「70代を高齢者と言わない」神奈川県、大和市。まちの巨大図書館で、市民の“自分史”コーナーをはじめました。

神奈川県大和市は、北側は東京都、東側は横浜に接していて、市内に3つの路線(小田急線、相鉄線、東急田園都市線)が走り、どこに向かうにも交通の便に困らないまちです。

この大和市について、今年の4月に新聞各紙がこぞって取り上げていたのが、大和市の大木哲市長による「70歳代を高齢者と言わない都市」宣言でした。

なんと国内のみならず中国メディアでも、「日本の大和市が高齢化を力ずくで阻止」とユーモラスに伝えられていたそうです。



発売から1年半で12版、売上25万部を突破したビジネス書「ライフ・シフト 100年時代の人生戦略」のアイデアは、雑誌からテレビまで、あちこちのメディアで目にするようになり、60歳なんて人生半ばという“人生100年時代”が当然視され始めています。

実際、日本老年学会などが昨年、今の高齢者は10年前に比べて身体の働きや知的能力が5~10歳は若返っていると判断し、高齢者の定義を75歳以上に見直すよう提言しました。

実は大和市は、4年前にも「60歳代を高齢者と言わない都市」と宣言しているのですが、大和市の大木市長は今回の宣言に、「生涯現役意識を高め、いつまでも生き生きと活躍してほしい」という、応援メッセージを込めたと話しています。



これから、60代後半から70代前半までの人たちが「支えられる側」であるという考えを見直す動きはますます大きくなっていくでしょう。

“高齢者”の過渡期にあたる団塊世代の人たちを中心にもう一つ動き出しつつあるのが、大和市の文化創造拠点「シリウス」内にある図書館で今年スタートした、大和市民が寄贈する「自分史」(自分の人生の記録)のコーナーです。

寄贈される自分史は、市民が自分で書いた、100〜300ページくらいの文量のもので、長期保存が可能な紙質や製本であることという条件がある中、2月に受付をスタートして10日も経たないうちに、最初の寄贈があったという報告がありました。



大和駅西口から徒歩3分のところにあるシリウスは昨年、図書館を核とする公共複合施設としては全国初となる、年間利用者数300万人を突破しました。つまり、単純計算でも1日に8000人以上がやってくるということですから驚きです。

そのシリウスの中心である図書館に、大和市民から寄贈された自分史が、図書館5階に設けられた専用コーナーに所蔵されています。

▼ 60歳を過ぎると、人は“自分史”を書いてみたくなるものらしい。



有名な人の自伝以外は広く市場に出回っていませんし、これまで一般の人それぞれの歴史は、その人の中だけにおさまっているものでした。

しかし今、シニアの間でまさに大和市に集まりつつあるような「自分史」が、密かなブームといえるほど需要が拡大しています。

例えば、親の名前と写真が表紙になっている、A4サイズ20ページの「親の雑誌」。これは、2015年に株式会社「こころみ」の始めた親の自分史をつくるサービスですが、スタートしてからの累計で600件以上を受注しているそうです。



「70歳代を高齢者と呼ばない」という大和市の宣言は理想でもなんでもなく、実際に50代60代で学び直しやセカンドキャリアの道を決めて学校に通う人は少なくありません。

「田中角栄研究」や「宇宙からの帰還」などの著作で知られる立花隆さんは、「入学資格50歳以上」という立教セカンドステージ大学で、受講生が実際に自分史を書きあげる「現代史の中の自分史」という講義をおこないました。

その講義の内容をおさめた著書「自分史の書き方」で、立花さんは次のように述べています。(1)

「人間不思議に、60歳を過ぎるあたりで、自分史を書いてみたくなるものらしい。還暦という、生まれてから60年目にやってくる人生の大きな区切りを目の前にするあたりで、誰でも『自分の人生っていったいなんだったんだろう』と立ち止まって考えたくなるものらしい。」



史上2番目の高齢となる67歳で直木賞を受賞し、大和市から市民栄誉賞が送られた作家の青山文平さんは、時代小説の書き手とはいえ「信長や秀吉にはあんまり興味がない」として、魚でいえばアジのような大衆の物語を書きたいと述べていました。

