hideが育った街、横須賀「3万人の米国人が暮らす街で、異文化に触れ、型のハマらない独自の文化をつくり出す。」

品川から45分で到着する横須賀は「基地の街」という印象が強いかもしれません。

しかし、横須賀はそれをネガティブに捉えるのではなく、現在では艦隊これくしょんや海軍カレーなどマイナスだと思われていた地域資源をプラスに転ずることで、毎年15万人の観光客を集客しています。

そして、ただ企業を勧誘して工場を建てても、コスト面でアジアのプレイヤーには勝てないという時代背景から、2015年から10年間で100社の企業を集積し、雇用換算で100億円の効果増を目指す「ヨコスカバレー」の構想を打ち出すことで、近年、横須賀という街が大きく変わり始めています。

2009年から2017年まで横須賀市長を務めていた吉田雄人さんはかつて次のように述べていました。

「満員電車は政治の責任。地元にきちんと雇用を作れば、満員電車なんて生まれるわけない。」



時代を遡れば、横須賀は1853年に黒船に乗ったペリーが開国を迫ったことで、日本の近代化幕開けの舞台となった歴史的な場所であり、現在では数万人のアメリカ人が米軍横須賀基地で働いているため、街の至るところでドルが使用できます。

特に基地で働くアメリカ人の憩いの場である「どぶ板通り」はまさにアメリカの空気が漂い、横須賀出身で、1998年に33歳の若さで亡くなったX JAPANのhideも高校生の時に「横須賀サーベルタイガー」というバンドを結成して、初めてのライブをどぶ板通りにあるライブハウスで行っており、横須賀市内にはhideゆかりの場所も多く存在しているようです。



ペリーが来航し、日本が開国後、初めて遣米使節としてアメリカに渡った日本人たちは、アメリカとの圧倒的な工業力の差を見せつけられ、その差を埋めるために横須賀に日本工業の拠点をつくり、これこそがその後の日本の工業力強化と近代化の大きな転換期になっていきます。(1)

「まことに小さな国が開花期をむかえようとしている」という書き出しで始まり、「龍馬がゆく」などで知られる小説家の司馬遼太郎が40代後半のすべての時間を費やして書いた「坂の上の雲」はまさに明治という近代化を経て、世界に飛躍する日本を描いたものですが、横須賀の様々な場所を訪れてみると、現代に必要とされているその時代の空気をひたひたと感じることができるでしょう。

▼ 村上春樹「僕はしばらくのあいだ水を見ないでいると、自分が何かをちょっとずつ失い続けているような気持ちになってくる。」



横須賀には、開国から現代の歴史にまつわる様々なものが残っています。

例えば、今では横須賀の名物となっている海軍カレーのルーツは横須賀に拠点があった旧日本海軍にあり、明治期の海軍の食事はご飯、味噌汁、漬物といった和食が中心でしたが、長期の航海の際に脚気(ビタミン欠乏症の一つ)にかかる乗組員が多く、明治11年の記録には海軍の総兵員数4,528名中、脚気患者1,485名(32.79%)死亡者が32名になるほど深刻な問題でした。

当時、海軍軍医総監であった高木兼寛さんはこの脚気の原因が、白米中心で栄養バランスの偏った食事が原因であることを突き止め、イギリス海軍が食べていた水っぽいカレーに小麦粉を加えてとろみをつけ、日本流にアレンジして食べたところ脚気は激減し、その後、故郷に帰った兵士たちによってカレーが全国に広められたことで、横須賀名物のカレーは今では日本の国民食になっています。

カレーと言えばイチロー選手が毎朝カレーを食べていたことはよく知られています。

三秒でたいらげおかわりし、戦いに参加するといった旧日本海軍の文化は現代日本人の食卓のルーツで、これほど歴史のある食べ物は「よこすか海軍カレー五原則」にもあるように、B級グルメではなく、「ご当地グルメ」だと言えるでしょう。



また、「ヨコスカ・ネイビー・バーガー」として知られているハンバーガーも20世紀初めに、アメリカ海軍内で24時間交代勤務の見張り要員に、栄養価の高いものを勤務時に手軽に食べることができる貴重なメニューとして、濃いコーヒーと一緒に提供されたのが始まりで、日本のマクドナルド第一号店は1971年の銀座店ですが、実はそれより前にアメリカ領土である横須賀基地内にはマクドナルドが存在していたのです。

1940年代後半、米海軍から横須賀に様々なアメリカ文化が広がっていく中、ハンバーガーは汐入駅(横須賀駅の隣)近くにあったEMクラブでビッグバンドジャズの演奏と共に提供され、日本人は初めてハンバーガーという不思議な食べ物を口にすることになりました。

1980年代、日本が円高になるとバブルのどさくさに紛れて日本の若者は積極的に海外を飛び回り、多くの異文化に触れながら、スニーカーや洋服、そして、音楽レコードを日本に持って独自にアレンジしていくことで、型にハマらない独自の日本カルチャーをつくりだしていきました。

