コミュニケーションの重要性が叫ばれる中、雑司ヶ谷手創り市ではコミュニケーションを優先しない

池袋のおとなり、雑司ヶ谷にある鬼子母神堂では「雑司ヶ谷手創り市」と呼ばれる手創り市が毎月開かれており、この市は東京で開催されるクラフトフェアの先駆けとも言われています。

雑司ヶ谷手創り市では、陶器やアクセサリーなどの商品を出店者が自分で作り、直接お客さんに販売してお金を得るという、商いの原点に近いあり方が実践されているのです。



こうしたマーケットやマルシェという形態は海外のオシャレな文化を輸入しているかのような文脈で語られることが多いですが、日本でも「市」と呼ばれるマーケットが奈良時代から始まっており、時代性やニーズに合わせてその形を変えて人々を支えてきました。

例えば、戦後に深刻な物不足に陥った日本では行政による日用品の流通だけでは人々が生活できなくなったことから、日用品を裏で取引する闇市が全国に広まり、戦後復興を支えてきた歴史があります。

そこから時代が進み、経済的に豊かになった現代社会においてマーケットの社会における役割は変化しているはずで、今回は雑司ヶ谷手創り市の代表を務める名倉哲さんにお話を伺いました。

▼ マーケットは作り手とのコミュニケーションが期待されることが多いが、私はここではコミュニケーションを優先しない



名倉さんが雑司ヶ谷で手創り市を始めるキッカケとなったのは過去に運営していたカフェで多くの作家さんと出会ったことにあると言います。

作家さんと出会う中で個展を開くためには相当な時間と費用がかかることを知り、作家さんたちが定期的に作品を展示販売できる場所を作りたいと思ったことが始まりなのだそうです。



世間では「個人の時代」という言葉が盛んに使われるようになった一方で、実際のところは、個人がしっかりと活動できる場所というのはまだまだ整備されていないというのが現状なのでしょう。

そうした背景があって雑司ヶ谷手創り市は始まったわけですが、名倉さんが作家さんに強く惹かれるのは彼らが「個人」だからだとして次のように述べていました。

「良いところも悪いところもバラバラにあるんじゃなくて両方が繋がっているんです。例えば、明るいけれどザックリしている人もいれば、暗いけれど仕事がすごく丁寧な人もいて、受け取る側によっていろんな側面が見えますよね。」

「でも集団の中にいると、そういうものが通用しなくなってしまいます。会社とかでは、常に決められた正しさを求められてしまうので個人が埋もれてしまうのです。でも個人であれば、ある程度のところまでは許される。作家さんと向き合うのは簡単ではないけれど、本来、人間とはそういうものなのだと思います。」



こうして雑司ヶ谷を拠点に個人の活躍の場を作っている名倉さんですが、場所作りにおいてコミュニケーションを優先しているわけではないと言います。

一般的にこうした新しい試みの場では「人と人とのコミュニケーションをいかに作るか」という部分に注力されるものですが、それとは対照的に名倉さんはまず作品から入ったほうが自然だとして次のように語りました。

「私はあまり人と話すことを優先するのではなくて、むしろ作家が作った作品をじっくりと見たいと思っています。モノを見て気になったら話しかければ良いと思うのです。」

「人から入ろうと思うと緊張感がありますし、モノから入った方がお互いに楽だと思うんですよ。コミュニケーションが上手く行けばよいですが、買い手も売り手もコミュニケーションが得意な人ばかりではないはずですからね。」



このように「コミュニケーションありき」といった雰囲気を作らないことに加えて、名倉さんは会場の余白にも意識を向けているのだそうです。

▼ お店がギッシリと並んでいると人は通り過ぎてしまう「人の足を止めるキッカケになるのは適度な余白」



実際に雑司ヶ谷手創り市の会場を訪れてみると、マーケットには大勢の人で溢れているものの、お店とお店の間に適度な空間が作られていることが分かります。

名倉さんによると、店舗の数が少なすぎてスカスカになることは明らかに問題である一方で、隙間なく店舗を入れてしまうことによってお客さんが時間を潰したり、立ち止まって休憩する余白がなくなってしまうと指摘していました。



そうした余白のないマーケットでは人が立ち止まらず、ウィンドウショッピングのような状態になってしまうため、場所づくりには余白づくりが必要不可欠ですが、過剰なサービスは行わないようにしているとして次のように語っています。

「余白は必要ですが、ベンチは設置しないことに決めました。ベンチがあるとお客さんへのサービスになりますが、一方でベンチを設置することによってその場所を占拠する人も出てくると思います。ベンチがないことによって、ちょっと休憩して、また店を回るという回遊性を作ることができるのです。」



名倉さんに雑司ヶ谷手創り市のお話を伺う中で何度も出てきた「余白」という言葉は恐らく、誰もが気軽に立ち入ることができて、同時にいつでも出ていくことのできる空間を指しているのでしょう。

こうした場所の余白というものは実際の土地空間だけに留まらず、その場所の雰囲気にも当てはまるものがあるのかもしれません。

例えば、こうした不特定多数が集まる場所には次第に「常連さん」が定着するようになり、その場の雰囲気も和やかになる傾向があります。しかし、そうした雰囲気は初めてその場を訪れるお客さんにとって、あまり心地よいものではないはずです。



そうした点も配慮してか、雑司ヶ谷手創り市では出店される商品のクオリティに加え、出店者が入れ替わることを重視しているとして名倉さんは次のように言います。

「作品のクオリティが高いことばかりが良いことではないと思うんです。一定のクオリティを保つことは大切ですが、マーケットとしてあらゆる人に開かれた場所であることが一番大切なだと思っています。」

「だから雑司ヶ谷手創り市では作家が本業ではない人も沢山います。例えば、サラリーマンをやりながら週末に作品を作る人、中にはもともとは作家のファンだったけど作品作りに挑戦したひとなど、出店層の幅が広いのです。」

▼ 拡大よりも大切なことは現状維持「継続し続ければそれはやがて一過性のイベントから『日常』へと変わる」



このように徹底した空間づくりの上で成り立っている雑司ヶ谷手創り市ですが、名倉さんは、今後はマーケット自体を大きく拡大していくよりも、むしろ現状をしっかりと維持してこの先も継続していくことがもっとも大切なことだと語っていました。

マーケットというものは仮設という性質を持っていることから、規模や開催頻度をコントロールしやすいものの、一方で「仮設」であるがゆえに一過性の現象と捉えられがちです。

しかし名倉さんが言うように、継続的に開催していくことで一過性のイベントは次第に街の住民の「日常」になっていくのでしょう。

マーケット文化が盛んなロンドンでは日常的に開かれるマーケットが地域の不動産価格に影響を与えるとまで言われるように、マーケットには街の価値を底上げする力があると言えるのかもしれません。

賑やかな池袋から歩いて10分のところにある雑司ヶ谷は、池袋とは対照的に静まり返った街です。でも、そんな街から個人と街を巻き込んだ新しいマーケットのあり方が形作られています。

【取材協力】▪雑司ヶ谷鬼子母神堂

▪雑司ヶ谷手創り市代表 名倉哲


著者:高橋将人 2018/8/7 (執筆当時の情報に基づいています)
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