いつかは必ず卒業しなければならない街、高円寺「街に答えのない世界に飛び込んだ若者の葛藤や不安が滲み出てる。」

大都会の象徴である東京の新宿からほんの10分、15分ほど離れたところに高円寺という、ちょっと変わった街があります。

ビジネスの中心地、東京の効率性から生じる競争の厳しさや人間の冷たさなどとは正反対の文化を持つ高円寺には、地方から上京し、東京の厳しさを体で感じながらも、プロになりきれないアーティストや東京の生活に上手く馴染めず自分の居場所を求める人たちが多く集まっており、自身のことを高円寺をこよなく愛する「高円人」だと述べているイラストレイターのみうらじゅんさんは次のように述べています。

「日本のインド 高円寺は優しく僕を迎え入れてくれた。ここにいれば何も怖くないと母親のように僕を包んでくれた。」



又吉直樹さんが書いてベストセラーになった小説「火花」の中で、お笑い芸人として成功を夢見る主人公の徳永が最初に住んでいた風呂無しアパートは高円寺、お笑いコンビ・オードリーがまだ有名でなかった頃、ライブの会場費3万円を浮かせるために会場として使っていたのはオードリーの春日さんが当時住んでいた高円寺のすぐ隣の阿佐ヶ谷の六一間のアパート、インディーズバンド「GOING STEADY」のミネタカズノブが住んでいたのも高円寺で、しっかりとした仕事につかず社会から厳しい目で見られながらも、夢を追い続ける若者が自然と集まってくる高円寺では様々な化学反応が起こり、他の街では決してつくり出すことできない独特の文化が生まれ続けています。

現在、高円寺周辺にいる若い人たちは「諦めずに、努力すれば夢は必ず叶う」というメッセージをJ-POPやドラマなどを通じて大量に受け取りながら育った人達です。

その言葉を信じて、普通の人とは少し違った道を選択した人たちであることは間違いありませんが、ほとんどの人は30才前後で夢を諦め、現実世界に呼び戻されて、その後は、一般の人の変わらない普通の人生を歩んでいきます。

高円寺は20代で夢を追うための時間が残り少ないことを悟りながらも、答えのない世界に飛び込む若者の葛藤や不安が滲み出ている街だと言えるでしょう。



高円寺という街に形はなく、様々な理由で、高円寺に流れついた人たちが自然と混ざり合って街を形成させています。

僕は高円寺で活動するアーティストの方々の話を色々と聞かせてもらうなかで、小説「火花」の中で、漫才の師匠である神谷が、弟子である徳永に言った言葉がなかなか捉えにくい高円寺という街を上手く表現しているなと思いました。

「俺なあ、芸人には、引退なんてないと思うねん。『もし世界に漫才師が自分だけやったら、こんなにも頑張ったかなあ』思うときあんねん。」

「周りにすごい奴がいっぱいおったから、そいつらがやってないこととか、そいつらの続きとかを、俺たちは考えてこれたわけやろ?ほならもう、共同作業みたいなもんや。」

「この壮大な大会には勝ち負けがちゃんとある、だから面白いねん。でもな、徳永、淘汰された奴等の存在って、絶対に無駄じゃないねん。一回でも舞台にたった奴は、絶対に必要やってん。これからのすべての漫才に、俺達は関わってんねん。」



結果が出ようが出まいが、何もやらずに文句ばかり言っている人よりも舞台に立ち続けている人の方が何倍もカッコいいのでしょう。

ある調査によれば、プロのバイオリニストが地下鉄構内で1日中演奏した時の稼ぎは、地下鉄で演奏しているアマチュアのバイオリニストよりも少なかったそうですが、実際、仕事でもアーティスト業でも、成功するためには運やコネクション、そして時代性など、実力以外の様々な要素が必要になってきます。

高円寺に集まる若者たちは見かけは明るそうに振る舞いながら、常に夢と現実の狭間でもがき続けているのではないかと思います。

そんな葛藤が日本で一番滲み出ている街、それが高円寺なのです。


▼ 高円寺は自分探しのメッカ、インドである「カレーのお店はここ20年で一気に増えた。」

冒頭にみうらじゅんさんの「高円寺は日本のインドだ」という言葉がありました。

インドと言えばバックパッカーが自分探しの旅をする上で最初に名が挙がる場所であり、かのスティーブ・ジョブズも若い時に時間とお金をつくって訪れ、マーク・ザッカーバーグも起業したばかりで不安定だった頃、ジョブズに「それなら、インドに行け!」というアドバイスをもらったと言います。

