千葉県いすみエリアのこだわりマーケット。「“小商い”して自由に暮らして、もっと人生遊ぼうぜ。」
九十九里浜の南にある千葉県いすみ市とその近辺の町では、ここ数年、自分の思いを形にした商品のつくり手たちが集まって、ちょくちょくマーケットを開催しています。
その元祖マーケットはというと、東京からいすみ市に移り住んで、マクロビオティックのレシピ本などを数々送り出している中島デコさんと、同じく東京からやってきて“田舎のパン屋”「タルマーリー」(現在は鳥取県に移転)を開いていた渡邉格さんらによって生まれた「ナチュラルライフマーケット」です。
2007年から2010年まで開催されていたこのマーケットには、オーガニックの概念を共有する房総半島のこだわりの店が集まり、最終回にはアクセスの簡単ではないいすみ市内の会場でありながら、およそ90の店と5000人の客で賑わったといいます。
このいすみ市、実はローカル線いすみ鉄道で東京まで片道2時間、駅には1日に15本しか電車が来ないというところにあり、千葉県とはいえ、仕事のために東京に通う人はほとんどいません。
いすみ市の古民家に住み、米作りまで自分で行っていた中島デコさんは、いわゆる東京経済圏の圏外で働いている日々の暮らしについて、次のように述べていました。(1)
「普通にお勤めしていたら、こうして平日の午後に日陰で田んぼ眺めながらおしやべりなんてできないでしょ?好きな時に好きな人と好きな場所で仕事するのって、自分にとっては遊びだもん。だからみんなにも、小商いとかして自由に暮らして、もっと人生遊ぼうぜ!って勧めたいよね。」
ここでいう“小商い”というのは、小さいからといってちょっとした小遣い稼ぎを指すのではありません。
「『小商い』で自由にくらす (房総いすみのDIYな働き方)」の著者 磯木淳寛さんによると、小商いとは「思いを優先させたものづくりを身の丈サイズで行い、顔の見えるお客さんに商品を直接手渡し、地域の小さな経済圏を活発にしていく商いのこと」であり、一言で言うと、とことん“DIY”で“Face to Face”で“Local”な仕事のことなのだそうです。(2)
▼ 田舎で500円以上のチーズを売るのは、ものすごくむずかしいんです。
この本の中には、2017年に「ALL JAPAN ナチュラルチーズコンテスト」というチーズの全国大会で最優秀賞「農林水産大臣賞」を受賞したいすみエリアの「チーズ工房【千】」も紹介されています。
この工房の営業は、毎月第一日曜日だけ。そこにはチーズ職人柴田千代さんの「工房は売るところではなくて造るところである」というモットーが反映されていて、ものづくりに集中して営業日により美味しさのピークにあるチーズを提供できるようにという意味があるのだそうです。
いすみ市の隣の大多喜町という、山深い町に工房を構えた柴田さんは、「田舎で500円以上の商品を売るのは、正直すごくむずかしい」、だからこそ、顔を合わせられる範囲の人に手から手へとチーズを届けるのだと言います。(3)
農家と縁の薄い場所で生まれ育ち、「○○産」「無添加」などといった情報を食べて満足してしまうところがある都会の人たちと比べると、新鮮な農作物を味わっているいすみ市のようなところにいる人たちの方が、味覚はずっと豊かでしょうし、生産者の思いもしっかりと伝わるのかもしれません。
思えばここ数年、どこのスーパーでも、生産者の顔写真がついた野菜パックを見かけるようになりましたが、野菜をつくる人と、手に取る人との間に写真ひとつで信頼関係が生まれるわけはなく、スーパーでもコンビニでも、人々が日常的に買っている商品というのは、だいたいがどこでも誰でも手に入る、大きな企業のモノなのではないでしょうか。
いすみ市と東京のおよそ中間地点に位置する千葉県佐倉市で、有機農業を営んできた林重孝さんは、約100軒のお客さんに毎週/隔週で、野菜を直接玄関先まで届けているといいます。
野菜を介したお客さんとやりとりを大切にしてきた林さんは、そこに込められる気持ちを次のように話していました。(4)
