ディズニーランドが千葉県浦安市につくられた理由「もともとディズニーは日本進出を断固拒否していた」

千葉県浦安市と聞いてまず最初に頭に浮かぶのは東京ディズニーランドですが、そんなディズニーランドには2004年ごろから1日平均約7万人もの人達が訪れるようになり、開園からの30年間で累計約5億人以上の人が訪れたと言いますから、単純計算すれば日本人全員が1人あたり5回ほど訪れたことになります。(1)

その集客数と売り上げは本国のディズニーリゾートをはるかに上回るもので、ディズニーランドの経営母体である株式会社オリエンタルランドの売り上げは年間約4000億円にものぼるのだそうです。(2)



そうなれば当然、ディズニー側から浦安市に納められる法人住民税と固定資産税が莫大なものになることは容易に想像でき、実際、浦安市の納税額の約1割はディズニーランドによるものだと言われています。

こうして安定した税収を獲得している現在の浦安市の財政力指数は全国でも常にトップレベルで、浦安市は日本でもっとも豊かな街の一つになりました。

こうして見てみると、アメリカ本国のディズニーランドが巨大マーケットである東京のすぐ隣りにある浦安市に最初から目星をつけて自ら進出し、結果的に浦安市の経済が潤ったかのように見えます。(3)



しかし実際のところ、もともと浦安市にディズニーランドが作られる予定はなく、それどころか米国ウォルト・ディズニー・カンパニーは過去に奈良ドリームパーク(閉園)と著作権に関するトラブルを抱えていたこともあって、日本への進出に対して強い拒否反応を示していたのです。

▼ ディズニーランドが建設される前まで、浦安の浅瀬には真っ黒な海が広がっていた



今となってはディズニーの街として大成功した浦安市ですが、そもそもディズニーが浦安市にやってくる前までの浦安市というのは東京湾に面する「漁師の街」として栄えていました。

当時の浦安の漁業の中心は海苔や貝類の養殖で、これらの生産高は現在の価値に換算すると約150億円規模と常に全国トップクラスだったのだそうです。

実際、浦安市の中心部に保存されている当時の漁師の屋敷は全国の一般的な漁師宅と比較すると考えられないくらい豪華な作りをしており、さらに収穫した大量の貝の貝殻が庭に砂利として撒かれているという事実も、ここ浦安が関東屈指の漁師の街として栄えていたことの何よりの証拠でしょう。



浦安で収穫されるハマグリやアサリは地元の名物として知られていて、タモリさんがNHKのテレビ番組『ブラタモリ』で浦安にある魚市場を訪れた際にアサリの串焼きを絶賛していましたが、このアサリやハマグリなどの貝を食べる食文化は漁という激しい肉体労働をする浦安の健康を長年支えてきました。

浦安の食文化として定着したハマグリやアサリには鉄分、ビタミン、タウリン、カルシウム、カリウム、亜鉛、そして銅などの栄養素が豊富に含まれています。

そのせいか、浦安のガン死亡は男性10万人あたり163人と全国平均290人を大きく下回り、他にも胃がんは27人(全国平均53人)、大腸がん15人(全国平均33人)、心臓疾患61人(全国平均120人)、そして脳疾患44人(全国104人)と軒並み全国の平均の半分を下回るという驚異的な数字が出ているのです。



このように漁業がこれまでの浦安の経済や文化を支えてきた訳ですが、1958年に江戸川沿いに建つ製紙工場、本州製紙(後に王子製紙と合併)から吐き出される黒い汚染水によって、魚介類が死滅するほど汚染されてしまい、これは後に「黒い水事件」と呼ばれるようになりました。(4)

水質汚染の結果、浦安の養殖場の貝類の8割以上が死滅し、そのことによって浦安の三分の一の世帯が住民税を払うことが出来なくなるほどの困窮に苦しめられる事になったと言われています。

このまま工場からの排水が続けば全ての魚介類が死滅し、養殖にも大きな被害が出るとして、浦安の漁師たちが本州製紙側や東京都建設局に抗議したものの相手にしてもらえず、怒った浦安の漁民1600人が工場に乱入し、警察機動隊、漁業関係者、そして工場側ともみ合いになり、最終的には装甲車が2台も出動することになりました。

