日本のスイーツ文化をつくった街、自由が丘「モンブランもシュークリームもここから生まれた」

今日では甘いお菓子のことを当たり前に「スイーツ」と呼びますが、スイーツという言葉が世に定着したのは平成に入ってからのこと。

それまで雑誌の特集やメディアなどでは「スィーツ」「スウィーツ」「デザート」と表記がバラバラだったものの、2000年ごろから徐々に現在の「スイーツ」という呼称に統一されるようになりました。

実はこうした日本のスイーツ文化に大きな影響を及ぼしたのが、自由が丘だったのです。

2003年11月にオープンした日本初のスイーツのテーマパーク「自由が丘スイーツフォレスト」

今となってはスイーツのメッカとして圧倒的な認知度と支持を獲得している自由が丘は、日本で最初にシュークリームを出したと言われる「自由が丘風月堂(2011年閉店)」、日本で最初にマカロンを売り出した「ダロワイヨ」など日本のスイーツ文化を牽引してきました。

自由が丘のケーキやスイーツは世界的にも高く評価されており、本場フランスからも視察に訪れるほどですが、彼らが高く評価されているのはそのクリエイティブなアイデア。

例えば、今やケーキの定番中の定番となったモンブランは、日本人に馴染みのある和栗でつくった栗餡を洋菓子に応用するという発想をもちいて作られたスイーツで、実はこのモンブランも自由が丘で生まれたスイーツなのです。

日本で最初にマカロンを売り出した「ダロワイヨ」

日本初のモンブランが作られたのは、1933年に追田千万億が自由が丘で創業した菓子店「東京自由が丘モンブラン」で、この店の創業が起点となり自由が丘はスイーツの街としての歩みを進めることになりました。

和菓子の技術を洋菓子に応用して作られたモンブランという日本独自のスイーツは、当時は画期的なアイデアとして高い注目を集めたといいます。

こうした自由でクリエイティブな発想が生まれた背景には、もしかすると自由が丘という街の成り立ちが少なからず関係しているのかもしれません。

モンブラン発祥の店「東京自由が丘モンブラン」

もともと現在の自由が丘は、碑衾村(ひぶすまむら)と呼ばれる大根などを生産していた小さな農村でした。

このまちが「自由が丘」と呼ばれるようになったのは戦前の1927年に、自由教育の提唱者だった手塚岸衛(てづか・きしえ)氏が自分の教育を広めるために自由が丘学園という学校を作ろうとしたことがキッカケです。

上下関係が重んじられ、個人の自由や権利が軽視されていた昭和初期の時代において、「自由」という開放的な概念に惹かれた文化人たちが次々とこの街に集まるようになりました。

次第に「自由が丘学園」という名称はこのまちを指す言葉としても浸透し、1929年には正式に駅名にも採用されるようになります。

戦時下において、「自由」という言葉は弾圧の対象となり、国から変更勧告をされたそうですが、このまちに集まる人々は自分たちの信条を貫き「自由が丘」と呼ぶことをやめず、当時からカウンターカルチャーが根付いた街でもあったのです。



そうしたカウンターカルチャー的な雰囲気は現代にも引き継がれています。

自由が丘は東急沿線にありながら、二子玉川や武蔵小杉とは対照的に東急主導による大規模商業施設がなく、大資本の存在がほとんど感じられないまちです。

むしろ、小さくても個性的な店が集まって独特な雰囲気を作り出すボトムアップ型のまちだと言え、こうしたまちの雰囲気はケーキを始めとしたスイーツと相性が良いのかもしれません。

スイーツは一つ一つの製造工程が非常にデリケートで、大量生産といった企業的なアプローチが不向きな商品です。そのため、自由が丘ではスイーツという分野において大資本との競争に消耗することなく、クリエイティブなスイーツ作りが盛んになったのでしょう。



こうして先述のモンブランの創業を起点に、自由が丘には次々とクリエイティブなスイーツ店が集まるようになりました。

自由が丘がスイーツの街として認知される上で決定的だったのが、1998年に自由が丘駅から歩いて10分ほどのところにオープンした「モンサンクレール」です。

1999年に放送されたフジ系テレビ番組『料理の鉄人』のパティシエ部門で、モンサンクレールのパティシエである辻口氏が鉄人を負かしたことで注目が集まり、自由が丘はもちろんのこと遠方からも多くの客が足を運びました。

辻口氏の活躍により、当時は業界用語だった「パティシエ」という言葉が一般に広く知られるようになります。

「パティシエ」という業界用語を世に浸透させたモンサンクレール。平日の昼間にも関わらず大勢の人がケーキを求めて足を運ぶ

さらに2003年11月には日本初のスイーツのテーマパーク『自由が丘スイーツフォレスト』が誕生したことで、「自由が丘=スイーツ」という強烈な印象が植え付けられることになります。

大正から昭和にかけて西洋のスイーツが徐々に日本に浸透してゆく過程において、外国から入ってきたスイーツは日本で独自の発展を遂げ、ついには本場からも視察が訪れるレベルに達しました。

スイーツが美味しい街といえば、銀座、青山、そして神戸と挙げればキリがありませんが、日本におけるスイーツの歴史を考える時に、モンブランやシュークリームが誕生した自由が丘の存在は少し特別なのかもしれません。

スイーツのメッカ、自由が丘。日本のスイーツ文化を牽引するこの街には、甘いものを求めて日本各地から人々が足を運びます。


2020/6/26 (執筆当時の情報に基づいています)
※本記事はライターの取材および見解に基づくものであり、ハウスコム社の立場、戦略、意見を代表するものではない場合があります。あらかじめご了承ください。