もちろん、現在は30年前とは状況が全く違いますが、異文化に触れることで得られるものは今も昔も変わりません。

もし時間にもお金にも余裕がないのであれば、アメリカ人が数万人暮らす横須賀の街に繰り出して、積極的にコミュニケーションを取るのも立派な異文化体験だと言えます。

ITが発達して、インターネット上で異文化にアクセスすることが簡単になれば、なるほど、実際にオフラインで触れる異文化の価値は上がっていきますし、画面上で触れて分かった気になっている「情報デブ」がどれだけ増えても、まだ世の中に存在しない新しい文化など生み出すことなど決してできないことでしょう。



また、横須賀はX JAPANのhideが生まれ育った街でもあります。

亡くなって20年経った今でも街の所々にhideのポスターなどが飾られ、一歩間違えば、醜く見えてしまいそうな衣装やメイクを「オレ(松本 秀人)がhideをプロデュースする」と言って、歌も外見も完璧なものに仕上げていきましたが、外見とは裏腹にhideの内面はものすごく礼儀正しい人だったと言います。

hideの弟で、生前hideのマネージャーを勤めていた松本裕士さんは、hideに言われたことを著書「兄弟」のなかで次のように振り返っています。(2)

「いいか、人間としての最低ラインのところは、完璧にやんなくちゃ駄目だぞ。じゃないと、こんな頭で、こんな仕事やってんだから、世の中通用しない。バカにされるぞ。」

「いいか、ヒロシ。ひとつには、時間に遅れたんじゃ、自分が最高の状態で仕事ができないだろ? それから何十人、何百人というスタッフが貴重な時間を無駄にすることになるんだ。そういうことをしていると現場の空気がゆるんで、結局は自分の仕事に跳ね返ってきてしまう。そのことを忘れるな。」

hideは音楽、外見、タバコからお酒まで、横須賀のアメリカ文化をたっぷり吸収しながら育ったのでしょうが、内面はものすごく日本人っぽく、hideがつくったスタイルこそ、異文化に触れながらアレンジを加えることで、型にハマらない独自の文化を生み出すお手本だと言えるのかもしれません。



カレー、ハンバーガー、hide、ペリー、そして、坂の上の雲など、私たちが当たり前に知っているものの舞台になっている横須賀はペリー来航から日本の近代化の空気を感じるには持ってこいの街と言えるでしょう。

また、横須賀は東京湾と相模湾に囲まれているため、沿岸漁業(イワシ・アジ・サバ等)の漁獲高が県内1位と豊かな食環境に恵まれ、市内の公園の数は神奈川県内19市の中でも第2位で、平成28年のアンケートでは82.3%が「横須賀の街の住み続けたい」という調査結果が出ていますが、横須賀市も他の都市と同じように人口減少や高齢化の影響も大きく受けていることはまぎれもない事実です。

人口が減少していく時代は人口が多いところが勝つのが当たり前とも言えるので、郊外は東京のマネをして、東京の二軍化するのではなく、その地域にしかないもので、新しい付加価値を生み出していかなければなりません。

冒頭で述べたように、横須賀の「基地の街」というイメージも、少し観点を変えれば国際色豊かな街として捉えることができますし、日本近代化の幕開けになった都市として「ヨコスカバレー」など、新しいものを受け入れ、次の未来をつくっていくDNAは今も横須賀の人たちの内部に眠っているのではないでしょうか。

参考書籍

1.NHKブラタモリ制作班「ブラタモリ 8 横浜 横須賀 会津 会津磐梯山 高尾山」KADOKAWA、2017年 P50 2.松本 裕士「兄弟 追憶のhide」講談社、2010年 P52〜P53 3.ジョンJ.レイティ・リチャード・マニング「GO WILD 野生の体を取り戻せ! 科学が教えるトレイルラン、低炭水化物食、マインドフルネス」NHK出版、2014年 Kindle 4.村上 春樹「ラオスにいったい何があるというんですか?」文藝春秋、2015年 5.大塚 真櫻「千歳櫻 幕臣 中島三郎助」P80

その他の参考書籍

■西川 武臣「ペリー来航 – 日本・琉球をゆるがした412日間」中央公論新社、2016年 ■新倉 裕史「横須賀、基地の街を歩きつづけて: 小さな運動はリヤカーとともに」七つ森書館、2016年 ■エイ出版社編集部「持ち歩ける横須賀本」エイ出版社、2017年 ■荒木 REM 正彦「Pink cloudy sky―俺とHideの横須賀ロック・ストーリー!」メディア・クライス、1999年 ■M・C・ペリー・F・L・ホークス「ペリー提督日本遠征記」KADOKAWA/角川学芸出版、2014年


著者:夏目力 2018/2/22 (執筆当時の情報に基づいています)
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