ライブハウスを、地域に解放する。老若男女が集まるまちの遊び場「溝ノ口劇場」。
人口150万人の都市、川崎。東京へのアクセスが良い好立地タウンとしての一面、また京浜工業地帯などの産業地としての一面が注目されますが、じつは「音楽のまち」でもあります。
2004年から音楽を通したまちづくりを進めてきた川崎市。もともと音楽大学がいくつかあり、また、まちを上げて音楽祭なども開いてきましたが、同年にそのシンボルとなる巨大シンフォニーホール「ミューザ川崎」をオープンさせて以来、その動きが大きく加速しました。
そうしたなか2017年、地元密着型のライブハウスとしてオープンした「溝ノ口劇場」。いわゆるバンドマンだけが使うのではなく、地元の“おじさんバンド”や普通のカラオケとして、果ては幼稚園の謝恩会などにも使われたりと、地域に対して広く門戸を開いています。
溝ノ口駅(武蔵溝の口駅)から徒歩5分ほどの位置にある溝ノ口劇場。老若男女問わず地元のバンドが数多く舞台に立つ。(提供:溝ノ口劇場)
地域では「みぞげき」の愛称で親しまれ、行政のイベントでも活用されるなど、まさに「まちの遊び場」ともなっているようです。
▼ 黒くて怪しくて、不透明なライブハウス。そんな分かりづらい場所ほど、まちに解放していくべき
(提供:溝ノ口劇場)
同劇場の2代目支配人・MAXさんは、「ライブハウス」という一見地域とはかけ離れた場所を、まちの人々に開かれた存在にしようと考えた理由について、以下のように語ってくれました。
「本来、ライブハウスというのは、地域にとっては“異物”だと思うんです。音が大きくて、イベントのときには行列ができて、なかでは何をやってるのか分からない」
「不透明でブラックボックス的な存在だから、例えばもし音が漏れたりすると、本当に不快感に繋がってしまう。でも逆になかをオープンにすることで、むしろ地域の人に使ってもらうことで、何かあったときにちゃんと話し合える」
「そういう意味で、ライブハウスのような不透明な場所ほど、地域に開かれているべきだと考えたんです」
2代目支配人のMAXさん。”ライブハウスっぽくない”ここの雰囲気に憧れ、いつの間にか支配人になっていたと話す。
「若い人だけ、ミュージシャンだけ、と絞るのではなく、むしろ際限なく開いていく。ライブハウスでありながら“地域のエンターテイメント施設”として機能させたいと思いました。だからうちでは、外観も内装も、ルールも、他とは全く異なるんです」
MAXさんの言う通り、よくイメージされる、全体的に黒く、薄暗く、天井が低く、爆音が響いているというものとはかけ離れている溝ノ口劇場。
白を基調とした溝ノ口劇場。館内はゴミ1つ落ちていなく、また煙草の臭いなども一切しない清潔な空間となっています。またオーナーのこだわりでトイレは4つ設置されています。その数を減らせば舞台の面積も増やせたそうですが「多くの人に安心して使ってもらいたい」との思いから、現在も4室を完備しています。
店の入り口も地下のバーに入るような雰囲気で、白壁に囲まれ、なかも天井が高く、清潔で程よいボリュームの音楽が流れています。館内も完全禁煙で、掲示物もほとんどありません。
そのようなハード面だけでなく、ソフト面、人対人の関係性も、普通のライブハウスとは異なると、MAXさんは語ってくれました。
「通常、ライブハウスって、スタッフとお客さんが接点を持つことはほとんどないんですよ。なぜならそこに音楽というコンテンツがあるから、その両者が結ばれる必要がない。だから『接客』という概念も基本はありません。ただ箱としてそこにあるだけ」
舞台とお客さんの距離は限りなく近い。またときにスタッフも客席で鑑賞しているという。(提供:溝ノ口劇場)
「でもうちでは、『接客』を意識しています。コンテンツを通して、スタッフとお客さんが結ばれる。スタッフが普通に感想を言ったり、一緒に盛り上がったりする」
