トヨタと名古屋めしの共通点「名古屋はかけ算で付加価値を生み出す」
味噌煮込みうどん、味噌カツ、ひつまぶし、手羽先、鉄板スパゲティに小倉トーストまで、いわゆる「名古屋めし」の呼び名で全国的に高い知名度を誇るこれらの食べ物。
名古屋めしは全国的に知られているメニューにアレンジを利かせたアイデア料理が特徴で、かつてゲテモノ扱いされていた時期を経て、今では名古屋に人を引き寄せる観光資源の一つとして重要な役割を担うようになりました。
そんな名古屋めしは、戦後長らく衰退していた名古屋の文化を復活させるための一大キャンペーンでもあったのです。
実は名古屋めしには明確な定義があるわけではなく、中には発祥が名古屋ではない料理まで「名古屋めし」のカテゴリーに含まれることが多々あるのですが、実はこれが名古屋めしブランドの「ミソ」でした。
名古屋めしは名古屋の人々によって食べられているものであれば、名古屋が発祥である必要も、地元食材を使っている必要もなく、要するに、誰かが「名古屋めし」と言い始めればそれは名古屋めしになってしまうという特徴があります。
そもそも「名古屋めし」という言葉が生まれたのは2000年に入ってからのこと。
名古屋の外食グループであるゼットンが東京一号店の出店に際して、名古屋の名物を紹介するキーワードとして「名古屋めし」が採用されたことがそもそもの始まりでした。
現在名古屋めしと呼ばれているものは平成初期以前に生まれたものはほとんどなく、言い換えれば、名古屋めしはここ20年ほどで生まれた一つのカルチャーという見方もできるのです。
名古屋が名古屋めしに力を入れるのは、戦後から平成初期までの間の名古屋に街の活気がなかったことにあります。
かつて「日本で最も魅力に欠ける街ランキング」で他の政令指定都市を大きく引き離して名古屋がワーストになったことを覚えている人は少なくないのではないでしょうか。
戦後、焼け野原の名古屋では、将来的なモータリゼーションを見越して、幅が広く直線的な道路を何本も引く都市復興計画が練られ、各地に散らばっていたお墓を昭和区の平和公園に集約するなどして、区画整備を行いました。
その結果、名古屋は車が走りやすい機能的な都市に姿を変えましたが、一方で観光や文化など「街としての面白さ」はないがしろにされてきた歴史があります。
しかし、街としての魅力は都市競争力に直結することから、交通インフラが整備され産業が活発化した名古屋では次なる施策が求められます。それが名古屋めしだったのです。
長年名古屋の産業を支えてきた「ものづくり」は全国屈指の実力で、2019年に公表された愛知県の製造品出荷額は約47兆円と41年連続で全国トップを誇っています。
名古屋(愛知)は自動車産業に特化しているというイメージを持たれがちですが、これまで名古屋の産業を支えてきたのは長い歴史の中で培われた土、木、布、そして金属など複数の産業による融合でした。
江戸時代の名古屋エリアでは、木曽三川で運ばれてきた木材によって歯車といった加工技術が誕生し、その技術は糸を紡ぐ技術と融合することで紡績機械へと発展。ここから愛知県では繊維産業が発達しました。トヨタ自動車も、当初は繊維機械の発明・生産からスタートした企業です。
さらに、名古屋で古くから盛んだった伝統工芸である窯業は自動車産業と融合することによって、現在ではニューセラミックス産業として成長し、自動車のプラグや排出ガス浄化などの分野を担う存在になりました。
つまり名古屋は既存の何かと何かを組み合わせることで価値を創出することが得意な街ということになりますが、実はこれは名古屋めしにも同じことが言えるのです。
他エリアでは見られない特殊なメニューが特徴の名古屋めしですが、実はいずれも既存のメニューとの組み合わせによって成り立っています。
例えば、鉄板スパゲティはとある名古屋の喫茶店関係者が団体旅行でイタリアを訪れた際に、食べている途中で冷めるスパゲッティに不満を抱いたことから、帰国後に全国的に親しまれていたナポリタンを鉄板の上に載せて提供し始めたことで生まれました。
また、小倉トーストに関しても、学生がトーストをぜんざいに浸しながら食べている姿から着想を得て作られたものです。
このように、新しいものと古いもの、海外のものと日本のものなど、あらゆるものを組み合わせながら次々と新しい食べ物が生まれる状況にありながらそれを紹介するすべを名古屋は持ち合わせていませんでした。
しかし、「名古屋めし」という言葉の登場で状況は一変します。
東京や大阪などの都市で食べられていない名古屋の食べ物を全てひっくるめて「名古屋めし」と呼ぶことで、それは一つのジャンルとして確立し、一つのジャンルとして確立すればテレビを始めとしたメディアがこぞって紹介するようになるでしょう。
こうして2000年頃を起点にして、名古屋めしは一気に全国区へとのしあがり、関東と関西を行き来するビジネスマンが道中に名古屋に寄って名古屋めしを口にし始めました。
こうして名古屋は「名古屋めしの街」という新しい顔を見せるようになったのです。
かつて「日本一魅力がない街」と揶揄された名古屋が証明したように、魅力がない街なんて日本中探してもきっとないのでしょう。
もし、魅力がないという言葉に出会ったら気をつけなければなりません。なぜなら、まだ魅力が「発掘」されていないだけなのですから。
2020/10/30 (執筆当時の情報に基づいています)
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