日吉周辺にアップルが新しいオフィスを開設することで、ローカル経済に莫大な恩恵をもたらす。
横浜から約10分、渋谷から約20分程度でアクセスでき、慶應義塾大学のキャンパスがある日吉エリアはアップルが約250億円を投資してつくったと言われる開発施設や1988年にギリシャのアテネ市と姉妹提携を結び、商店街が23億円かけて、街をギリシャ建築風にアレンジした大倉山など、学生、企業、そしてローカルが上手く交差している興味深いエリアです。
日吉エリアが大きく発展するキッカケになったのが、現在、街のシンボルともなっている慶應義塾大学の存在で、「慶應義塾予科」が1934年に移転してくると、それに続いて「慶應義塾高等学校」、「慶應義塾普通部」、「慶應義塾大学工学部(現・理工学部)」も日吉に移り、学園都市としての機能を発展させていきました。
そして、現在、広大なパナソニック工場跡地に開発中の次世代都市型スマートシティ「Tsunashima サスティナブル・スマートタウン(TSST)」はアップル、パナソニック、野村不動産などの異業種10団体が持続的な新しい街づくりのために参画し、東京ガスグループのタウンエネルギーセンター、慶應義塾大学の国際学生寮、ユニーのスマート商業施設、パナホームのスマート集合住宅、そして、アップルのスマート技術開発施設などが一つの場所に構成されています。
また、この日吉・綱島エリア付近にはソフトバンクが買収した英国ARM社の日本支社、韓国サムスン日本研究所などのテクノロジー研究所が集まっており、優秀な学生と企業がよい循環を作り出すことで、まだ世の中にないものを生み出していくシリコンバレーの概念に近いものがあるのかもしれません。
たかがアップルという一企業が日吉・綱島エリアに来たぐらいで大げさなと思われるかもしれませんが、アメリカのシアトルという街は1979年にマイクロソフトがニューメキシコ州から移転してくるまでは、「絶望の街」と呼ばれていたにも関わらず、マイクロソフトの移転が様々なハイテク企業を呼び寄せるキッカケとなり、多くの雇用が生まれ、今では都市別の平均年収ランキングでも全米トップに選ばれるほどまでに成長しました。
マイクロソフトの卒業生が創業した企業は4000社にのぼると言われ、特にアップルのようなハイテク産業は製造業などに比べて地域に生み出す雇用が圧倒的に多いということからも、今後の日吉エリアは様々な変化が生まれるイノベーション・ハブとして期待することができるでしょう。(1)
▼ ラーメン激戦区日吉「ラーメンからナルトとほうれん草が消え、ラーメンをつくる人も脱サラした親父からバンダナをした若者に変わっていった。」
日吉駅の改札を出ると彫刻家、三澤憲司さんによってつくられた「虚球自像(こきゅうじぞう)」、通称「ぎんたま」と呼ばれるオブジェがあります。
これは1995年に東側の慶應キャンパスと西側の商店街を結ぶ「へそ」というコンセプトで作られ、日吉キャンパスに通う慶應生は、毎日このぎんたまを通って学校に向かい、放課後、このぎんたまの前で待ち合わせて遊びに出かけます。
また、日吉の駅を出るとすぐ慶應大学の入り口があり、そこからキャンパスまでの道のりには約100本のいちょうが植えられていますが、このいちょう並木には一つの伝説があって、入学してからこのいちょうの葉が落ちるころ(11月頃)までに恋人ができないと、そのまま卒業するまで恋人ができないのだそうで、慶應生はこの伝説を気にしている人が結構いるのだそうです。(2)
日吉は学生の街ということもあってか、ラーメン激戦区としても知られており、昼どきになるとどこも長蛇の列ができます。
考えてみれば、ラーメンほど変化の速い食べ物も珍しく、漫画家の東海林さだおさんが言うようにラーメンの歴史過去50年でラーメンの具からナルトとほうれん草が消え、新たに海苔と煮玉子が定着し、味にしても少し前は味噌や醤油が定番だったのが、今ではとんこつやつけ麺が主流になってきました。(3)
さらに、ラーメンをつくる人は脱サラした親父から若者へ、格好も白のコックスーツから黒のTシャツとバンダナにシフトし、昔は気軽に食べるファーストフードであったラーメンが今では行列ができる人気の食べ物へと変わってきており、そういった意味で、ラーメン激戦区である日吉に住んでいる人たちは常に新しいものへと変化を求める人たちなのかもしれません。
そして、最近の若者は、強大な資本によって作られ標準化やマンネリ化したものを徹底的に嫌い、企業の儲け話には一切乗らないといった強い意志のようなものが見られます。
エコノミストの竹中正治さんは日本人の独特なセンスと味にとことんこだわってつくられるラーメン屋の職人魂、そしてアメリカ人のマクドナルドに代表される市場の最大公約数的な需要・好みを対象にしてつくられる、両国の二つの文化を上手く比較しています。
竹中さんによれば、日本のアニメや漫画などのポップカルチャーはラーメンのようにビジネス規模は小さくても、作り手のセンスによって多種多様なものがつくられますが、アメリカの映画のようなビッグビジネスは大きな興行収入をあげるという目標があるため比較的一般的な好みを優先し、それをずっと繰り返すことによってワンパータン、もしくはマンネリ化に陥ってしまう傾向があるのだと言います。(4)
つまり、日本人のものづくりに対する考え方はこだわり抜かれた職人魂であり、アメリカのものづくりに対する考え方は大量生産ということになりますが、常に何か新しい変化を求め、特にマンネリ化や標準化を極端に嫌う学生たちの街、日吉がラーメン激戦区になっているという事実はやはりそれなりに世の中の動きと大きな関係があるのではないかと思います。
また、莫大な人口を抱える東京圏では、同地区に同業種のお店が増えれば増えるほど、お店の選択肢が増えて、街の集客力が自然と上がってきます。
