喫茶ランドリーは私設公民館「高い建物を建てても街は変わらないけど、1階部分次第で街は生き返る」

戦後の焼け跡に住宅や工場が建ち、産業のまちとして復興していった森下エリアは、この約20年で多くの町工場がまれ、次々とマンションが建ち上がっています。

そんな森下エリアで築55年の元梱包作業場をリノベーションしてつくられた「喫茶ランドリー」が2018年1月にオープンし、建物の1階部分、公園、そして広場の提案などを行う株式会社グランドレベルによって運営されています。



喫茶ランドリーの看板の向こうに見えるのは、半地下のモグラ席。
喫茶ランドリーは、“まちの家事室”付きの喫茶店です。ランドリーと喫茶の組み合わせが興味深いものの、代表の田中元子さんはコーヒーや洗濯そのものに興味があった訳ではなく、そもそもこの街に住むあまねく人々が、気軽にお茶をして休める場所があるべきだ、という想いでつくられたそうです。

▼ マンションが増えて人口が増えても人が集まる場所がなかった「田中さんがコーヒーを無料で振る舞う理由」

お店の入口を入ってすぐ左側は、モグラ席。70センチ下がった半地下の席は、最も籠もり感があって一番人気の席。

田中さんが街の人たちが気軽にお茶ができる場所を作りたいと思ったキッカケは、街にはそのような場所がほとんどなかったことにあると言います。

田中さんは森下エリアに10年以上住んできた中で、このエリアに多く残っていた倉庫や工場がどんどんマンションに建て変わっていく様子を目の当たりにしてきました。

マンションが増えるということは、当然、街の人口が確実に増えているはずですが、森下エリアの住宅街には人の気配がほとんど増えなかったのだそうです。

「喫茶ランドリー」は、墨田区千歳の静かな住宅街の中に突如として現れる。元は1階が作業場で、2、3階にオーナー一家が住んでいた。建物一棟がリノベーションされ、その1階にある。2、3階は、賃貸住宅に生まれ変わった。

田中さんは、人の気配で溢れる魅力的な街には人が自然と集まってしまう「居場所」が街の1階を満たしているのだけど、人の気配がない街には1階に人を滞留させる機能が充実していないと言います。

「よく“賑わい”や“緑が多い街づくり”といったものが標榜されますが、イベント性の高い賑わいや植物よりも、街のグランドレベル(1階)に人の姿が日常的にあることが最も重要なんです。人間の目線の高さはほとんど同じです。街を歩く時に5階や6階ではなく、1階やその周縁の景色を見て歩いているのです。」

「だから『1階づくりはまちづくり』なのです。この『喫茶ランドリー』は、私たちであればつくることができる一つの理想的な1階はこういうものですという、ひとつのモデルです。」

「喫茶ランドリー」外観。

建物の1階というものは街を歩く人にとっては景色の一部であるため、あらゆる建物や敷地の1階は公共空間と捉えることができます。

公共空間は万人にとって平等で、できるだけ垣根は取り払われるべきものですが、公園や公民館など現代の「公」という字が付く施設には、あまり稼働していないものも少なくありません。

田中さんはこうした現状を踏まえて、「私設の公民館をつくる」ことを喫茶ランドリーの裏テーマにしたと言います。

洗濯機・乾燥機にミシンやアイロンがあるまちの家事室も、さまざまなことに使われる。幼稚園帰りに工作を楽しむ子ども。

そんな田中さんが街の公共空間を意識するようになったのは、自らが屋台を持って街へ出て、無料でコーヒー振る舞うことを趣味にしてからだったそうです。

「私、屋台でコーヒーを振る舞うのが趣味なんです。1杯100円とかだと普通のコーヒー屋ですが、無料で振る舞っていると、人は『どうして無料なんですか?』と聞いてきます。それがキッカケになってコミュニケーションがはじまるのですが、そこが一番得たいものです。ぶっちゃけ、コーヒーか何かかは、どうでもいいことなんです。」

「コーヒーは、たとえ1円でも駄目なんです。なぜなら無料であれば、所得や立場、年齢に関わらず、誰にでも平等に渡すことができるからです。だから無料でコーヒーを振る舞う行為は、公共的な活動だと思います。さらにそこにはひとときの人の集まりが生まれます。あるとき気付いたんです。コーヒーを振る舞うことで、私という個人でも公共的になれていると!」