ジョブズはインドの田舎で暮らす人達が僕たちのような知力で生きているのではなく、直感に従って生きていることに大きく影響されたそうです。

すべてが徹底的に効率化された東京という街の中で、知力を基準にした年収や外見など何かわかりやすいステータスを追い求めるのではなく、高円寺のアーティストのように、常に正しい答えのない世界の中で戦い続けている人達の考え方は、知性思考というよりは直感的思考であることは間違いないでしょう。



インドの人達は戦略を立てて努力するということよりも、人生の99%は運によって支配され、自分の力でどうにかなることなど限りなく少ないのだから、世の中に身を任せて、いまできることをただ精一杯やる考え方が圧倒的に強いのです。

そういった意味では、高円寺には年収や仕事などの男の格付けはありませんし、飲みながら仕事の話をすると言うよりは趣味が合うかとか、一緒にいてどれだけ楽しいかを考える人達が多く、高円寺にはタワーマンションもありませんから、そもそも他人を見下す文化自体が存在しないのでしょう。



そして、インドの食べ物と言えばカレーで、22年前には高円寺に2店舗しかなかったカレー店は、現在では数えきれないほど多くなってきています。

カレー文化の大きな特徴は作り手100人に聞けば、100通りの隠し味があったり、食べる人の好みによって自由にカスタマイズできたりすることで、世界でもスパイスを30種類もブレンドするのは日本だけなのだそうですが、普通に「カレーを食べに行こう」と誘われても、お互いのカレーのイメージがピッタリすることがないほどカレーという食べ物は多様性に満ち溢れていると言えるでしょう。(1)

カレーは150年ほど前に、イギリスを経由して日本に伝わり、ラーメンやコーヒーのように日本独自の手法で長年進化を続けてきました。

スターバックスやツタヤがなく、比較的チェーン店が少ない高円寺でカレーのお店が増えてきているという事実は、この街に住む人が生き方や人生の価値をカレーの味のように自由にカスタマイズしようとしている感覚が食文化と上手く一致しているのかもしれません。



また、高円寺はサブカルチャー、カウンターカルチャーの聖地だとも言われ、「カウンターカルチャー」と言うくらいですから、こういった文化は何かに反発したり、抵抗したりすることで生まれてきます。

建築家の隈研吾さんとジャーナリストの清野由美さんが共著した「新・ムラ論TOKYO」という本によれば、高円寺のカウンターカルチャーの起源の対象になったものは、戦時中、高円寺の一駅隣の中野にあった陸軍文化で、当時軍隊が体現していた規律への反発として、現在の高円寺のユルい感じが生まれたのだそうです。(2)

高円寺には古着や古本屋などが多くありますが、少し前までは死体愛好、奇形愛好という意味での「グロ系」のお店もあり、自由な雰囲気の中にも将来に対する不安やマニアックな人たちがつくりだす高円寺の暗いエネルギーは、まさにクリエティビティの源だと言えるのかもしれません。



ビジネスの世界では一般的に明るくて社交的な人が好まれる傾向にあることでしょう。

しかし、芸術家や思想家の多くは社交的ではなく少し暗いエネルギーを常に持ち合わせており、ハリー・ポッターの作者であるJ・K・ローリングやグーグルの創業者のラリー・ペイジ、そして、映画監督のスティーヴン・スピルバーグも内向型の人間として知られています。(3)

もし、夕食の誘いを断って、一人で本を読みたいと思うのであれば、あなたは思想家に近い概念を持っているのかもしれませんし、ものを書く時はいくら孤独すぎても、孤独すぎることはないと言われますが、ずっと孤独で作業していると、まるで自分が社会から阻害された気分になってしまうでしょうから、高円寺のコミュニティのように、自分の強い個性は残しながらも、周りとはゆるく繋がっているくらいがちょうどいいのかもしれません。



マッカーサーが日本に来た時、日本の男権的ないばりくさった男性が日本をダメにしたと、軍人をコケにして、日本の女性の精神面を褒めたのだと言います。(4)