20歳頃に大和市に移り住み、今も大和市の自宅で執筆を続けている青山さん。「論文でもなんでも、その人間の生きてる状態というのはなかなか描きにくい」のだそうです。

立花さんの自分史の受講生の作品には、自分や家族の車の歴史を詳しく年表に書いてあるなど、それぞれの過ごした時代の見え方が生き生きと描かれています。そうした文章を読んでいると、その時代を生きた人以上に生きている状態を残せる人はいないということがわかります。



立花さんは「結局、どんな民族の歴史も、ミクロな部分に目をこらして見れば、その民族の個々のメンバーの自分史としてある」と述べていました。(2)

確かに、何年に何があったというような歴史のマクロな動きを見ているだけでは、時代の流れはつかめたとしても、人々の実際の姿は見えてきません。

それに対して、例えば原爆の体験を語れる人がどんどん減って、被爆の苦しみが伝わりにくくなりつつあるように、大和市に寄贈されてくる個々人の自分史を見ていると、歴史的意味を持つものが見えてくるかもしれません。

▼ 学生運動、オイルショック、バブル経済…。過去を綴る“自分史”は、これからの“未来史”へと続く。



大和市の図書館では、市民が寄贈した自分史を、来館した人が誰でも閲覧できるようになっています。

その中にはきっと、ベビーブームとか学生運動とか、その人の生きた時代の実体験がたくさん詰まっていることでしょう。もうその世代の話を実際に聞くことが叶わない100年後の未来の人たちにとって、貴重な資料になっていくことは間違いありません。

本屋に並ぶ書籍の出版社は、売れるかわからない新人作家の本よりも、アイドル作家の本を量産するようになっています。

それだったら、24時間働いてきたサラリーマンの話、一筋に作物と関わってきた農家の話など、大和市の図書館にこれから集まってくる市民の自分史の方が面白いかもしれません。



実業家として成功を収め大富豪となったアンドリュー・カーネギーが世界の国々につくった図書館の数は2500以上だそうです。フランスでは、市民の80%が自宅から徒歩10分圏内に図書館があるといいますが、日本では公共図書館の数はまだまだ少なく、およそ3300程度で、運営にかけられる費用は年々削られる傾向にあります。(3,4)

その一方で、「図書館の城下町」を目指す大和市は、細長い形をした市の中央にシリウスの図書館、北に市立中央林間図書館、南には市立渋谷図書館と3つの図書館を抱え、さらには市の2つの学習センターにも図書室を設置し、小中学校の学校図書館も全校でリニューアルされ司書が配置されました。

上下本などの厚い本は出版社でも避けられるようになり、本を読む力がどんどん失われているといいますが、こうして小学生から図書館を利用して読書をする習慣がつくことにより、大和市では、書く市民だけではなく読む市民も生みだされていくことでしょう。



自分史に取り組んでみると、書いても書いても書き足らないような気がしてくるものなのだそうで、前述の立花さんの講義を受けた人の中には、「自分は今後一体どうするつもりなのだろう?」と思い立ち、やりたいことを並べた「未来自分史」をつくる人もいたといいます。(5)

ある古本屋の主人の言葉に「本を読むって、人生を一つもらうことですよね」という言葉がありましたが、本を書くこともまた、人生を広げる手段となるのです。

大和市に自分史を書く市民がこれから増えていけば、なかなか人生を閉じることのできない人たちが、大和市を自ら「70歳現役」のまちへと変えていくことになるかもしれません。


(1)立花 隆「自分史の書き方」(講談社 2013年)p10
(2)立花 隆「自分史の書き方」(講談社 2013年)p190
(3)アンドリュー・ラーセン「図書館を心から愛した男 アンドリュー・カーネギー物語」(六耀社 2017年)
(4)アントネッラ・アンニョリ「拝啓 市長さま、こんな図書館をつくりましょう」(みすず書房 2016年) p183
(5)立花 隆「自分史の書き方」(講談社 2013年)p343


著者:関希実子 2018/6/8 (執筆当時の情報に基づいています)
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