大量生産時代に生まれた団地で、大量生産以前に生まれたものを救出する「僕らにとって、ものは保護対象なんです」

小田急沿線の駅の中で、1日あたりの平均乗降人数ナンバーワンの駅は新宿ですが、続く第2位は、下北沢でも代々木上原でもなく、東京都町田市の町田駅です。

それもそのはず、周りを6つの市に囲まれた町田市は、横浜市や川崎市方面、東京都心へとつながる線路や幹線道路が巡らされた交通の要所になっているのです。

▼ ベビーブームの時代にベビー服を売り、バブル期に入ったら、社交ダンスの洋品店をやっていました



現在では人口が42万人にまで膨らんでいるという町田市ですが、街で暮らす人が増えた背景には、60年代に町田市で団地の建設が著しく進み、若い世代が流入して子どもが増えていったということがあります。

そうした団地の一つである鶴川団地で、団地の中の商店街に「夜もすがら骨董店」という骨董喫茶が、2017年にオープンしました。

昔は子どもが溢れ、あちこちのお店でお菓子やみかんをもらい歩いていた。徐々に訪問介護の事務所などが増えてきたという鶴川団地の商店街。懐かしいポスターの貼られたお店が残る。

老朽化が進み建て替えの話も出ている鶴川団地で、この商店街唯一の3代目となるのが、店主の加藤翔太さんです。

次のようにお店の変遷をお話してくれました。

「ここの商店街ができた頃が、ベビーブームだったんです。それで祖父母はベビー服のお店を始めました。10年くらいはベビー服を扱っていたのですが、近隣に住まわれる方の層が変わってきたのに伴って、本人たちの趣味も兼ねて社交ダンスの洋品店へと移行しました。」

「そこからまた10年くらいたって祖父が亡くなり、叔母が雑貨店をすることになったんですね。そのあとは、僕の母が着物屋をしています。」

おおよそ10年くらいのスパンで時代の流れとともにお店が変わっていった鶴川団地商店街。

最初は着物屋で古道具を扱う商売を始めた加藤さんも、目の前の居酒屋が空き店舗になったタイミングで着物屋を出て、厨房設備を活用した骨董喫茶を始めることになりました。

▼ だれかに長く使われていた“痕跡”のあるものを集める。「100年の時を駆けて、人とつながる」

取材中も「友達連れてきたよー」と常連さんが訪れた。喫茶の方は、加藤さんの奥さんが切り盛りしている。

お店で扱っているものは、大正から昭和初期くらいの、西洋を意識し始めたころ〜大量生産時代以前の古道具がメイン。

その理由を、加藤さんは次のように言います。

「大量生産の時代の前のものの方が、ものがしっかりしているし、デザインも今のものにはない魅力があると思いますね。これはナショナルの扇風機なのですが、年代でいうと昭和30年代のもので、羽は金属です。現役で使っていますよ。」

「ものがそんなに作れない時代のものは、一個一個がしっかりしている。買い直すことを前提としていないんですね。今は『壊れたらまた買えばいいや』っていう発想ですけれど、そうじゃない時代のものの方が魅力は大きいかなって思います。」



そんな「夜もすがら骨董店」では、喫茶のメニューにおいても明治後期から昭和初期くらいまでを意識した“純喫茶”のラインナップが再現されています。

アイスクリン、ミルクセーキ、ナポリタン、ピザトースト、クリームソーダ…。

「以前、着物屋を間借りして骨董の商売をしていた頃は骨董好きな人しか来なかったので、50代の男性とか、ちょっと上の層の方が多かったんです。飲食始めてからは家族づれで赤ちゃんがいたりする方もいますし、本当に幅広くなりましたよね。」

若者もファミリーも訪れるようになった「夜もすがら骨董店」のお客さんにはどんな方が多いのか、加藤さんに聞いてみたところ返ってきたのは、「『みんながいいって言うからいい』っていうのとは、別の次元のものの見方をする人が多いですかね」という答えでした。



加藤さんは次のように続けます。

「うちは特に古道具がメインなので、実際に生活の中で使われていたものが多いんです。その痕跡があって、例えば椅子一個にしても角が擦れていて、『これを使っていた人はいつもここに手をかけていたんだろうな』とか。そういう想像も好きで、楽しいと思っています。」

「僕個人としては骨董の魅力って、絶対に誰かが使ってたものであって、それが残っていること。古いものだと100年単位で時間を超えて残っているので、今はいないであろう人たちとも繋がれている気がするんです。」

傷一個でも、「ボロい」って思うか、「味わいがある」って思うか。

「人が使っていたものなんて気持ち悪いっていう見方もあると思いますけど、僕にはそれがすごい魅力的で、店にめぐりついた品物をまた誰かが買っていくっていう、その受け渡し役をしていると思っています。」

お店で出会ったものを部屋にしつらえて、その写真を撮って送ってくれるお客さんもあり、そんな時に加藤さんは、『いい人に嫁いだな』と嬉しい気持ちになるのだそうです。

▼ 白洲正子の暮らした街、鶴川「黙っていると、ものが語りかけてくる」



実は鶴川の街には、骨董の目利きとして知られる白洲正子さんが暮らした「武相荘」(ぶあいそう)があります。

「武相荘」の館長が「夜もすがら骨董店」のお客さんだったこともあって、加藤さんは武相荘で定期的に開かれている骨董市に出店したりもしています。

同じ街の中に、骨董を愛した白洲正子の家もあり、骨董を通じた地域のつながりがある。

「骨董というのは人間と同じように、付き合わなくちゃならない。黙っていると語りかけてくるのよ。」

鶴川で骨董とともに暮らした白洲正子さんはそう言っていたそうですが、加藤さんも、人間同士のように骨董との付き合いの中にも惹き合う“周波数”のようなものがあるのだとして、次のようにお話しされていました。

「“空気”というか…。古さとかデザインとかで単純に説明できない、ものがまとった雰囲気に惹かれますね。人がどう生きてきたかによって違うように、ものも、この年代だからいいかといったら一概にそうじゃない。そのものの空気を、僕が感じられなくても別の人は感じたり、そこが“周波数”かなと思う。合う合わないという。」

「一番嫌なのは何も見出されずに捨てられちゃうこと。僕らにとって、ものは保護対象なんですよね。なるべく救出したいなと思います。なんでもいいから少しでも先に誰かに渡していきたいという思いがある。」

周波数で惹き合うものを見つけたお客さんから、「すごい気に入ってます」と写真やメッセージが届く。

例えば、蓄音機好きなお客さんと音楽好きなお客さんがお店で出会って、レコードの話で盛り上がったりすることがよくあるという「夜もすがら骨董店」。

周波数が重なるものだけでなく、“同志”まで得て常連になったお客さんも少なくありません。

市が生まれてからの60年、急速に街を発展させてきた町田市の中で、大量生産時代に生まれた団地の商店街では、一つ一つのもの、一人一人の人とじっくり付き合う暮らしへと、時間が巻き戻りながら流れています。


■取材協力

「夜もすがら骨董店」加藤翔太さん

小田急小田原線「鶴川駅」から 小田急バス/神奈川中央交通バス「センター前」下車 徒歩1分


著者:関希実子・高橋将人 2019/12/19 (執筆当時の情報に基づいています)
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