日暮里「最もダサいランキングに選ばれる街こそが、最も進んでいる街である。」
東京で平均利用者がダントツで多いと言われるJR山手線には全29駅(執筆当時)があり、その中の「最もダサい駅ランキング」という調査で西日暮里が「古い」、「やや昭和感」があるという理由で、第5位にランクインしていました。
これはあくまでイメージなので、暮らしやすさや街の人たちの生活の質とは全く関係がありませんが、世の中の変化のスピードがあまりにも速く「古き良き街」、「昭和の香りが漂う街」が美化され、高円寺や下北沢などが年々「住みたい街」の理想像として描かれる中で、この日暮里という街は、それとは少し違った新しい時代の香りを醸し出しているように感じます。
特に、日暮里駅周辺にある谷根千(谷中、根津、千駄木の頭文字を取って「谷根千(やねせん)」)というエリアはニューヨークのブルックリンに代表されるような新しい考えを持つ人たちが食、住まい、そしてファッションなど独自の文化を形成している街であり、これからは東京の中でも、渋谷や新宿の二次的な存在ではなく、東京の文化を語る上で欠かせない存在としてメインストリーム文化に大きな影響を与えていく場所となっていくことでしょう。
谷根千で暮らす人たちは、自分の居場所を持つこだわりが強く、むしろルーズな感覚を持つ人の方が街の人は仲良くしてくれ、厳格なルールを持つ人はこの場所になかなか馴染めないと言います。(1)
また、日暮里周辺は夏目漱石、森鴎外、そして、明治時代を代表する文学者、正岡子規が住んだ文豪の街としても知られ、特に「吾輩は猫である」を日暮里周辺の千駄木という場所で書いた夏目漱石は「漱石が熊本で死んだら熊本の漱石で、漱石が英国で死んだら英国の漱石である。漱石が千駄木で 死ねば又千駄木の漱石で終る」という言葉を残しており、なぜか熊本、英国という場所に対して、東京ではなく「千駄木」という場所を強調しています。(2)
そして、日暮里周辺の地域は、関東大震災や戦争の被害が少なかったため、今でも昔の路地や景観が広がっており、有形・無形に関わらず歴史的・文化的な価値があるものは博物館で保管するのではなく、町の日常に浸透させていくべきだという人々の想いが何か新しい考えを持った人たちを日暮里周辺に惹きつける大きな理由となっていくことでしょう。
▼ 表参道や有楽町を歩く人は、そこに壁があるように人を避けていくが、日暮里周辺を歩く人たちは常に何かを見つけることを楽しんでいる
あるアメリカの調査によれば、都会に住む57パーセントの人たちが街を歩いている時に歴史的な建物を見上げて、気を留め、さらに街に住む半数以上の人たちが歴史的な建物をリノベーションして、建物の歴史的な特徴を残すことを最優先させることが大切だと考えているようです。
よくグーグルやフェイスブックのオフィスが注目され、人間が最も落ち着いて発想豊かになれる空間などと言われますが、恐らく日本人が一番落ち着ける空間というのは、グーグルや最先端のIT企業のオフィスのような感じではなく、日本人にとってもっと懐かしい感じがするものなのでしょうし、日暮里周辺の家を見ていると、当時の人たちがどんな暮らしを望んでいたかがはっきり見えてくるように思えます。
地域雑誌「谷中・根津・千駄木」を創刊した作家・エッセイストの森まゆみさんは、この日暮里周辺の地に江戸の痕跡がいかに多く残っているかに驚かされたのだそうです。
東京は260年の長い平和のあと、戊辰戦争、震災、戦争、そして1964年の東京オリンピックに向けた人工的な街の改造などを通じて大きく姿を変えましたが、日暮里周辺の谷根千という地域は、それらの影響をあまり受けておらず、寺や神社の位置はほとんどそのままで、坂や橋の名前、そして交差点や町会の名前にまで、その痕跡が多く残っていると言います。(3)
さらに、最近では西日暮里の「最もダサい駅ランキング」の「古い」というイメージとは裏腹に日暮里周辺にはオシャレなカフェや雑貨屋が並び、古民家を改装して店を古い街並みにマッチさせています。住まいが残るとその頃の暮らしぶりも自然と残るため、江戸時代の柔軟な精神が街の独特の空気感を作っているのでしょう。
日暮里駅のすぐ近くで、現在は観光名所にもなっている谷中銀座商店街は1945年頃に自然発生的に生まれ、1991年に商店街を訪れる人は一日、平日・休日ともに8,000人でしたが、2016年には平日9,258人、休日14,183人と近所の人たちではなく、遠方からもお客さんが来るようになり、時代と共に発展し続けています。
近隣型の商店街として、順調に発展してきたように思えますが、1968年に千代田線の千駄駅開通による交通量の激変、1977年の近隣への大型スーパーの進出、そして、1985年の数々のコンビニの出店など数々の危機に直面しながらも、商店街が一丸となることで、1割引特売、商店街夏祭りの創設、スタンプによるディナー招待など、アイデアと工夫で日本から消えて無くなりつつある地元商店街に新しい付加価値を加えながら成長してきました。
谷中銀座商店街の中には、日常の様々なところで賄賂が要求され汚職度世界一とも言われるバングラデシュにNGOという支援や寄付金による援助という形ではなく、自分が本当にほしいバッグや小物をバングラデシュで生産して、日本で売ることで、ビジネスを通じた支援を行うことをビジョンに掲げている「マザーハウス」の店舗があります。
「ついにニューヨークから◯◯が上陸」という場合は表参道や青山に出店すればいいのかもしれませんが、マザーハウスは代表の山口絵理子さんが「(途上国支援として)かわいそうだから買ってあげる。社会的な意義をビジネスの商談に持ち込んだ自分に嫌気がした。価格、品質、デザインで勝たなければいけない」という強い想いを持って創業した会社で、資本に物を言わせるビジネスではなく、しっかりとした理念がある会社に対しては、江戸時代の柔軟な精神が残る谷中などの方が明らかに反応がいいのかもしれません。(4)