▼ 一切ターゲティングを行わない喫茶ランドリー「人には多面性がある。なのに一面性を重視しがちな社会に課題を感じる」

店内の左手にある、レジとキッチンスペース。ランドリーはコイン式ではないので、すべてここでの受付からはじまる。

こうした田中さんの公共的な振る舞いは「喫茶ランドリー」のお店づくりにも、大きな影響を与えているのかもしれません。と言うのも、喫茶ランドリーはターゲティングを一切行わないと言うのです。

一般的にあらゆる施設やサービスのほとんどはターゲティングされています。例えば30代女性をターゲットにしたお店など、親子をターゲットにしたサービスなど、これまであらゆるビジネスにおいて、ターゲティングは当然のことのように行われてきました。

ところが、田中さんはこうしたターゲティングは誰のためにもなっていないだけでなく、むしろ店の居心地を悪くしているとして次のように語ります。

「ターゲティングをしてしまうと、外見は30代女子だけど中身はオッサンとか、多面性を持つ人にとって、つらい空間になってしまうと思うんです。人には多面性があるのに、お店の作りは一面性を重視しているのだから居心地が悪くて当然ですよね。」

「もちろんビジネスをする側に立つと、ターゲティングってすごく役に立つ。何歳くらいの人がこれだけいるから、こうすれば収益を上げられるといった具合に事業計画が立てやすいですから。でも、私はこの店を始めるときにターゲティングは他でもやっているから、ここではやらないって決めたんです。」

店内は、連日大小さまざまな活動に使われている。この半年で、約100もの活動にスペースがレンタルされた。

こうしたターゲティングは商業施設だけでなく、私たちの普段の生活の中にも深く浸透していて、実際、会社で人材を採用するときには年齢や大学名、学校の入学試験でも点数を基準としたスペックを元にターゲティングが行われます。

こうしたターゲティングの背景にあるのは「より良い」人やモノを獲得する上でもっとも効率的な手段だと言えるものの、田中さんはこうした「もっともっと」といった考え方に対して否定的です。

▼ 「もっともっと」の追求は消費される。でも、「居心地の良さ」は競争には晒されない

各テーブルには、手描きのメッセージが。

田中さんによれば、右肩上がりの世界には必ず消費されるポイントと追い抜かれるポイントがあると言い、これからの時代は、「もっともっと」という価値観はそぐわないと言います。

そのことに関して田中さんは「DO」と「BE」という概念を用いて次のように説明します。

「DOとBEという考え方があるんです。DOというのは分かりやすいスペックです。それに対してBEはあり方そのものです。人で例えると、DOは身長が何センチで年収がいくらという指標で、BEはこの人といると落ち着くし楽しいといった感覚的なものですね。」

「私は『もっともっと』というDOの考え方は底なし沼だと思っています。確かにDOは数字で表せるから便利です。でも、DOは必ず消費され、いずれ飽きられてしまうと思うんです。一方、BEは居心地が良いとか感覚的なもので記号化できないから難しいけど、その分、長い付き合いができますよね。」

レジ脇に設置された中古レコードコーナー。これも地元のレコードコレクターの私物を無料で委託販売している。

近年は都内の至るところで再開発が行われ、渋谷などは「日本一訪れたい街」を掲げて高層ビルが次々と建てられていますが、こうした動きはDO視点だと言えるでしょう。

田中さんはこうした動きに対して、高層ビルを次々とつくる土俵の上では日本は中東や中国に絶対に勝てないとし、真っ白な画用紙に理想都市を描くことは新興国の方が絶対に有利なのだから、日本は書きかけの画用紙をいかに魅力的にするかを考えなくてはならないと言います。

そしてその方法こそがBE視点を基準に既存の建築物の一階部分を豊かにし、人が集まる空間を整備することなのです。



森下エリアには、再利用可能な建物がまだまだ残っており、田中さんによればこのエリアは大資本が入ってくるほどの都会ではないため、BEの視点を持った人たちが新しい空間づくりを行いやすい場所だと語りました。

「もっともっと」という考え方が日本経済の推進力となってきたことは紛れもない事実ですが、そろそろ私たちはそれでは測れない価値を真剣に考えなければならない、と田中さんのお話をお聞きする中で感じました。

喫茶ランドリーが行う1階部分を舞台とした壮大な実験によって、多様な人が自然に集まるパブリック性の高い建物の1階が森下エリアから少しずつ広がっていきそうです。

【取材協力】
株式会社グランドレベル代表取締役 田中元子

喫茶ランドリー

【所在地】
東京都墨田区千歳2-6-9 イマケンビル1階


著者:高橋将人 2018/8/22 (執筆当時の情報に基づいています)
※本記事はライターの取材および見解に基づくものであり、ハウスコム社の立場、戦略、意見を代表するものではない場合があります。あらかじめご了承ください。