「近寄ってはいけないまち」から「行ってみたいまち」へ。黄金町を変えたのは”アート”だった。

京浜急行・黄金町駅の高架下、横浜港に注ぐ大岡川沿いには、ところどころウォールアートが描かれ、またアトリエやオープンウィンドウのおしゃれな店舗が、所狭しと連なっています。

横浜駅から約10分ほど、関内や伊勢佐木町といった繁華街と隣接するようにある黄金町は、「アートのまち」として知られ、みなとみらいや桜木町といった有名な観光名所ではないにも関わらず、国内外から多くの注目を集めています。

アートのまちと言えば、インスタ映えスポットとして話題の佐久島や、アートフェスティバルで有名な別府など、全国規模でみれば他にも多数ありますが、黄金町がとくに注目される理由には、この町の成り立ちが大きく関係しています。



現在でこそ綺麗な外観の建物が多い黄金町ですが、少し前までは違法風俗店が立ち並び、売春が横行し、また麻薬密売の温床になるなど、「近寄ってはいけないまち」として有名でした。

危機感を募らせた住人たちが、行政や警察、大学などと連携しながら取り締まりに乗り出し、ある時期の一斉摘発を経て風俗店舗が激減したのですが、さらにまちの負のイメージを一気に変えようと考られたのが、「アートによるまちおこし」でした。



現在でも、一部には過去を彷彿とさせる錆びた建物が残り、また、まちの中心には「自立宣言」として、黒い歴史を二度と繰り替えさないようにと、誓いの文が掲載されています。
では、なぜアートである必要があったのでしょうか。実際、ヨーロッパなどでは「アートはまちの個性を作る」とまで言われ、芸術によるまちおこしというものが当たり前に行われきた事例があることを踏まえると、その相性は確かに良いのかもしれません。

その理由として、まず考えられるのが「アートを取り入れることで、すでにある地域資源を活用できる」という点です。

そもそもまちおこしというと、過疎化した地域やシャッター街化した商店街などから端を発することが多いことからも分かるとおり、そのまちが経営難の状態になっている、つまり経営資源が十分ではないという点が挙げられます。

そこで、まちにある限り少ない資源を、むしろ利用していくという発想に変わっていく。黄金町の場合、一斉摘発によって生まれた空き家をアトリエに、薄汚れた壁面はウォールアートに、という風に地域資源が、徐々にアート作品へと変換されていきました。

多くの時間や費用、決まった場所を必要とする有形なものに頼るのではなく、流動的で、かつある意味で無形なアートによって、その地域がクリエイティビティを帯びていく。

流れが速く、「既存」がすぐに壊されていく現代だからこそ、アートによるまちおこしは今後さらに増えていくのかもしれません。

高架下や旧店舗の外壁など、まちの方々でウォールアートが散見される。

また、もうひとつ重要なファクターとして考えられるのは、地域に人が増え、結果的にそのまちが外に開かれていくという点です。

アートがあるということは、そこに創り手がいて、また鑑賞する人がいるということ。うまくいけば、アーティスト、鑑賞者、地域住民、この三者の交流が生まれ、その盛り上がりにより、次第に他地域や他国に認知されるようになっていきます。

この点が重視されていることは、黄金町が「アーティスト・イン・レジデンス(AIR)」という手法を採用している点からも読み取ることができます。

空き家となった店舗は、主にアーティストによってアトリエや展示スペースとして活用されている

AIRとは、各種の芸術制作を行う人物を一定期間ある土地に招き、その土地に滞在しながら作品制作を行わせる事業のことで、「地域が作家に投資をし、作家が地域に還元する」という関係性を作り出すことができる、世界各国で行われている手法です。

とくに黄金町の場合は、違法風俗店舗の一斉摘発により膨大な数の空き店舗が生み出されたこともあり、このAIRを行うのに適した環境だったと言えるのかもしれません。

建築家やアーティスト、芸術系大学の学生らが携わって、外壁にはおしゃれな塗装を施し、内部は作品制作や展示がしやすいように改装されている(写真:日ノ出町エリア)

アーティスト自身がその空間に滞在しながら、リサーチや創作の過程で、地域の歴史や現状を知り、さまざまな人々に出会う。その結果、アーティストと地域の人々に交流が生まれる。

実際、黄金町では、過去に地域住民がアート施設の塗装作業に協力したり、さまざまなワークショップに参加したりと、アーティストと住民の垣根が限りなく薄いことが伺えます。

またアーティストがそこに介在することにより、そこに鑑賞者が集まり、その鑑賞者自身も、その地域に伝承される文化や伝統、風景といった魅力や価値を再発見する機会になる。

結果的に、アーティスト、鑑賞者、地域住民の交流が渦をつくり、そのまちが他地域へ、また世界へと開かれ、注目されるようになっていきます。

このような相互関係がまちのなかにうまく形成されることで、たとえば一過性のまちおこしイベントとは異なり、そのまちの魅力が、長期に渡って発信され続けるという継続性が生まれていくことも、またAIRの長所なのかもしれません。

まちの中心となる高架下スタジオの一部。アトリエのほか、「アートによるまちづくり」の基軸を担った黄金町エリアマネジメントセンターや、アートの学びの場となっている黄金町芸術学校の一部などが入っている

徐々に認知が広がり、いまや横浜のアート拠点ともなっている黄金町。さらに現在では、この地に住むアーティストが先生となって行われる黄金町芸術学校や地元の人が先生になって行われるまちゼミ、各種展覧会なども開かれるようになるなど、ますます「アートのまち」としての側面が強くなってきたようです。

住む人の層についても、ファミリー世帯など若年人口も増加してきたり、子供が遊ぶ姿が見られたりと、ひと昔前からは想像ができないような光景に様変わりしています。



しかしこのように綺麗になったいまも、これまで通り、清掃・パトロール活動などを定期的に続けられるなど、過去の黒い歴史を二度と繰り返さないようにと、地域の人々によって守られています。

いまなおも進化しつづけている「アートのまち」黄金町。日本ではAIRの歴史も浅いため、先駆的な成功例として、今後多くのまちから注目されていくのかもしれません。


2020/5/29 (執筆当時の情報に基づいています)
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