“ホットスポット”と呼ばれるようになった千葉県松戸市・柏市。「安心な暮らしをつくるのはラッパー精神」

隣同士に並ぶ千葉県北西部の街、松戸市・柏市は、JR常磐線で30分そこそこで東京都心にアクセスできるという立地から、東京のベッドタウンとして急速に発展し、今では隣り合う2つの市がそれぞれに40万以上の人口を抱えています。

高度成長期に周辺の町村を合併するなどして拡大してきた松戸市と柏市は、その陣地争いの名残りなのか、はたまた東京に向かう満員列車における日々の空間争いの延長なのか、何かにつけてお互いにちょっとした敵対心が膨らんでしまうようです。

「松戸の方が歴史がある」「柏にはプロサッカーチームがある」といった具合に、テレビのバラエティ番組でも「柏VS松戸 超仲悪い問題」として取り上げられたこともある松戸市と柏市ですが、実はともに、震災後の原発事故によって、放射能汚染の問題を抱えている地域でもあります。

というのも、松戸市も柏市も福島第一原発からおよそ200km離れているところにありながら、原発事故後にたまたま放射性物質を含んだ雨が松戸市や柏市のあたりに降り注ぎ、一般的な被ばく許容線量を超える“ホットスポット”が生まれてしまったのです。

▼ 松戸駅前で“選挙フェス”。ラップは、実は政治に近い。



現在、松戸市の“ラッパー議員”として活躍しているヒップホップミュージシャンのDELIさんは、放射能のホットスポットを抱えることになってしまった地元松戸でこれからも生きていくために、2014年の松戸市・市議会議員選挙に立候補すると決めました。

DELIさんが掲げた政策は二つ:一つは「放射能を無視せず存在を認めつつ被曝しないで生活をする」、そしてもう一つは「1人ひとりがお客様意識を捨てて政治に参加する」。

「地域復興」「福祉の充実」といった聞き慣れたスローガンと比べると、DELIさんの掲げたものはどちらも“政策”というにはどこか違和感を感じてしまいます。それはこれらが松戸市の一議員としてではなく、あくまでも一市民という視点でつくられたからなのかもしれません。



事故以前は松戸の市民運動に参加したこともなかったというDELIさんは、原発問題を真剣に考えて活動するようになってから少しずつ、「政治家の文句を言ったり、悪を外につくり悪者にして、すべてが解決するのか?」と思うようになっていったのだそうです。

結局、自分たちの敵は政府や企業の誰かではなくて、むしろ市民の無関心であるということに気づいたDELIさんは、松戸のみんなが傍観者でいるのをやめて松戸にコミットしていかなければ、問題は解決しないと声を上げるようになりました。

JR松戸駅西口で特設ステージに上がったDELIさんが、ビートに乗せて“選挙フェス”を繰り広げた際には、ステージの近くには来なくとも、遠くからじっと聞き入る人がたくさんいたといいます。

ついには松戸市の議員を務めるようになったDELIさんによると「ヒップホップは社会と密接で、実は政治とも近い」のだそうで、実際、40歳を迎えたいまも現役で活躍するアメリカ人ラッパーのMURSも、もともとラップには自分の声を伝えるものという存在意義があるのだとして次のように言いました。(1)

「アメリカの若い黒人男性は、無力感に襲われることがある。声を持たず、参政権も役に立たないような気になる。だから、マイクを持った時は、自分を持ち上げていかないと。」



トップの人たちがきちっと予算を立てた施策よりも、声を持ち始めた市民によって生まれる力の方が予想をはるかに上回る結果を生むことは、過去に松戸の小学校を訪問したこともあるノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイさんの活動でも知られています。

マータイさんはスワヒリ語で「みんなで力を合わせよう」を意味する『ハランベー』を合言葉に木を植える運動を起こし、それに共鳴した数十万人の人々の手で、砂漠化の進むケニアに4000万本の植林を達成しました。

この運動を牽引する中で、マータイさんは出会う人々に「問題の原因はどこにあると思いますか?」と聞き、それに対してほぼ全ての人が返してくる「政府の責任」という答えを受けて、あなたたちもその原因の一端を担っているのだと、次のように語りかけていたそうです。(2)

「これはあなたがたの土地なんですよ。あなたがたのものなのに、あなたがたは大事にしていません。土壌の浸食が起こるままにしていますが、あなたがたにも何かできるはずです。木を植えられるじゃないですか。」

「皆さんは政府を責めるけれど、皆さん自身のことも責めるべきなのですよ。自分の置かれた状況に対して何かをしなければなりません。あなたがたの力でできることを、どんなことでもいいからやるのです。」



言い換えれば、ただ怯えて耐えていたり、誰かを悪者にしたりすることは、自分は何もしていないということであり、それが問題が解決しない原因の一つだということになります。

しかも大きな街では、地域のことをよく知らないで暮らしている人も多く、特に松戸市や柏市のような都心への通勤者が居を構えるベッドタウンには、「無関心な市民が圧倒的に多い」と言われてしまうようなところが少なくありません。

東京都葛飾区の東に松戸市、そのまた東に柏市と並ぶこのあたりでは、人々の日々の関心ごとが東京の方に向いてしまいやすいのは自然な流れであり、人口が急増し始めた1960年代の松戸市では、市税滞納率も選挙における投票率も千葉県のワースト1位をとったことも事実です。(3)