「とにかく“隔たり”をなくしたいんです。ソフト面でも、ハード面でも、地域と関わるには、こちら側が常に開いている状態である必要があるんです」
通常、一回切りのスポット利用や、短期での利用が多いライブハウスですが、溝ノ口劇場では、長期的、持続的に利用してくれる人が多いと言います。
▼ ライブハウスだからといって、”音楽”だけである必要はない。”エンターテイメント”という幅で多くを受け入れる
(提供:溝ノ口劇場)
そうしたなか、使用者だけでなく、徐々に“コンテンツ”自体の幅も広がってきたそうです。当初は音楽系のイベントが多く開催されていたそうですが、演劇や落語、地元企業のセミナー、主婦たちのベリーダンス教室、とその裾野が広がっていきました。
最近では、地元出身の方の結婚式の2次会や、成人式の打ち上げ、卒寿のお祝いなど、冠婚葬祭に携わることも多くなったと言います。MAXさんはこの広がりについて、以下のようにその想いを語ってくれました。
「変な言い方ですけど、ライブハウスだからといって音楽だけである必要はないと思っています。せっかく大きな箱があるのだから、もっと広義に、“エンターテイメント”という枠で受け入れたほうが、僕らにとっても、地域の人にとっても面白い」
決して大きくない舞台にも関わらず、音響や照明などの設備は一級品。音楽から落語まで、そのセットを柔軟に変形させる。
「特に、未就学児や高齢者など、普段そういった場所と接点が少ない人にとって、人生のいい刺激になるんじゃないかなと思います」
「日本は海外に比べて、まちとエンターテイメントの距離が遠いなと少し思っていて。歌を聴いてほしい、演技を見てほしい、となったとき、そのちょうどいい箱が地域にないことが多いように思います」
これだけ裾野を広げ、さまざまな年齢層を受け入れている溝ノ口劇場ですが、特段大きなトラブルは起きないといいます。その理由について、MAXさんは次のように話してくれました。
「普通ライブハウスって、かなり限定的な存在なんです。音楽だけ、何時間だけ、何人以上何人以下、と白黒はっきりつける性質がある。でもうちは、ある意味で灰色なんです」
「『人数が多いからドリンクの提供が遅くなっちゃうかもしれないけど、その分みんなが楽しめるように頑張るから』と言い合えるような距離感でやってる」
「その距離感があれば、禁止事項を列挙した掲示物もほとんど必要ありません。向こうも自然と規律を守ってくれるし、もし万が一なにかあっても直接話せますから」
2020年川崎市の成人式後の2次会の打ち上げ。かなりの大人数となったが、トラブルなく無事終了。まちの新聞などでも取り上げられた。 (提供:溝ノ口劇場)
最後にMAXさんは今後の展望について語ってくれました。
「最終的にはここをきっかけに、溝の口の人口が増えて、まち自体が発展していけばいいなと思う。溝ノ口劇場で育ちました、みたいな人が現れたりしたらなお嬉しい。赤ちゃんからお年寄りまで、地域に寄り添っていきたい」
いまでは空きコマがほとんどないというほど、まちに愛されている溝ノ口劇場。MAXさんも、以前はここのお客だったといいます。この場所の雰囲気、温かさに惹かれ、いつの間にか支配人になっていたそうです。
地域のエンターテイメントを育てるこの場所は、溝の口、引いては川崎市においても、欠かすことのできない“まちの遊び場”となっています。
【取材協力】
溝ノ口劇場 支配人/MAXさん
【アクセス】
神奈川県川崎市高津区久本3丁目1−5 ミュージション溝の口B1F
東急田園都市線/溝の口駅、JR南武線/武蔵溝の口駅から徒歩5分ほど
著者:清水翔太 2020/3/5 (執筆当時の情報に基づいています)
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