せんべろの街、赤羽にある「団地」が国の登録有形文化財に選ばれたワケ

横浜や吉祥寺などに並んで「住みたい街ランキング」の常連になりつつある北区・赤羽。

近年では、JR赤羽駅の東口にある赤羽一番街商店街に代表される、1000円でべろべろに酔えるような価格帯の酒場が集まる「せんべろの街」としても広く認知されるようになり、その注目度は年々高まる一方です。

安く飲める歓楽街という側面がある一方で、赤羽は東京を代表するマンモス団地を擁する街でもあり、全国の老朽化した団地が次々と取り壊される中、赤羽台団地は国の登録有形文化財に指定され保存活動が行われています。

実は赤羽がある北区は、足立区、江東区について都内で3番目に団地が多いエリアで、その中で赤羽台団地の保存活動が進められるのは、赤羽台団地が現代日本のライフスタイルの源流を確立したからです。

この街の歴史を遡ると赤羽台団地が登録有形文化財に指定されたワケが見えてきます。



明治時代まで赤羽台の丘には広大な耕作地が広がっており、荒川が近くにあったことから、当時の日本陸軍が訓練地としてこの場所に軍事施設を設置しました。

当時、東京の都心にあった軍用地を郊外に移転させる動きが活発化しており、赤羽エリア周辺には陸軍の火薬倉庫や軍需工場などが移転し、次第に赤羽は軍都として機能するようになったと言います。

赤羽に軍事機能が集積したことで、現在の赤羽駅の東側に陸軍と取引がある工場が作られ、その周辺に商店街や住宅街が作られたことで、もともと何もなかったこの街は軍事施設を中心に栄えるようになりました。

第二次世界大戦において軍都であった赤羽は、空襲の標的にされこのエリアは一面焼け野原になってしまったのですが、赤羽は東北への玄関口であったことから駅周辺には次第に闇市が形成されます。

この闇市は後に現代人に愛される、せんべろ歓楽街「赤羽一番街商店街」へと姿を変えます。



戦後、陸軍の関連施設が集積していた赤羽では、軍事施設の跡地を活用する動きが活発化しはじめ、東京都が再開発を進めました。

1963年(昭和38年)に完成した赤羽台団地は、戸数3300戸と都内初の大規模団地開発で、当時人々から憧れの眼差しを浴びていました。

郊外型の団地が主流だった当時、都市型団地として建設された赤羽台団地は珍しい存在で、さらに単身者向けの1Kからフルファミリー向けの4Kまでバリエーション豊かな部屋が存在していたため、多様性のあるライフスタイルの象徴だったのです。

その人気は非常に高く、赤羽台団地に入居するためには年収の下限制限が設けられ、ある程度の収入がないと住むことができないプレミアム団地のような位置付けでした。



赤羽台団地を建て替えて建設された「ヌーヴェル赤羽台」

現在の日本では国民の10人に1人がマンション住まいで、集合住宅に住むことはごくごく当たり前の時代になりましたが、こうした日本の住まいに大きな影響を与えたのが団地だと言われています。

昭和30年代に日本住宅公団によって郊外に急ピッチで団地が次々と供給されたことで、「ダイニングテーブル」「内風呂」「水洗トイレ」といった新しいライフスタイルが浸透していき、時代とともに日本人の暮らしに合わせてアップデートが繰り返し行われる中で、現代のマンションの間取りや骨格は発案されました。

こうした現代人のライフスタイルを形成する上で欠かせない存在である団地も全国で老朽化が深刻化しており、昭和30年代に建設された団地は全て建て替える計画が進んでいるようです。

そうした中、団地の歴史を後世に残すことを目的に、都内初のマンモス団地である赤羽台団地が国の登録有形文化財に指定され、保存活動が進むようになったのです。



国の登録有形文化財に指定された赤羽台団地を実際に訪れてみると、旧日本陸軍の被服倉庫跡地の道路を再利用したことを思わせる独特の住棟配列が目に飛び込んできます。

また、建物の形も特徴的で今回国の登録有形文化財に指定された42号棟、43号棟、44号棟は、空から見ると星型のように見えることから、俗に「スターハウス」と呼ばれています。

これは団地が建設された当時、団地が規則的に並んでいると単調なイメージになってしまうことから、風景のアクセントとしてスターハウスが建設されたそうです。

スターハウスは全国にいくつかあるものの、建設コストが嵩むことを理由に昭和40年以降は作られておらず、全国に残された数少ないスターハウスは全て取り壊しが決まっているため、将来的に赤羽が唯一スターハウスを見ることができる街になる予定です。



現在、赤羽台団地を建て替えて建設された「ヌーヴェル赤羽台」では、都市再生機構(UR都市機構)と東洋大学が、10年後の団地における新しい暮らしを提案する「HaaS(Housing as a Service」の推進を行っています。

「せんべろの街」や「住みたい街」などいくつもの顔を持つ街、赤羽。現代日本のライフスタイルを形成してきたこの街がこれからの日本のライフスタイルをどのように提案するのか目が離せません。