高尾山は「東京の自然」だから、危機感を持つ人が圧倒的に少ない。
八王子にある日本一小さな国定公園 高尾山は、新宿から京王線に乗って1時間もかからずに行けるところにあります。
この高尾山は小さいながら、生き物がギッシリ詰まっている山として知られていて、イギリス全土の植物の種類数を上回るほどの多様な植物が確認されています。また、日本における昆虫の三大生息地の一つにも数えられているそうです。
「タカオスミレ」など、高尾山で発見されて名前に“タカオ”がついている植物も多数あるのですが、今はもう数えられるほどしか残っていないものや、すでになくなってしまった植物もあります。
というのも、八王子には中央自動車道や圏央道などの高速道路が通り、ミシュラン観光ガイドで3つ星を獲得したことで急増した高尾山の登山者に対応するための下水整備なども伴って、人工的に自然環境が壊されてしまっているのです。
高尾山に穴を開けてトンネルを開通させる圏央道の工事に対しては、55万以上の工事反対の署名が集まり、20を超える絵本やエッセイ、写真集も出版されるなどして、30年近くに及ぶ反対運動が繰り広げられました。
工事の差し止めを要求する裁判では、八王子市民や自然保護団体だけではなく、高尾山や八王子城、それから高尾山で暮らすムササビ、オオタカ、そしてブナの木などの自然の生き物たちも訴える側として原告に含められたのだそうです。
そして、運動をしていた人々が寄付を募って出した新聞広告にも、「高尾山が泣いている。」という大きなコピーとともに、高尾山が涙をこぼしているイラストが掲載されました。(1)
しかしながら、東京の八王子にある小さな山である高尾山は、人々の中で無意識のうちにその自然の重要度を低く認識されてしまうところがあるようで、実際に高尾山を守る運動に携わっていた酒井喜久子さんも次のように感じ取っていたそうです。(2)
「たくさんの生命を宿してはいるが、高尾山の自然は白神とも屋久島とも尾瀬とも違う。東京の自然なのだ。だからなのだろうか。トンネルが通されることを知っても危機感を持つ都民が少ない。」
「山と山の合間に仕事をしている」というほど山登りに魅せられている女優の市毛良枝さんは、著書「山なんて嫌いだった」の中で、自然とともにあった昔の東京を、次のように思い返していました。(3)
「多摩川の河原でツクシを採ったこともあったのに、今では東京にはコンクリートに囲まれた自然しかない。自宅の近くにも最近まで原っぱがあり、近所の人たちが長い間『原っぱのまま残してほしい』と運動していたのだが、福祉のためという名目でビルが建てられた。都会ではこのうえもなく贅沢な場所だったのに、原っぱはなくなってしまい、取り戻せない大事なものを失ってしまった。」
「生活力=お金を稼げる」とされる都会の中で休みなく仕事をし、お金を稼いでいた頃は、ご褒美のつもりで宝石を買ったりしていたという市毛さん。山に登るようになると、「山に行けば宝石類なんてなんの価値もない。季節ごとに彩りを変える草木、風雪に耐えて可憐に咲く花々…それらのほうがはるかに美しい」と気づいたのだといいます。(4)
ビジネスのために高尾山は手を入れられて、せっかく身近なところに残されていた、宝石よりも価値あるものがどんどん失われていることは間違いありません。
まだトンネルが掘られる前の話ですが、登山口近くのバス停で、ハイカーも飲めるように湧き水を引いた水道を管理していたタバコ屋のおばあさんは、次のように言っていたそうです。(5)
「トンネル開けられて、この水どっかへもってかれちゃうかと心配だね。この水絶えちゃうんじゃないかと。昔っからの、このおいしい水がね…」
事実、工事でダイナマイトが使われて壊れた高尾山の血管からは湧き水が漏れ出し、滝や井戸が枯れ、地下水が低下し、地表が乾いて岩崖が崩落するなどの報告も上がっています。
こうしたことは想定外のことではなくて、工事をやめさせるために裁判を行っていた人々は、工事によって失うものが大きいのは未来の市民だと考え、未来の人たちも原告に入れるべきだと考えていたのだそうです。
結局未来の人を原告に入れることは認められなかったそうですが、子どもでも登れる小柄な山、高尾山。そこを自然教室として育った人たちの中に、数々の自然科学者を生み出してきた実績を持っています。
八王子という立地もあって、新宿から親子で往復1180円の電車賃とソフトクリームを買うくらいの出費で1日楽しめることから、東京のお父さんたちの間では「この不景気に、一番安く家族サービスできるのは高尾山だけ」という話も聞かれるとか…。
つくられてしまった高速道路も水洗トイレもなかったことにはできません。それでも、身近な遊び場として子どもたちの心に思い出を残していくことだって、高尾山のために闘う未来人を生み出すための市民運動なのだと思います。
(1)高尾山の自然をまもる市民の会「守られなかった奇跡の山–高尾山から公共事業を問う」(岩波書店 2013年)p8
(2)田中 澄江、武田 久吉、みなみ らんぼう、他「高尾山 (日本の名山 別巻2)」(博品社 1997年)p239
(3)市毛 良枝「山なんて嫌いだった」(山と渓谷社 2012年)Kindle
(4)市毛 良枝「山なんて嫌いだった」(山と渓谷社 2012年)Kindle
(5)田中 澄江、武田 久吉、みなみ らんぼう、他「高尾山 (日本の名山 別巻2)」(博品社 1997年)p223−4
参考書籍
宮入芳雄「ぼくは高尾山の森林保護員」 (こぶし書房 2014年)
著者:関希実子 2018/4/27 (執筆当時の情報に基づいています)
※本記事はライターの取材および見解に基づくものであり、ハウスコム社の立場、戦略、意見を代表するものではない場合があります。あらかじめご了承ください。