結果的に、漁業関係者側は8名が逮捕、重軽傷者を108名も出すことになり、工場周辺の住民、新聞記者、カメラマン、そして警察機動隊からも数十名の負傷者が出るなどの大事件となってしまったのです。

この大事件をキッカケにして日本政府は「公共用水域の水質保全に関する法律」と「工場排水等の規制に関する法律」を次々に公布し、それによって全国的に環境に配慮するという概念が一般化した訳ですから、今や当たり前となった環境保全の意識はここ浦安から始まったと言うことになります。



しかし環境に関する法律が公布された頃には時すでに遅く、浦安の浅瀬は公害によってさらに汚染されてしまい、とても漁ができる状態ではなくなってしまいました。

そこで浦安の漁民たちは、浦安の豊かさの象徴とも言える広大な浅瀬を思い切って埋め立て、そこで新しい産業を興して再び浦安の豊かさを取り戻そうと動き始めたのです。

▼ もし浦安の人たちが海を捨てていなければ、ディズニーランドが日本につくられることは無かっただろう



埋立地での事業を行うにあたって、京成電鉄、三井不動産、そして朝日土地興業の3社による合弁会社であるオリエンタル社が発足され、当時の浦安町は干潟を1700円というタダ同然とも言える価格でオリエンタル社に譲り渡し、開発が進められました。(5)

しかし、埋め立て許可の下りた土地には様々な制約がつけられていて、例えば、漁業権を放棄した漁民に対する補償としてできるだけ多くの雇用を生み出す事や、首都圏3000万人の住民を対象とした出来るだけ多くの客を収容できる大レジャーランドを建設するなどでした。(6)

しかし、千葉県との協定条件を満たすためには年間1000万人以上の来園者を呼び込む必要があることが分かり、最終的に出てきた結論がディズニーランドを浦安に招致するという案だったと言われています。

当時、日本へディズニーランドを招致するにあたって、静岡県、茨城県、そして長野県など複数のライバルがいたものの、候補地が富士山麓と浦安市の2箇所に絞られ、最終的には浦安が建設地に決まりました。

浦安が候補地として決まった理由はすぐ隣に東京という1300万人規模の巨大マーケットがあるという要因も大きかったようですが、埋立地である浦安の周りが海だったことが何よりも大きな選定理由になったのだそうで、それはディズニーが優れたエンターテイメントの定義を日常性や現実感をいかに連想させないかにあると考えているからなのだそうです。(7)



ディズニーランドは外周に大きな木をたくさん植えることによって外界をシャットアウトして、パークの中から日常生活や現実を連想させる周辺の建物などが一切見えないようにしています。

もし富士山麓にディズニーランドを建設してしまえば、仮にどれだけ高い木を植えてもパーク内から富士山が見えてしまうため、周りが海で囲まれている浦安にディズニーがやって来ることになった訳なのです。(8)

こうして浦安の人たちの、海を捨てて未来に進む覚悟は報われましたが、こうした浦安での一連の出来事を世間の人たちはラッキーだったと言います。でも、実際のところ浦安は「成功すべくして成功した街」なのです。

浦安市は前述の公害によって街の産業や文化を奪われただけでなく、千葉県の端っこに位置する街という理由だけでゴミ処理場を作られそうになったりと、千葉県や東京都の都合に振り回されてきました。

さらに、水質汚染事件やゴミ処理場が作られそうになった時にも県や国は助けてくれず、これまで自分たちで問題を解決してきたという歴史を持っていることから「助けてもらう」よりも「自分たちで動く」という精神が根付いている街なのです。

貧しいという現実から目を背けず、今は我慢と歯を食いしばり、必死に未来に対して投資を続けてきた姿勢が現在のディズニーランドのある夢の街というイメージを作り上げているのです。

そんな浦安市はディズニーランド招致で成功したからそこで満足するのかと言えばそうではありません。全国でもトップレベルの財政力を持つ浦安市は次なる未来への投資として、全国の都市が戦々恐々としている少子化問題に対して浦安市独自の政策を打ち出し、実際に活動を始めています。