ところが今、放射能汚染の問題を抱えた後の松戸市と柏市では、“無関心”でいては安心な生活を送れないことが、市民の常識となり始めています。

▼ 柏の野菜は「受けつけない」「信じられない」という声が、「おいしい!」に変わるとき



それでは松戸市のライバル、柏市における原発事故直後の状況はというと、もともと東京という大消費地に向けての近郊農業が盛んだった柏市では、事故後、柏市の泥のついた野菜は危険なものだと見られるようになり、東京の消費者は柏産のものから急速に離れていったそうです。

生産者と消費者、汚染された地域の人とそれ以外の人など、立場の違う人たちがくっきりと分断されていた当時の状況は、柏市民の間であっても例外ではありません。

「体にいいものだ」と思ってつくっていた作物をビクビクしながら栽培せざるを得なくなった農家、幼い子どもを必死に守るために少しのリスクも避けたいと願う親、そして両者の狭間にある地元レストランのシェフ…

立場の異なる柏の人々に対話をしようと呼びかけたのは、手づくり市やマーケットなどを主催していた柏市の市民団体ストリート・ブレイカーズでした。まずはみんなでテーブルを囲むことから始めようと、『「安全・安心の柏産柏消」円卓会議』という場が設けられることになりました。



「柏に愛着があること」という条件をクリアした人だけが席に着いたこの円卓会議ですが、はじめの頃はピリピリしたムードの中、腹の探り合いで終わることもあったそうです。

しかし、生産者サイドからの「柏周辺には雇用の機会も多いし、農地を宅地や店舗に転用して収益を上げられるチャンスもある。こんな状況では、何のために農家を続けているのかわからない」という発言など、参加者が心の内を伝えるようになっていきました。(4)

消費者が農家を見捨てても、農家が消費者を見捨てても、柏市の社会がよりよくなることはないでしょう。

「消費者と生産者が一緒に東電への補償を求めていった方がいい」と、自分たち以外のところで解決策を求める声も再三上がっていたそうですが、結局、話していくうちに誰も柏を捨てるつもりはないのだということがわかり、少しずつ変わっていったのだそうです。



「買って応援」と口で言うだけなら簡単ですが、この柏市の円卓会議では、一つ一つ農場ごとに農作物の安全性を確かめ、消費者の求める安心を確立して行く方針を定めました。

つまり、最も放射能濃度の高い野菜も含めてその農場の作物が一定の安全基準をパスしていると公開し、「安全なものを買いたい」という柏市民が「この農場のものならば安心だから買おう」と行動してもらえるように働きかけるのです。

こうして柏市の農家をはじめ、消費者、レストランのシェフ、そして流通業者がボランティア作業員として参加して農場ごとを回っていく、野菜の汚染度の測定作業がスタートしました。

自分の畑で野菜の放射性物質の測定をした柏市の農家の人たちは、吹き溜まりになっているところや、肥料が行き渡りにくい畑の隅のところの野菜は汚染度が高くなっていることを確認しました。

一軒一軒測定した結果、高い数値が出てしまった柏市の農家が「もう、農業をやめろってことですかね?」と肩を落とすこともあったといいます。(5)

けれどそうした農家も、となりの畑の測定結果と比べるなどして、放射性物質を取り込まない“セシウムレス”な野菜に育てるために、土や肥料の工夫ができると気付かされたのだそうです。



市には1軒の農家が10箇所、15箇所など、細かくあちこちに農地を手がけていることも少なくありません。

そのため、1軒分の測定のために、時には30以上の野菜を潰し、数時間をかけて作業をすることもありました。

測定を手伝った消費者は、農家が丹精込めて育てた作物が次々と潰される様子を目の当たりにして心を痛め、さらに測定に出かけた先で「どうぞお礼に」と手渡されたもぎたて野菜を味わい、これまで暮らしてきた柏市のこんな身近なところに応援すべきものがあったと知ったのです。(6)



世界に目を向けてみても、人種差別、環境問題、そして女性の権利など、社会問題に対する自分の意見や感情をラップのように言葉にのせて表現する「Spoken Word」の人気が高まり、動画が1000万を超える視聴数を叩き出すなどしてパフォーマー人口をどんどん増やしています。

松戸市や柏市で自分から声を発することを知った人々のように、これからは「自分はマイクを持っている」と思える地域で暮らすことが、一番の暮らしの安心材料になっていくのかもしれません。



(1)ポール・エドワーズ「HOW TO RAP 104人のラッパーが教えるラップの神髄」(スペースシャワーネットワーク 2011年)p41

(2)ワンガリ・マータイ「UNBOWEDへこたれない ~ワンガリ・マータイ自伝」(小学館 2017年)Kindle

(3)樹林 ゆう子「すぐやる課をつくった男-マツモトキヨシ伝」(小学館 1996年)p142

(4)五十嵐 泰正「みんなで決めた「安心」のかたち–ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年」(亜紀書房 2012年)p250

(5)五十嵐 泰正「みんなで決めた「安心」のかたち–ポスト3.11の「地産地消」をさがした柏の一年」(亜紀書房 2012年)p52−3

(6)梅原 彰「農業は生き方です-ちば発、楽農主義宣言」(さざなみ会 2017年)p292


著者:関希実子 2018/5/11 (執筆当時の情報に基づいています)
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