かつてはパリに例えられた街、池袋「洗練されたアートから人気のサブカルまでが混在するこの街には芸術的自由が根付いている」

百貨店、専門店、飲食店、所狭しと店舗が建ち並ぶ混沌とした街。それが池袋という街のよく知られた姿ではないでしょうか。

池袋駅周辺は特に多くの若者達が集まっていて、若さと喧噪があふれた街として、ニコニコ動画の本社や乙女ロードなど、サブカルの聖地的な扱いを受けているポイントが散見されます。



池袋を若い文化の中心地として捉えるのは、間違いではありません。

ですが、池袋という街は、若さと活気にあふれた表通りから少し離れてみると、歴史的な背景を持った文化遺産が数多く存在する、文化史的にみても重要な都市であるということはあまり知られていないのではないでしょうか。

▼ 池袋は若者のためだけの街ではない。文化史的に価値のある街、池袋。

自由学園明日館 講堂にて2018年8月7日〜24日に行われた「手塚治虫文化賞受賞作品パネル展」

池袋にある文化遺産の1つには、1921年に自由学園の校舎として建てられ、国の重要文化財にも指定されている自由学園明日館(みょうにちかん)があります。

この建物は出版社である婦人之友社の創業者である羽仁吉一、もと子夫妻が創立した女学校の校舎として、「近代建築の三大巨匠」に名を連ねる旧帝国ホテルの設計も手がけたアメリカの天才建築家、フランク・ロイド・ライトとその弟子である遠藤新によって1921年に作り上げられました。



プレイリースタイル(草原様式)と呼ばれるこの建築形式は、ライトの出身地・ウィスコンシンの大草原から着想を得たものだと言われていて、低い建物の中で、圧迫感を感じさせないような空間演出が彼の得意とする分野です。

この明日館も一見するとかなりシンプルな外装をしていますが、実際にはその場所を出来るだけ開放的に見せるための高度な空間計算と、1階、半地下、中2階、2階といった自分が今何階にいるのか分からなくなってしまうかのような階層構造によって組み上げられています。

池袋の駅から歩いて10分ほどのこの場所で、傍目から見ると、ビルに囲まれて小さく狭そうな建物の中に、広々として開放的な空間が見事に演出されているのです。

自由学園明日館では「動態保存」という形態で建物を使用しながら保存しているため、重要文化財に指定された建物をカフェや生涯学習、結婚式などといった形で使用することができる。

建物とその外側の空間を、緩やかにつないでいるようにも見える外観の自由学園明日館は、自由な個性を持ちながらも周辺の空間と調和した建物として池袋という街そのものを表しているようにも見えるかもしれません。

「簡素な外形のなかに優れた思いを充したい」という羽仁夫妻の思いのように、喧騒あふれる池袋という街の中にありながらもこの建物の中にはゆったりと穏やかな時間が流れていて、訪れる人たちの心にもどこかゆとりをもたらしてくれる空気感が醸し出されています。

▼ モノと世界の境界が曖昧な美術世界から、芸術空間としての池袋が見えてくる。

熊谷守一美術館1階 カフェ・カヤにて

池袋近辺でもう1つ注目すべき文化空間としては、大正、昭和期に活躍した画家の熊谷守一の作品が展示されている「熊谷守一美術館」が存在します。

熊谷は、20世紀初頭に起こった心が感じた色を自由に表現すべきというフォーヴィズムの流れを汲んだ画家で、明るい色彩とくっきりとした輪郭線で描かれるシンプルな作品を数多く残し、52歳の頃に池袋からほど近い場所に家を建てると晩年までの生涯をずっとそこで過ごしました。

美術館入り口に置かれている熊谷守一の石像

熊谷の作品は、自然や無機物を単純な線で淡々と表現しているのが特徴で、一見すると子どもにも描けそうな絵に見えますが、その裏では線の効果や色のバランスなどが緻密に計算されており、その絵は多くの文化人たちによって高く評価されています。

「アルプスの少女ハイジ」や「赤毛のアン」を製作したスタジオジブリでの高畑勲監督は、熊谷の没後40年記念展覧会のイベント講演で次のように彼の作品を表現しました。

「描かれたものと空間に実在感がある。花がリアルに描かれているかというとそうではないが、“もの”として訴えてくる。そこに魅力がある。これまでいろんな面白い絵を見てきましたが、じっと眺めているうちに時間がすぐに過ぎてしまう、そういう絵」

熊谷守一美術館1階にあるカフェ・カヤには館長であり守一の次女である熊谷榧の作品が展示されている。こちらの絵のタイトルは「ストーンヘンジ」

熊谷の作品には絵の対象とその背景の境目に引かれた太い「輪郭線」というのが必ずといっていいほど存在していて、晩年になってから赤茶色で描かれるようになったというその輪郭線は、ずっと観ていると自分と周囲の空間の境目が分からなくなるような不思議な感覚に襲われます。

鑑賞しているとモノと世界の繋がりをふと考えてしまう熊谷の作品は、文化と街が混然一体となっている池袋のまちにもどこか通じるところがあるのかもしれません。

熊谷は35年間、この池袋という街で絵を描き続けましたが、彼がこの地にやってきた頃からしばらく経つと、若い芸術家向けのアトリエ付きアパートが周辺地域に次々と誕生しました。

豊島区郷土資料館 展示 「長崎アトリエ村模型」

貸家群がこの場所にできたのは偶然かもしれませんが、熊谷はこの土地の先輩として若手芸術家たちから慕われたようで、この時期から池袋の周辺は文化的な盛り上がりを見せていったのです。

▼ 混沌とした池袋のベースにあるのは、パリのように自由で闊達な芸術家たちの雰囲気。

豊島区郷土資料館 展示 「アトリエ村外観」

1930年代、池袋の周辺には数多くの芸術家たちが集うアトリエ村が存在していました。そこに集まり住んだ芸術家たちは、昼は自身の才能を磨きながら創作に打ち込み、夜には街にくり出して互いに芸術論を戦わせては未来の夢を語り合っていたのです。

そんなアトリエ村の自由な雰囲気を、詩人であり小説家の小熊秀雄は当時世界中の芸術家が集っていたパリのモンパルナスという地区にちなんで「池袋モンパルナス」と呼び、高く評価しています。

こうした背景を辿ると、池袋という街は元々あらゆる人々の自由な思想や発想を受け入れ、取り入れていく度量のある場所だったと言うことができ、それを考えれば今の池袋でも様々な文化が重なり合い、互いを刺激しあっているのはこの街本来の変わらない姿であると言うことができるでしょう。

現在を楽しみたいならばサブカルなどの若い活気にあふれた表通りを、過去の芸術的雰囲気を味わいたければ文化史的価値のある建物の点在する裏通りを。

どこを歩いても池袋という街には文化的な香りが漂っています。


【取材協力】

・自由学園明日館 広報担当 吉川さん



【撮影協力】

・自由学園明日館

・熊谷守一美術館

・豊島区立郷土資料館


著者:天野盛介 2018/8/28 (執筆当時の情報に基づいています)
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