斬新なレストランが次々と生まれる最先端の下町、代々木上原
渋谷や新宿という巨大な街に隣接しつつも、下町のような落ち着いた雰囲気が特徴の街、代々木上原。
戦国時代には、江戸城を築城したことで有名な太田道灌が現在の代々木八幡宮がある場所に砦を築き、その後も明治維新の立役者、財閥の創業者、そして歴代首相や各国の要人など、常に時代を象徴する人々に愛されてきたのが代々木上原の特徴です。
そんな代々木上原には近年、ミュージシャン、建築家、デザイナー、スタイリストなどのクリエイターが続々と集まってくるようになりました。
クリエイターが集まると同時に、1週間に一度しかオープンしないレストランや、寿司屋のようなカウンターで目の前でモンブランを作って提供するスイーツ店など、代々木上原エリアには斬新なレストランが次々と出店するようになったのです。
これまで時代を象徴する人々に親しまれてきた歴史があることから、「代々木上原=富裕層が住む街」というイメージを持つ人は少なくないかもしれません。
しかし、代々木上原と一口に言ってもそのエリアは思いの外広く、代々木上原とは一般的に「上原」「元代々木町」「西原」「大山町」周辺のエリア全体を指します。中でも富裕層が集中しているのは邸宅街として知られる大山町で、実際に街を歩いてみると邸宅街を除けば、いたって庶民的なエリアが大半だと分かります。
そんな代々木上原はもともと人里少ない街で、1927年に小田急小田原線が開通し「代々木上原駅」が設置されたことで、徐々に都心から近い人気の住宅街として認知されるようになった歴史があります。
住宅地として発展してきた歴史があることから、代々木上原には商業地としての個性はほとんど感じられません。決して派手さはなく、どちらかというと素朴な印象が強い代々木上原はどのようにして最先端の「下町」になったのでしょうか。
斬新なレストランや一風変わった営業スタイルのお店が誕生しやすい土地柄と言われる代々木上原。
もともと住宅街として発展してきたこの街には渋谷や新宿にあるような大きなビルはなく、街に点在するお店を覗くと大抵の場合、キッチンと一体となったカウンターがあるお店など、比較的小規模なお店が目立ちます。
何か新しい試みに挑戦する際、小さく始める環境や同じような境遇にある店が近隣に集まっており、なおかつ大資本による脅威がないなど、代々木上原は新しい挑戦をする人にとって余白がある街なのかもしれません。
代々木上原は基本的に衣食住の全てが揃う街ではありますが、近隣の渋谷や新宿と比較したときに、どこか物足りなさを感じるのも事実で、街の中で新しい取り組みに挑戦する人たちの様子を見て「自分も何かできそう」と感じさせる空気感は確実に存在します。
そうした「余白」を見つけやすい土地柄に加えて、新しい取り組みを受け止めてくれる代々木上原の住民の存在も大きいのでしょう。
前述したように、代々木上原は常に時代を象徴する人々が好んで移り住んできた土地で、本当に良いものを見極めることができる目も舌も肥えた人々が集まっている街でもあります。
そのため、情報量が多い繁華街では埋もれてしまっても、代々木上原であれば何か価値のある取り組みに挑戦する人やカルチャーがやってきても、住民がそれらを拒絶することなく受け入れ、繁栄していくサイクルが成立しているのでしょう。
そうしたサイクルを実感することができるのが、代々木上原駅から歩いてすぐの場所にある「ファイヤーキングカフェ」です。
ファイヤーキングカフェは代々木上原の人たちに長年愛されているカフェなのですが、ここでは店内の壁面をギャラリーとしてクリエイターたちに開放しており、仮に高価な作品であっても店を訪れる街の住民たちは躊躇なく購入していくと言います。
街のクリエイターたちの作品を購入するわけですから、地元住民たちは投資目的で作品を購入しているのではなく、あくまでも地元のクリエイターを応援したいという気持ちから購入しているわけです。
このように外からやってきたチャレンジャーをしっかりと受け止め、応援する空気感がこの街にはあるということが分かります。
こうして新しい取り組みに挑戦する人たちがこの街に集まることで、街のお店のレベルは底上げされ、特に飲食店に関してはミシュランガイドに掲載される隠れ家的なレストランが10軒近く生まれるなど、新しいカルチャーを育てる雰囲気がこの街にはあるのです。
近年、元倉庫街や工場を再利用してクリエイターが面白い取り組みを行っている街のことを「東京のブルックリン」という言葉で表現することが増えてきましたが、代々木上原は他の街とは異なる文脈でクリエイターたちを引き寄せています。
「挑戦する人」と「応援する人」。その二つが揃って初めて良いものが生まれる。代々木上原の街を歩いているとそう感じずにはいられません。