「0番ホーム」と「3両列車」から見えてくる北綾瀬の成り立ち
東京都心の大動脈として日々多くの乗客を運ぶ東京メトロ千代田線。
普段は10両編成で運行している千代田線の綾瀬駅には、どう言うわけか「0番線ホーム」があり、地方のローカル線を彷彿とさせる車掌の乗っていない3両編成のワンマン列車が走っているのです。
千代田線の路線図を見てみると、常磐線直通の亀有方面行きの路線とは別に、「盲腸」のようにニョキっとはみ出した支線があるのですが、これは綾瀬駅と北綾瀬駅を結ぶ千代田線の支線であり、0番線ホームの3両列車はこの二つの地点を結ぶためだけに運行されています。
近年、東京の「穴場」として注目されることが増えてきた足立区。最近だと北千住に続いて「北綾瀬」が密かに注目を浴びつつありますが、全国でも珍しい綾瀬駅の「0番線ホーム」と「3両列車」から北綾瀬の街の成り立ちが見えてきます。
0番線ホームと3両編成列車の謎を知るには、千代田線の歴史を振り返る必要があります。
1969年に北千住〜大手町間で開通した千代田線。ちょうど同時期、足立区の東部(現在の北綾瀬駅付近)に田園地帯が広がる何もない広大な空白地帯があったことから、営団地下鉄(現・東京メトロ)はこのエリアに車両基地を設置したのです。
綾瀬車両基地は東京メトロ最大の車両基地で、南北方向750m、東西方向190m、面積141,810平方メートル、そして車両留置能力は273両にのぼるなど、車両基地として圧倒的な規模を誇ります。
こうして車両基地ができたことで田園地帯が広がる空白地帯に少しずつ人が集まるようになり、次第に環状七号線沿いを中心に宅地化と市街地化が進みました。
今でこそ、千代田線の北綾瀬駅やつくばエクスプレスの青井駅ができて交通アクセスがよくなった北綾瀬ですが、当時は公共交通機関空白地帯と呼ばれるほど交通の便が悪く、人が増えて街が形成されてくると、地域から鉄道駅を希望する声が上がってきました。
しかし、これは営団にとって想定内の内容だったのです。と言うのは、もともとこのエリアに車両基地が作られる際に地域で合意があったのです。
地域に車両基地が作られると生活環境が悪化し、もともと地域に住んでいる人にとっては何のメリットもないため、車両基地建設にあたって車両基地付近の駅設置や線路を横断するための歩道橋や生活道路の設置など様々な要求が出されていました。
千代田線が開通した当初、このエリアは人口密度が低く鉄道の需要も低かったのですが、千代田線開通後、団地などの建設が活発化したことによって人口が大幅に増加したと言います。
そこで営団は綾瀬駅と車両基地との間に「北綾瀬駅」の建設を決めました。1978年に綾瀬ー北綾瀬を結ぶ路線の免許申請を行い、同じ年の9月には認可、翌年2月から駅の着工を行い12月には営業を開始すると言うスピード開業がなされたのです。
こうして何もない田園地帯に車両基地が作られたことで地域が発展し、その結果、綾瀬駅と北綾瀬駅との間を3両編成のワンマン電車が折り返し運転する千代田線支線が誕生したわけですが、その影響は綾瀬駅にも及びます。
綾瀬駅には全国に35しかない「0番線」ホームが設置されていて、綾瀬駅から北綾瀬駅に向かうには、この0番線から出発する電車に乗り換える必要があります。
ただ、すでに綾瀬駅には1〜4番線まであり、後付けで設けられた北綾瀬支線のホームはなぜ「0番線」となったのでしょうか。
一般的に電車のホームの番号は、駅長室から近い順に1番線、2番線、3番線と順に増えていくのですが、後から離れた場所に5番線を作ったら利用者が混乱してしまうため、1番線の奥に「0番線」を設置する運びとなったそうです。
このように3両編成のワンマン列車と綾瀬駅の0番線ホームの謎を紐解くことで見えてくる北綾瀬の街の成り立ち。
千代田線支線の開通後、右肩上がりに増加し続けた利用者数の数は当初の3.5倍にまで増加し、その結果、2019年3月には千代田線本線との直通運転が実現しました。
交通アクセスの飛躍的な高まりによって、今後の動向が注目される北綾瀬。綾瀬での乗り換えが必要な不便な駅から、穴場の住みたい街の代名詞になる日もそう遠くないかもしれません。
2020/7/24 (執筆当時の情報に基づいています)
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