「農産物を届けるとき、『お願いします』といって手渡し、消費者が『ありがとうございます』という。こちらは農薬、化学肥料を使わず、丹精込めて作った農産物だから、いろいろ工夫して調理して食べてくださいという意味である。受け取った消費者は、安全でおいしく食べることで生かされているのでありがとうございますという。」
私たちが普段何気なく買っている食べものは、不平等な世界で安い値段のつけられた材料を遠い国から大量に仕入れて製品化されたもので、私たちがそれを買うことは、そのシステムを応援し、助長することにもなります。
スーパーやモールで買い物をしているときに、そこまで考えを巡らせることはあまりないのかもしれませんが、いすみ市から九十九里浜を北に上っていったところにある白子町で「小高義和靴工房」を営んでいる小高さんは、「買い物は『投票行為』」と述べていました。(5)
個人の作り手のものやカフェにお金を使うようにしているという小高さんですが、そこには、小商いにお金の使うことによって、同じいすみエリアにいる小商い同士のつながりが生まれることに加えて、小商いをしているその人を応援することができるという実感も込められています。
▼ 「儲けよう」とすれば格差ができる。同じ規模で経営を続けていくのに「利潤」なんて必要ない。
50歳で女装を始めた教授として、近頃話題の人になっている東京大学教授の安冨 歩さん。その著書「生きる技法」では、「同じものを買うにしても、それがあなたの欲望をどれだけ満たすか、だけを考えて買うのは得策ではありません。それを買うことで、どういう関係性が生じるか、についても考える方が、自分自身を大切にすることにつながるのです」と述べていました。(6)
そして安冨教授は、中世の日本にあった「うとく人」(有徳人、有得人)のようにお金を使うのが賢明だとしています。
うとく人たちは、気に入った人にお金をあげるのですが、お金をポンと渡すのではなくて、その人が作ったものを買ったり、その人に仕事をしてもらったりしてお金を払うのだそうです。
そうやって気に入った人と縁をつくり、良いネットワークを築いているうとく人のところには、自然と良い話が舞い込んでくることになり、そこでまたうとく人はお金を得て、それを使って良い縁をつくる、というサイクルを繰り返してきました。
仕事が豊かな人間関係を生み出すところは、いすみエリアの小商いの人たちの現状と重なります。
一方で、誰かれ関係なくモノを売り買いするようになってしまったのが現代の資本主義社会です。
いすみ市から天然酵母と自然栽培の材料でつくるパン屋「タルマーリー」を始めて、さらに素材の喜ぶ環境を求めて移動をし、現在は鳥取県で事業を展開している渡邉格さんは、著書「田舎のパン屋が見つけた『腐る経済』」の中で、資本主義によって変わってしまったイギリスのパン業界の話をしていました。
パン業界に資本家が入り込み、莫大な儲けを追求するようになっていったロンドンでは、19世紀頃になるともう、資本家にコントロールされた「安売り業者(アンダーセラーズ)」のパン屋が台頭し始めます。
そして、安売り業者で安い賃金で長時間労働をするようになっていったパン職人は、「42歳に達することはめったにない」というほど健康を害する人が多くなっていったそうです。(7)
儲けを追求する安売り業者が大企業になり、ビジネスをするなら利潤を出して当然というようになって、世界の富の3分の1以上を世界の人口のわずか0.5%の人間の手が握っているというように、格差はどんどん広がっています。(8)
そんな世の中ですから、新しい治療薬も素晴らしい技術も、わずかな人のためだけに存在すると言っても過言ではなく、豊かな人間関係も安心な暮らしもない、ないないづくしで生きなければならない人はますます増えているのです。
資本家ばかりが潤う“儲け”という概念を捨て、食と職の豊かさや喜びのある仕事をしたいと、いすみ市への移住を決めた渡邉さんは、次のように述べていました。(9)
「『利潤は、次の投資のために必要だ』という話をよく聞くけれど、それは結局、生産規模を拡大して、資本を増やしていくためでしかない。同じ規模で経営を続けていくのに『利潤』は必要ない。」
▼ 幸せな生き方とは、「いいこと思いついた」をカタチにすること。