マザーハウス谷中店の店長さんのブログにも「昔からの暮らしを大切にしながらも、そこから新しいものも生まれていく静かなエネルギーを感じる場所なんです」と書かれており、日暮里・谷根千周辺で、手づくりバッグを自転車で売り歩いている山内麻衣さんは「谷中千ちいさなお店散歩」という本の中のインタビューで次のように述べています。(5)
「谷中千を散歩する人は、何かを見つけることを楽しんでいますね。ためしに表参道や有楽町にも出してみたんですが、そこに壁があるみたいに人が避けていくんです。」
1703年に創業し、その後300年以上、酒の小売店として営業していた酒屋を改装してお店を出した「トウキョー・バイク」は酒屋の看板や古い時計を残すなど、場所の歴史に対する敬意を払いながら営業しており、自転車のスピードを出すよりも信号や坂道が多い東京を気持ちよく自転車で走るにはどうしたらいいかという「Tokyo Slow」を軸にフレームをデザインし、使用するパーツを一つ一つ吟味しているのだと言います。
千駄木にある「CIBI」というカフェはオーストラリアのメルボルンで創業され、まるで店舗の中の全員が知り合いであるかのような暖かい独特の空気が流れていました。
スターバックスにいるお客さんを2つのグループに分け、一方は以前から知り合いのようにバリスタと会話をしてもらい、もう一方には話さないようにしてもらったところ、会話をしたお客さんは店を出る時に前向きな気持ちになっていたという調査がありますが、一杯一杯のコーヒーを手で淹れ、内装にはヴィンテージの家具や再利用された資材を使い、メニューはチョークで書くなどして独特の空間を作り上げているからこそ、人々の心が自然と和み、新たなコミュニケーションが生まれていくのではないでしょうか。(6)
日暮里駅から徒歩10分のところにある「上野桜木あたり」は1938年に建てられた三軒の家をリノベーションし、天然酵母のビアホール、手作りパン、塩とオリーブオイルのお店、ヴィンテージのアパレルショップ、現代アートの事務所、そして、建築家の住居などが集まる複合施設としてオープンし、大人も子供もお年寄りも一緒になって、丁寧な暮らしを再度見つめ直すコミュニティの場として活躍しています。
三軒合わせてリノベーションしたことで、路地も当時と近い状態のままで残っており、当時の近所のコミュニティの近さが手に取るように分かるようです。
日暮里周辺にはコミュニティ機能や居心地の良さを大事にしたいから、売上を増やすことをあまり意識せず、現状をしっかりと維持するというお店も多く、今回の記事でいくつかのお店にインタビューをする際、メディアを通じてではなく、少しずつお客さんとの関係を築きながらゆっくり成長していきたいので、取材は遠慮させてくださいと丁重なお断りの言葉をいただきました。
戦後から高度経済成長期を経て、本当に最近まで日本は会社への帰属意識を高める一方で地域への関わりを減らしてきましたが、これからは職住近接という概念がもっと当たり前になり、積極的に地域と関わり合いを持つ人たちが増えていくことが予想されます。(7)
テクノロジーの開発者たちはもう20年近く前から見知らぬ人同士をオンラインコミュニティやSNSなどを使って結びつけようとしてきました。しかし、出会い系などは目的が限定されてしまいますし、SNSだけでは震災があった時などにすぐ安否を確認するような関係にまで発展するかと言えば、そこまで深いものではないでしょう。
今後の日本社会の大きな課題は日暮里・谷中のように個人と個人がつながる都市型のコミュニティをどうやってつくっていけるかが大きな課題になっていくと思われます。
そういった意味では、日暮里駅周辺は時代を大きく先取りしていると言えるのかもしれません。
確かに、人間の生活はここ数十年の間に驚くほど便利になりました。もう、現金など持たなくても生活できますし、新しい街に行ってもGPS付きのマップがすべての場所に導いてくれ、欲しいものはWebでワンクリックすればすべて自宅に届けてくれるという世界に私たちは生きていますが、その一方で、職場は人間の感情に関わらず効率化され、リストラや老後という差し迫った恐怖が現代人に必要以上のストレスを与えていることは間違いないでしょう。
月刊「ねこ新聞」を創刊した原口緑郎さんは「ねこがゆっくり眠りながら暮らせる国は、平和な心の富む国」という「富国強猫」の概念を主張しています。
そういった意味では新しい考えを持ちながら渋谷や新宿の生活に疲れた若者たちが、猫が安心して暮らせる日暮里・谷根千に移り始めているということ自体が何か新しい時代の変化のようなものを表しているのかもしれません。
参考書籍
南陀楼綾繁「谷根千ちいさなお店散歩」WAVE出版、2017年 P45
森まゆみ「千駄木の漱石」筑摩書房、2016年
森 まゆみ「『谷根千』地図で時間旅行」晶文社、2015年 P9
山口 絵理子「裸でも生きる ~25歳女性起業家の号泣戦記~」講談社、2015年
南陀楼綾繁「谷根千ちいさなお店散歩」WAVE出版、2017年 P118
キオ・スターク「知らない人に出会う」朝日出版社、2017年
広井 良典「コミュニティを問いなおす―つながり・都市・日本社会の未来」筑摩書房、2009年
出口 汪「知っているようで知らない夏目漱石」講談社、2017年
山根明弘「ねこはすごい」朝日新聞出版、2016年
著者:夏目力 2017/11/25 (執筆当時の情報に基づいています)
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