▼ 国や県に頼らず、独自の少子化対策を推し進める浦安市



浦安市が現在もっとも積極的に行っている少子化対策が「未受精卵子の凍結保存」です。

もともと未受精卵子の凍結保存というものは出産を希望するガンの患者さんを救うために始まったもので、患者さんがガンの治療をする際に、抗がん剤が卵子に影響を与えガンが完治した後には妊娠できない体になってしまうことから、治療をする前に健康な卵子を凍結保存するというものでした。

興味深いのは、浦安市と順天堂大学医学部附属浦安病院とが協力して、ガンではない健康な若い女性が卵子の凍結保存をする際に助成すると発表したことにあります。



一般的に少子化の原因は単にライフスタイルの変化によって子どもを欲しがらない人が増えたことにあると考えられがちですが、現在、日本で深刻化しているのは「社会的不妊」と呼ばれるものです。

それがどういうものかと言えば、女性の社会進出が当たり前になるなどライフスタイルが大きく変化した現代では晩婚晩産化が進んでおり、例えば、一人目を産んで落ち着いてから二人目を作ろうと思ったときには既に卵子が老化していて、子どもが欲しくても妊娠できない体になってしまうというケースが増えていると言い、これらは社会的不妊と呼ばれています。

浦安市の内田市長は、こうした2人目不妊、3人目不妊といった「社会的不妊」に関する知識は、男性だけに留まらず、女性自身もほとんど意識していないと自身の経験を振り返って語りました。

かと言って、現実的な問題として晩婚晩産化はこれからも続くでしょうし、あるいはさらに深刻化する可能性もあるでしょう。そういった意味において、できるだけ早い段階で自分の若い卵子を凍結保存しておき、将来子どもを産むときに、その卵子を自分の体に戻すという選択ができるようにと浦安市では卵子の凍結保存を助成し始めたというわけなのです。

日本中で少子化問題が問題視されるものの、誰も何の対策を打たないまま時間だけが過ぎてゆく中、浦安市はここでもまず最初に自分たちで出来るところから動き始めています。

こうして見てみると、浦安市は常に自分たちの理想の街を作るために前に進み続けていますが、この姿勢はディズニーの考え方と非常に似ていて、実際ディズニーの創業者、ウォルト・ディズニーも生前こんなことを言っていました。(9)

ディズニーランドは永遠に完成することのないもの。常に発展させ、プラスアルファを加え続けていくもの。要するに生き物なのだ。生きて呼吸するのだから、常に変化が必要だ。

最近では「古き良き時代が残っている街」といったキャッチフレーズをよく耳にします。確かにそれは耳ざわりが良いものですが、それは裏を返せば、その街は古き良き時代から前に進んでいない街という見方もできるのかもしれません。

そういった意味では、街の様子やその街の政策が短期間でどんどんと変化し続けている浦安はディズニーの言う「生きている街」だと言うことなのでしょう。

参考書籍

粟田房穂「新版 ディズニーリゾートの経済学」(東洋経済新報社、2013)Kindle
ホリテーマサロンテーマパーク研究会「ディズニーランド 成功のDNA」(PHP研究所、2014)Kindle
ホリテーマサロンテーマパーク研究会「ディズニーランド 成功のDNA」(PHP研究所、2014)Kindle
小森雅人、藤江孝次、佐藤圭亮「これでいいのか千葉県葛南」(マイクロマガジン社、2011)P54
小森雅人、藤江孝次、佐藤圭亮「これでいいのか千葉県葛南」(マイクロマガジン社、2011)P54
ホリテーマサロンテーマパーク研究会「ディズニーランド 成功のDNA」(PHP研究所、2014)Kindle
粟田房穂「新版 ディズニーリゾートの経済学」(東洋経済新報社、2013)Kindle
粟田房穂「新版 ディズニーリゾートの経済学」(東洋経済新報社、2013)Kindle
粟田房穂「新版 ディズニーリゾートの経済学」(東洋経済新報社、2013)Kindle


著者:高橋将人 2018/2/23 (執筆当時の情報に基づいています)
※本記事はライターの取材および見解に基づくものであり、ハウスコム社の立場、戦略、意見を代表するものではない場合があります。あらかじめご了承ください。