戦争の悲しみを受け止めた鎌倉のあじさいは人々の孤独や寂しさに寄り添って咲いている。

梅雨の風物詩として多くの日本人に親しまれている紫陽花(あじさい)は、雨の降る中でしっとりと落ち着いた風情を醸し出していて、梅雨の曇天に塞ぎ込みがちな私たちの心を和ませてくれる存在です。

鎌倉といえば紫陽花の名所として全国でも指折りの地域に数えられますが、三方向を山に囲まれていることで強い日差しがさえぎられ、低地に向かって雨水が流れ落ちることで程よい湿り気が保たれる鎌倉の地形は紫陽花が育つのにぴったりの場所なのです。





雨の中を佇むように咲いている紫陽花にはどこか寂しさを覚えるものですが、50万部を超えるベストセラーとなった『家族という病』著者の下重暁子さんは北鎌倉にある明月院の紫陽花を見たときに強い孤独感を覚えたそうで「あじさいの 群れて淋しさ 勝りけり」といった俳句も詠んでいます。

いくつもの小さな花が集まっているあじさいを見ると、寂しさを紛らわそうとして他の人と群れることでかえって余計に淋しくなってしまうことを紫陽花が思い起こさせるのだそうです。

これは都会の大通りなど人がたくさんいればいるほど逆に孤独を感じてしまったり、FacebookやTwitterといったSNSを使えば使うほど孤独感が増しているように感じられることとどこか似ているのかもしれません。





鎌倉には数多くのお寺が存在していて、「あじさい寺」という言葉があるように紫陽花とお寺には深いつながりがあるのですが、これは紫陽花がもともとは死者を弔うための花だったということが関係しているようです。

医療技術が確立されていない時代、梅雨特有の急激な気温の変化によって日本各地で流行病が伝染し、多くの人が命を落としたと言われていて、亡くなった方への弔いの意味を込めて、人々は梅雨に咲く紫陽花の花をお寺の境内に植えたのだといいます。





鎌倉で紫陽花がこれほど有名になった起源には、第二次世界大戦の戦争で荒れ果てた人々の心を慰めるために明月院の住職が紫陽花を植え始めたことがあるようで、これをきっかけに昭和40年頃から鎌倉の街やお寺に紫陽花が増えていきました。

元々は人々の悲しみを和らげるために植えられた紫陽花ですが、紫陽花の長い根を広く横に張る特性は、山を切り崩すことで作られた鎌倉で土砂災害が起こることを防ぐのにもうってつけだったようです。





紫陽花は土質や時期によって刻々と変化していくことから「移り気」といった花言葉もあるくらいで、その淡色の美しさは多くの人々の心を捉え、今では鎌倉になくてはならない存在になっています。

静かでほの暗い雨の日に、鎌倉の寺院で紫陽花を見ると、寂しさや優しさ、もの哀しさといった感覚を覚えるのは、紫陽花の花が鎌倉を訪れる人々と地域を見守ってくれているからなのかもしれません。


参考文献・下重暁子『人生という作文』(PHP研究所、2015年)Kindle

・Hanako特別編集『温泉と、おいしいものと。東京からちょっと離れて1泊2日の旅の宿。』(マガジンハウス、2017年)


著者:天野盛介 2018/6/20 (執筆当時の情報に基づいています)
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