日吉のラーメン激戦区で言えば、同じような店がいくつも並んでいても仕方ありませんが、それぞれの店が切磋琢磨してオリジナリティを出していくことで、ラーメンのレベルも街の活気も自然と上がっていくものだと言えるでしょう。
これは秋葉原を見れば、よく分かることですね。
▼ アップルが来たから凄いのではなく、なぜアップルが来ることになったかを考えると日吉・綱島エリアの新の価値が理解できる。
アップルが新しい拠点を構え、日本のシリコンバレーになるのではないかと言われている日吉・綱島エリアは環境問題に対しても非常に意識の高い街であり、鶴見川沿いではトヨタマーケティングジャパンが日本全国で展開する環境保全イベント「AQUA SOCIAL FES(アクアソーシャルフェス)」などを始め、様々なイベントが行われています。
もう200年以上続いている産業革命とは大量のエネルギーを使って、同じもの大量につくることで、それを買ってくれそうな人がいる場所に届けるシステムですが、どれだけテクノロジーが発展しても地球が壊れてしまっては意味がありませんし、それは何より日吉・綱島エリアに集結するテクノロジー企業たちが一番理解していることでしょう。(5)
その証拠にカリフォルニアのアップルの新しいキャンパスは100%再生可能エネルギーを使用し、キャンパスの周りには7000本の新しい木を植え、CEOのティム・クックは「世界で最もグリーンで環境フレンドリーなオフィスだ」と述べています。
そして、日吉・綱島エリアにできる新しいキャンパスも40%エネルギーの使用量を削減し、周りに1200本の木を植えて、キャンパス内で水の再利用も行われるのだそうで、このエリアの環境に対する強い意識がアップル勧誘の一つの要因になったのかもしれません。
グーグルも2013年に、人間の影響で変化していく地球の姿をとらえた複数の「早送り動画」を公開し、「こうした画像がグローバル・コミュニティに提供されることで、われわれがこの星でどう生きるべきか、将来を導くポリシーはどうあるべきかについて考える助けになることを願っている」と述べていますが、アップルの新しいオフィスの最寄駅である綱島駅の商店街では商店街の電灯をすべてLED化して電気代を8割、9割安くするなど本当に小さな努力が街のイメージをしっかりと向上させているのでしょう。
そもそも、日吉や綱島がある港北区は1960年代から80年代にかけて「都心に近くて安い」という理由からものづくり企業が数多く進出し、工業地帯化しましたが、時代の変化にともなって工場が撤退し始め、現在は環境などに配慮した持続可能な街づくりへと大きく変化しています。
持続可能な街づくりとは、マーケティングの暴走が見受けられず、モノの消費よりも、いかに生活を楽しむかというところに焦点を置いたライフスタイルのことを言います。経済拡大の時代には、マーケティングによる大量生産・大量消費が人々に喜びを与えた一方で、経済が縮小し、量よりも質が求められる時代においては、何か新しいもの生み出すプロセスを楽しむことが人々に喜びを与える要因となっていくことでしょう。
都市経済学者のウィルバー・トンプソンは1965年に、イノベーションや創造性を促進する都市として機能するためには、大学、図書館、博物館、そして企業などの研究所が一つの「コーヒーハウス」のような空間で統一されて、多種多様な人たちの頭脳が衝突するように設計する必要があると述べており、活動的な人の周りには、さらに活動的な人達が集まるため、クリエイティビティには限界がないのだと言います。(6)
そういった意味で、慶應大学やアップル、そして、様々な企業や地域が近い距離にある日吉エリアは今後様々な化学反応が起こりうる場所だと言えるのかもしれません。
アップルが日吉・綱島エリアに来るのと同じように、グーグルが渋谷に来るというニュースが先日大きな話題を呼びました。大半の人達はグーグルやアップルが来るから、そのエリアは発展するだろうと考えるでしょう。確かにそれはそれで間違いないのですが、その場所の未来を見極めるためには、なぜアップルやグーグルがその地に拠点を構えようとしたのかという「過去」をしっかりと理解する必要があります。
その場所の「過去」を理解することで、様々な現実的な「未来」が見えてくるのであって、ただアップルが来るぞという表面上の事実だけを理解しても、これから起こるであろう日吉・綱島エリアの変化を深く理解できないでしょう。
ラーメン、環境、音楽、若者、そして世界的な巨大企業と地域が発展する要因は一つではなく、いくつかの要因が重なって化学反応が起きるのですから、街の本質というものは、ある程度の期間、実際に住んでみないと分からないものなのでしょうね。
参考書籍
エンリコ・モレッティ「年収は『住むところ』で決まる 雇用とイノベーションの都市経済学」(プレジデント社、2014年)
造事務所「OB・現役学生なら知っておきたい大学の真実 慶應義塾大学の『今』を読む」(実業之日本社、2014年)
速水健朗「ラーメンと愛国」(講談社、2011年)
竹中正治「ラーメン屋vs.マクドナルド―エコノミストが読み解く日米の深層」(新潮社、2008年)
養老孟司、岸由二「環境を知るとはどういうことか」(PHP研究所、2009年)
リチャード・フロリダ「クリエイティブ・クラスの世紀」(ダイヤモンド社、2007年) P196
山口揚平「なぜゴッホは貧乏で、ピカソは金持ちだったのか?」(ダイヤモンド社、2013年)
千住博「芸術とは何か 千住博が答える147の質問」(祥伝社、2014年) P27
著者:夏目力 2017/12/14 (執筆当時の情報に基づいています)
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