いすみ市のような小商いは、大企業がひしめく都会の経済圏から影響をそれほど受けていない京都なども、盛んな場所として知られています。
京都で現在6店舗まで拡大している町家カフェ「サラサ」は、もともと大塚章寿さんと岸本哲さんが、古民家を手作りで改装して1号店をつくり、16年間小商いとしてやっていたのが始まりなのだそうです。
自分たちの歴史が続いていくように事業を拡大すると決めた二人は、店舗を増やしていきますが、そこで掲げられている「サラサの哲学」には、「サラサとは利益主義に走らず、またそれに利用されることなく常に幸福(しあわせ)をもとめる場である」という一文があります。
「いいこと思いついたんですよ」が口癖だったという岸本さんは、亡くなる直前に、「やりたいことをやれて、これだけ好きなことをやれて、幸せな人生でした」という言葉を残したそうです。(10)
その言葉に出会ったとき、それとは真逆のことが書かれていた記事を思い出しました。「最も後悔していることは何ですか」と、死期の近い患者たちに問いかけ続けたある看護師に、患者から一番多く返ってきた答えが、「他人が期待する人生ではなく、自分自身に正直に生きる勇気があればよかった」という話です。
きっと、「いいこと思いついた」と話したとき、「資金は?」とか「これまでのキャリアがもったいない」とか言われてしまうところにいるよりも、企業の息があまりかかっていない、いすみ市のような環境に移るほうが、充実した自分なりの人生を組み立てやすくなるのかもしれません。
自分をすり減らしてしまう都市の暮らしを見直そうと「東京アーバンパーマカルチャー」を立ち上げてワークショップを開催するなどしているソーヤー海さんは、いすみエリアの小商い人たちを取材した磯木淳寛さんのインタビューを受けて次のように話していました。(11)
「一般的に言われる自立って結局、企業への依存なの。企業に勤めて給料をもらい、そのお金で企業の作ったものを買って生活するということだから。」
SNSなどをうまく使って、心が豊かになるような人間関係を増やしながら仕事をしているいすみエリアの小商いの人たちは、実店舗を持っていないことが多く、彼らの出店しているマーケットに行きたくてもどこでやっているのか一般には告知されていないことも多いのだそうです。
けれどそれは、私たちが小商い消費を増やしていけば、自ずと彼らのネットワークに入れるときが来るということなのだと思います。
そして、次第に自分のアイデアの芽が出て来ると、企業への依存は終わり、顔のわかる人間関係の中で自分自身や相手を大切にする自立した生き方ができるようになっていくのかもしれません。
(1)磯木 淳寛「「小商い」で自由にくらす (房総いすみのDIYな働き方)」(イカロス出版 2017年)p116(2)磯木 淳寛「「小商い」で自由にくらす (房総いすみのDIYな働き方)」(イカロス出版 2017年)
(3)磯木 淳寛「「小商い」で自由にくらす (房総いすみのDIYな働き方)」(イカロス出版 2017年)p77
(4)梅原 彰「農業は生き方です-ちば発、楽農主義宣言」(さざなみ会 2017年)p183−4
(5)磯木 淳寛「「小商い」で自由にくらす (房総いすみのDIYな働き方)」(イカロス出版 2017年)p43
(6)安冨 歩「生きる技法」(青灯社 2011年)p93−5
(7)渡邉格「田舎のパン屋が見つけた『腐る経済』」(講談社 2017年)Kindle
(8)ポール ファーマー「世界を治療する: ファーマーから次世代へのメッセージ」(新評論 2016年)p115
(9)渡邉格「田舎のパン屋が見つけた『腐る経済』」(講談社 2017年)Kindle
(10)鈴木 雅矩「京都の小商い~就職しない生き方ガイド~」(三栄書房 2016年)Kindle
(11)磯木 淳寛「「小商い」で自由にくらす (房総いすみのDIYな働き方)」(イカロス出版 2017年)p157
著者:関希実子 2018/5/18 (執筆当時の情報に基づいています)
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