つまり、男性がいばりくさって、女性には様々なプレッシャーがかかっていた中で、日本の女性たちは自分たちが生き残るために、男性には知られないところで、ひそかに自分たちの精神を磨きあげていきました。

そういった意味で、丸の内、新宿、そして渋谷など大量生産・大量消費、業務の効率化から成果主義まで、経済的なことを最優先する人達がいばりくさっている中、高円寺という街は女性的な逃げを実行に移している人達が集まっている街だと言えるでしょう。


▼ 中央線のネバーランド高円寺は、いつか必ず卒業しなければならない街。


1956年に紙も電気もないインドに数ヶ月間滞在した小説家の堀田善衛さんは、当時恐ろしいスピードでビルを建て、道路をつくりながら走り続けていた日本を外から見ながら、「本物の心の方は、本物の創造の方はどうなっているのか」と妙な寂しさに襲われたと著書「インドで考えたこと」に書いています。

渋谷にしても、新宿にしても、丸の内にしても、経済成長できるということは能力があるということなので、どんどん行えばいいのかもしれませんが、時々、その成長に寂しさや矛盾を感じた時、何も言わず母親のように優しく受け止めてくれる役割をしているのが高円寺という街だと言えるのかもしれません。



2005年当時、まだ全く売れていなかったお笑いコンビのオードリーはライブをやるための劇場費をうかせるために高円寺の隣の阿佐ヶ谷のアパートで「六一間のトークライブ」を行っていました。

芸人の間では「オードリーは月に1回、ファンを自宅に呼んでコンパをしている」と噂されながらも、実際はあくまでプロの出演者として、客との関係性を崩さないようにするため、客席とは会話をしないようにしていたと言い、苦しいながらも常にやる気の出る環境に自分をおいておかないとダメなのだとして、オードリーの若林さんは次のように述べています。

「売れない時にネガティブになって、このまま45歳になったら嫌だなって考えると気が滅入ったり。でも、今日一日だけ楽しく生きようかなって思ったら、なんとかなったりするんだよね。だから短く区切るっていうのは大事ですよ。」(5)

また、オードリーの若林さんは別のインビューでこんなことを言っていました。

「やっぱり20歳の頃はセンタリングを何本あげたかが勝負でしょう。その経験がこうして今、仕事に活かされてるんですから。」

そういった意味で、高円寺は若い時にできるだけ多くのセンタリングを上げる場所であって、いつか必ず卒業しなければならない街なのかもしれません。

ヘヴィメタル・バンド「人間椅子」の和嶋慎治さんは、高円寺を出ないと売れないというジンクスがあり、実際に出てみたら音楽以外の知り合いも増えて急に忙しくなったと述べていますが、夢への下積みをする中で、良くも悪くも中央線最後のネバーランドとまで言われる高円寺で暮らせる時間というのは人生の中でもあまり長くないのでしょう。

高円寺には、「生まれながらの高円寺っ子」よりも大人になってから高円寺に引っ越してくる人が多く、35歳を過ぎると別の場所へ移っていくという図式があるため、転入転出の率がやたらに高い街でもあります。



建築家の隈研吾さんはプロが頭の中で考えたコミュニティ設計は単純に利益率確保の構造でしか動けず、プロジェクトをどんどん大きくしたがるため、ほとんど上手くいかないと言います。

基本的に都市開発というのは上流の人達の欲望を満たし、お金を頼りに都市を更新していくことから、大体の都市計画は似たりよったりで、とても退屈なものになってしまうことでしょう。

しかし、高円寺は明らかにデベロッパーが意思的につくったものではありませんし、いつかは卒業しなければならない街であることは確かですが、自分の夢を上手く形にできない人たちが集まる街は、夢を追い続ける人達がいる限り、必要な街であることは間違いありません。


参考・引用書籍

1.水野仁輔「カレーライス進化論」イースト・プレス、2017年 P86 2.隈研吾・清野由美「新・ムラ論TOKYO」集英社、2011年 3.スーザン・ケイン「内向型人間のすごい力 静かな人が世界を変える」講談社、2015年 4.隈研吾・清野由美「新・ムラ論TOKYO」集英社、2011年 5.オードリー「オードリーの悪いようにはしませんよ。ゆるっと7年史」ぴあ、2016年 P165


著者:夏目力 2018/1/7 (執筆当時の情報に基づいています)
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