)があります。

JR高崎駅からゆっくり歩いて15分ほどのところにある「シンキチ醸造所」。たくさんの豆皿が重ねられたカウンターに腰を下ろすと、無造作に壁に張られたビールのユニークな品書きに思わず目を奪われました。

高崎市若松町にある三軒長屋で営まれている、クラフトビールの飲める居酒屋「シンキチ醸造所」

この日のビールは、「長屋」「柚子のばかたれ」「サワーIPA」の3種。

「『長屋』はうちで一番ノーマルなビールですよ」というのは、「シンキチ醸造所」の店主、堀澤宏之さんです。

二十数年の板前歴を経て、ビールもつくるようになった堀澤さんですが、板前になる前は現代文の講師をしていたこともあり、思わず声に出して読んでみたくなるような名前のビールが並びます。

様々な副原料が使えるビールづくりは自由度がものすごく高い。「シンキチ醸造所」では地域のイチゴやスイカ、フキノトウなどを副原料に用いたビールもつくっている。インドで飲むチャイが美味しい、というように、この街で飲むこのビールが美味しいという地ビール屋でありたい。

どのようにビールのネーミングをされているのか堀澤さんに尋ねると、次のような答えが返ってきました。

「思考を停止させたくない、というのが一つですね。あそこに横文字でズラッと品書きがあったら、お客さんは思考停止すると思うんですよ。そうならずに『なんだろう?』って次を考えさせたい。」

「それと合わせて、負担がない、ということも大事。ものすごくインパクトがあるけれど、読んでいて聞いていて嫌な気持ちになる言葉っていうのもたくさんあるじゃないですか。人が嫌な思いをするのも、人からうざいと思われるのも嫌なんです。思考を停止させたくない、負担がない、というところでさじ加減しながら名前をつけていますね。」

▼ 料理人だから、「食べながら飲む、飲みながら食べる」ビールをつくりたかった



“ビール”というと大手メーカーのCMなどにもあるような、飲み会の席、お風呂上がりなどにビール単体でグイッと飲み干すイメージがあります。

しかしながら、板前である堀澤さんのつくるビールは、おしんこや煮っころがしとともに味わうビール。それがどのようなビールなのか、堀澤さんは次のようにお話されていました。

「家庭でつくるような和食の料理ってあるじゃないですか。肉じゃが、筑前煮、鶏の照り焼き、サバの味噌煮とか。そうした和食に合うのは日本酒です。」

「うちでは熱燗にして料理と飲むと美味しい日本酒を置いてます。お客さんはほぼ100%、まずはビールを飲まれるんですけど、熱燗から飲む方がおすすめです。一番最初に飲む熱燗が美味しいというのもありますが、アルコール度数が高い日本酒は、飲むと水分を持っていかれるんですね。そこでアルコール度数の低い、ゆるゆる飲める麦茶みたいなビールを飲む。これが美味しいんですよ。」



日本酒のスタンダードではないという、温めて美味しくなる日本酒を揃えています。発酵を途中で止めている多くの日本酒と異なる、完全発酵系。甘みのある和食の料理によく合うといいます。

『とりあえずビール』より、『とりあえず熱燗』という堀澤さん。

「シンキチ醸造所」のメニューに順位をつけるなら、日本酒、料理、ビールの順で、ビールは3番目くらいになるとのこと。

そんな堀澤さんのビールは、和食に合うよう苦味と炭酸が抑えられており、「日本酒が好きで…」という方や、「ビールはあまり得意じゃなかったけど」という方によく好まれるそうです。

▼ ナイーブな人が多い高崎で、お酒を飲みにくるお客さんの尊厳を“一時預かり”する



二十代の頃、最初に持った自分のお店は割烹料理店だったという堀澤さんですが、料理をつくる仕事でありながら、お酒を提供するということにどんどん興味がシフトしていったそうです。

「お客さんが店に入ってきた時とは少し違う雰囲気でリラックスして酔っていく。そこに興味を持ったんでしょうね。」

「飲食業ってある面においては『お客さんの尊厳を預かる』って言う仕事だと思ってるんですよ。平たく言えば、みんな、肩の荷を下ろしたくて飲みにくると思うんですよ。仕事とか家庭とかのものをふっと下ろせると言うか…一時預かりしてくれるのが、飲み屋だと思うんですね。」

「自分もお酒が好きで、人生で常にお酒がいた。それによってしくじったこともたくさんありますけど、お酒があったから、ここまでしのいで来られた、人生を。それは確実。」

堀澤さん「お酒飲んでいて『酔ってきた』というのがわかる瞬間ってあるじゃないですか。そのとき幸せじゃない?肩の荷を下ろせた瞬間だと思うんですよね。」

「お酒を飲まずに仕事ばっかりできるかっていうと、到底できる人間ではない。お酒には、『ありがとう』しかない」と、堀澤さんはこれまでを振り返ります。

そして、住んで5、6年になる、この高崎の地ビール屋になりたいと、次のように言葉を続けました。

「ずっと居心地がいいんですね、高崎に住んで。なんでだろうって考えると、一番しっくりくる答えは、結局、人なんですよね。街がどうこうというのじゃない。あの人と、あの人と、あの人と…っていうのが浮かんで、だからこの街が好きなんだなって思います。」

「その思い浮かぶ人たちに共通するものってなんだろうと考えると、ナイーブ。高崎にはナイーブな人が多いんです。ポジティブなんですけど、哀しいということがわかる人たちが多い。わかろうとしている若者たちが多い。自信を持ってそれを誇っています。」

堀澤さん「この街はとても居心地がいい。でも、『あの人たちが全員いない高崎だったらどうだろう?』って考えると、多分そうでもないんですよ」

「やっぱりナイーブな人であればあるほど、大変なこともたくさんあると思う。その人がビールを飲んで肩の荷を降ろしてくれているのを見たときに。そのときですよね、『お疲れさま』と思います。」

ナイーブな人が多く、違うものも認めようとする力のようなものがあるという高崎の街。

「シンキチ醸造所」のクラフトビールは同じビールでも、できたての頃、終わりの頃、と味わいが違かったりするそうですが、それもお客さんは「これはちょうど終わる頃がいいね」と言ったりしながら、その時々の味わいを楽しんでくれているそうです。



同じような規模の都市で同じような醸造所をやってるところが全国でいくつもある中で、高崎では明らかに違うと感じるのは、何人もの同業者が「シンキチ醸造所」のビールをつないでくれているところだといいます。

最後に、ネーミングセンス豊かな堀澤さんに、「『シンキチ醸造所』でのビールの飲み方にコピーをつけるなら?」と問いかけてみたところ、「地味でいいんだ」という答えが聞こえてきました。

勢いよく飲むビールで渇きを癒すのではなく、ゆるゆると飲むビールに心が癒される。

哀しみを受けとめながら日々暮らしの中で飲むビールとは、そうあるものなのかもしれません。


⬛︎取材協力

「シンキチ醸造所」店主 堀澤宏之さん


著者:関希実子・早川直輝 2019/9/24 (執筆当時の情報に基づいています)
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