時代のトップに守られてきた庭園、駒込「六義園」。日本の風景美を毒するものは、ペンキとセメントである。

JR山手線 駒込駅の西口から南に少し下っていくと、赤煉瓦の塀の前に「六義園」と掲げられた門が現れます。

この駒込の都立庭園 六義園(りくぎえん)は、海外メディアやガイドブックで、東京の喧騒から逃れられる場所として取り上げられるようになり、Vogueでも世界のベストピクニックスポットの一つとして次のように紹介されていました。

「小川のせせらぎ、丘から橋へつづく小道。庭園の中心にある池は木々に包まれ、桜の花がはらはらと舞い散る。現実の世界から逃れて午後のひとときを過ごすには、庭内にある茶屋がいい。心温まる一杯の抹茶をいただこう。」





外国人に人気のある日本の庭に「枯山水の庭」もありますが、枯山水が表現しているものが禅の精神とすると、六義園は詩歌の世界をテーマとしており、庭には万葉集や古今和歌集などに詠まれた名所・旧跡が写し出されていていて、ここぞという趣のある場所に茶屋が設けられています。

興味深いことに六義園はもともと大名庭園で、「生類憐みの令」で知られる徳川将軍綱吉の側近を長きにわたって務めていた大名 柳沢吉保(やなぎさわ よしやす)によってデザインされたものです。

この吉保は、忠臣蔵などの時代劇では綱吉を手なづけて天下を取ろうとする悪役の定番となっていますが、実物の綱吉と吉保はともに優れた文化人でした。





諸大名に「大学」などの儒学の書物を読むことを奨励し、「刀槍の力」に代わって当時荒廃していた「人心の力」を取り戻して社会秩序を築くことを目指していた綱吉に尽くす吉保の姿はあまり知られていませんが、吉保は実際にこの駒込の地に彼らの愛する心の世界をつくりあげています。

根深い野原で鷹狩場としても知られるようなところだった江戸のはずれの駒込に広大な土地を与えられた吉保は、7年をかけて詩歌の景観を一つ一つ表現し、六義園を築きました。

その六義園を受け継いで整備した吉保の孫、信鴻(のぶとき)の代には、口コミによって職業も身分も関係なく不特定多数の見物人が庭に訪れるようになり、六義園は人々が立場を超えて自然や詩歌を楽しむ社交場としての意味も持つようになっていったのだそうです。





情勢が移り変わる中で三菱財閥の創始者 岩崎弥太郎の手に渡り、岩崎家でも代々愛されてきた六義園ですが、その広大さ、美しさゆえに行政に預けて専門家に任せた方がいいだろうと、1938年に東京に寄付されることになります。すると、東京日日新聞には次のような記事が掲載されました。(1)

「六義園が東京市へ寄付されたが、これがまた心なきお役所技師によって、コンクリートとペンキとブリキの犠牲になって寄付者の好意を了らしめないように祈るものである。」

「オリンピックもすでに迫り、俗悪不体裁な看板、電柱、沿線広告と共に、その建築と造園と舗道と一切が日本的に設備され調和さるべく、その筋のブレインスタッフの協力再検討を要することと思う。」





この新聞記事には、かつては訪れる人を詩歌の世界に誘い込むような静かな池や小道の美しい庭園だった井之頭公園が、行政に渡ったことで風景美を失ったとも書かれています。

六義園の池にも白鳥ボートが浮かぶ可能性もあったわけですが、それぞれの時代を動かすトップの人間に愛されてきたからこそ、東京の駒込という、いつ再開発されてもおかしくなかった土地で、300年を経た今も吉保の思いを込めた六義園が受け継がれているのでしょう。

綱吉が亡くなったあと、隠居することを決めて駒込に移り住んだ吉保は次のように歌を詠んだそうです。(2)

「またも世に ふみは返さじ 今はとて 爪木こるべき 道に入る身は(俗世間には再び返信もしないし、歩み返すこともないであろう。もうこの世とは最後と考えて妻と寄り添い、薪の道つまり信仰の道に私は入るのだから)」





吉保が六義園を俗世界と切り離して考えていたように、六義園は東京にある別世界として海外でも知られるようになりました。

都会にいると、忙しい毎日に疲れていることが当たり前になってしまいがちですが、荒れてしまった心を回復させるためにも、身の回りの現実に干渉されない場へのアクセスをしっかり確保しておかなければいけません。

「環境は権力者にしか守れない」というのは養老孟司氏の言葉ですが、2020年のオリンピックにも動じずに、駒込に全ての人に開かれた詩歌の世界がこれからも残されていくことを願うばかりです。


参考資料

江宮隆之「柳沢吉保: 教科書が教えない元禄政治の実像」(パンダ・パブリッシング 2018年)Kindle 
森守「六義園」(東京都公園協会; 6版 2015年)p114−5
島内景二「柳沢吉保と江戸の夢 元禄ルネッサンスの開幕」(笠間書院 2009年)Kindle
小野 佐和子「六義園の庭暮らし」(平凡社 2017年)Kindle
福留 真紀「将軍側近 柳沢吉保―いかにして悪名は作られたか―」(新潮社 2011年)Kindle
養老 孟司 岸 由二「環境を知るとはどういうことか」(PHP研究所 2009年) Kindle


著者:関希実子 2018/2/27 (執筆当時の情報に基づいています)
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