板橋の呉服屋店主が発行する地域誌”きものしんぶん”。「簡単なものが愛される時代に、あえて”和”の奥深さを伝えたい」

東京23区の北西部に位置し、その一部が埼玉県に接する板橋区。都心へのアクセスも良く、一方で長閑な街並みが広がる生活都市です。

そんな板橋のなかでも比較的新しく、住みやすいエリアとして知られる高島平というまちでは、「高島平きものしんぶん」と名付けられた地域新聞が各世帯に流通しています。

その名の通り、成人式や花火大会など、「着物」や「和」に関わる情報が多く掲載されている一方、まちで起きた日常的な出来事も掲載されているきものしんぶん。

年3〜4回発行されているきものしんぶん。主に季節の催事やまちの出来事等について掲載している。

きものしんぶんの編集長・三井真さんが営む「呉服や光永」の暖簾。

これを流通させているのは、出版社やメディアではなく、ごく普通の呉服屋の店主。一般の新聞の中に折込むことで、高島平の人口の半数近くに当たる2万6千部を流通させ、「読者=住人」と言えるほどの知名度を誇っています。

きものしんぶんを発行している「呉服や光永」の店主・三井真さんは、この取り組みを始めた理由を、次の通り語ってくれました。

「一番大きい理由は、“和の文化”の継承です。効率が求められ、手間がかからない世の中になってきているなかで、礼儀や作法を重んじる “和”というのは多くの人に面倒臭いと感じられて、なかなか受け入れられにくくなっている」

取材を受けて頂いた三井真さん。 きものしんぶんは各世帯への配布以外にも、信用金庫や郵便局など関係機関への配架等も行っているという。

「だから、伝承されていくべき“和”の文化をできるだけ拾い上げて伝えていきたいなと。成人式、節分祭、卒業式、花火大会、そういった季節の催し物や、日常の小さな“和”に関する出来事について取材やレポートをしてお届けしています」

年4回ほど発行されるきものしんぶん。まちの事業者の広告情報も掲載していて、その多くが、葬儀屋などの冠婚葬祭に関わるものや、手打ちそば屋やふとん屋など、やはり“和”に関わるもの。

和の文化の継承と同時に、自身の呉服店、また和に関わる他店の情報も合わせて、総合的に家庭に届けていくのが役目なのだそうです。

▼ インターネットと呉服店の相性は悪くない。「”和”の敷居の高さには、ネットのハードルの低さが役に立つ」



とはいえ、インターネットが世間に浸透し、新聞も電子媒体に対応していくなど、とにかく電子化を免れることが難しい昨今。そのようななかでも、紙で刷り続ける理由を、三井さんは次のように語ってくれました。

「新聞というのは、家庭のなかまで入り込める数少ない媒体なんです。例えばスマホだと“個人の持ち物”という認識が強いですが、新聞は“各家庭の持ち物”。テーブルに置かれたりなんかして、家族共通の話題になることもある」

1985年創刊のきものしんぶん。2万6千部のうち2万5千部は、新聞折込みだそう。

「昔は親が子に着物の着方を教えたり、と家庭のなかで和が引き継がれていくというのは当たり前のことだったんです。現代ではそれがないものですから、新聞でそういった役割を果たせればいいかなあと」

その一方で、「インターネット」と「和」という一見相入れないように見える両者について、三井さんは、相性が悪いものではないと、以下のように語ってくれました。

インターネットが和について全て知っているわけではないけど、“入り口”にはなる。ネットで興味を持って、リアルな、例えばうちのような呉服店に足を運ぶ。という流れは確かにあるんです」

「ネットとリアルというのは、常に相互補完し合っている。例えばネットでは着物など和に関するものが安く買えます。もちろん呉服店のようなリアルなところに比べたら格段に安い」



「でもそれはあくまで“物”を売っているという意味で、“ハード面”でしかない。着方などのマナー、その背景にある文化、といった“ソフト面”はリアルな店舗の強み。そういう意味で、補完関係にもあるんですね」

この“ソフト面”というのは、呉服店を語るうえで重要なキーワードだと言います。三井さんいわく、呉服店は、およそ人口10万人に一軒ほど。高島平にも「呉服や光永」のみだそうです。

だからこそ、地域にとっては貴重な存在であり、特に冠婚葬祭などの際には頼りになる呉服店。住民の人生の節目節目に立ち会うからこそ、呉服店は“まちの相談所”のような、もはや“和”以外でも頼られる存在になるといいます。

”和”は”手間”である一方、その”手間”こそが記憶に残るきっかけになるという。

ここ「呉服や光永」でも、着物を通してさまざまな相談があると、三井さんは以下のように語ってくれました。

「誰々が亡くなったから葬儀屋を紹介してくれ、とかそういった冠婚葬祭に関わることから、旦那と喧嘩したとか、子供に誰かいい人はいないか、とか個人的な話まで色々です」

「僕個人で解決できる場合は、その場で答えたりしますが、難しい場合もある。その際は、誰かを紹介することもあります。そういうときに、きものしんぶんで培った地域のネットワークが活きますよね」

▼ ”和”はルールが多く、手間がかかって価格も高い。現代の流れとは正反対ゆえに、それが価値になる



このように、長い時間かけて住民と深いコミュニケーションを図ることで、まちに和の文化を継承していった呉服や光永。

しかし昨今では、三井さんの言う通り、簡単なものが増え、手間のかかる“和”がなかなか認知されづらくなっています。衣食住それぞれの観点からみても、ファストファッションが流行り、外国からの輸入食が増え、のある住居は少なく、ほとんどがフローリングになっている現在。

そうしたある種の逆境のなかでも、“和”というものを広めていきたいと強く思う理由について、三井さんは以下の通り話してくれました。

「やっぱり“和”の最大の魅力というのは、“奥深さ”なんですよね。“簡単”や“便利”といったこととは真逆の良さ」



「例えば着物ひとつとってもそう。素材が絹だとすれば、もとは蚕ですから、生糸を染めたり織ったりして生地にする。これに関わる染色や刺繍などの加工の世界も奥が深い。もっと深く掘ると、蚕だって、なんであれが糸を吐くか誰も解明できていない」

「つまり、“和”を突き詰めると“神秘”に行き着くんです。誰も“和”を定義できない。合理化された世の中だからこそ、その奥ゆかしさが魅力だなあと」



「呉服や光永」のある高島平は、三井さんいわく「コンパクトシティ」。教育機関、病院、図書館、行政機関、都立公園等が一箇所に集う地です。

東京の片隅、板橋区高島平で伝承されていく“和”の文化。三井さんは着物を着ることについて「最初はコスプレ感覚でもいい」と話します。

ネットを入り口にして、まずは和に興味を持つ。より知りたくなって、リアル店舗に足を運ぶ。このような循環がうまく回り始めれば、より多世代に“和”が伝承されていくのかもしれまん。

【取材協力】

呉服や光永/店主 

高島平きものしんぶん/発行人・編集者 三井 真さん

【アクセス】

東京都板橋区高島平1-52-12

都営地下鉄三田線「西台駅」から徒歩5分ほど


著者:清水翔太 2020/2/4 (執筆当時の情報に基づいています)
※本記事はライターの取材および見解に基づくものであり、ハウスコム社の立場、戦略、意見を代表するものではない場合があります。あらかじめご了承ください。