マクドナルドのやっていけない街、都立大学「お店の紹介をしない商店街のガイドブックをつくりました」

東急東横線で渋谷から10分。というのに、あまり名前の知られていない都立大学駅。

大きな店は隣の学芸大学駅にあり、反対隣はカフェやスイーツの自由が丘。さらに、ちょっといけば中目黒もあるという中で都立大学は、一言でいえば目立たない街です。

しかし駅を降りてみれば、この小さな街の中に商店街は6つもあり、和菓子屋や寿司屋、そしてスナックやお茶屋さんなどの小ぶりのお店が、なんと300以上も並んでいます。

かつては駅前に大手ファーストフードのチェーン店があれこれ進出して来たこともあったそうですが、次第にやっていけなくなってほとんど撤退してしまったくらい、商店街の個人店が街の人に親しまれています。

“自由が丘の隣の街”として女性の一人暮らしが多い、都立大学

この都立大学の商店街でここ数年、大きな課題となっているのが店主の世代交代です。

そこで、商店街を束ねてきた先代のおじいさんたちが、若手世代に何か事業をさせてみようと目論み、各商店街から抜擢された30〜40代の人たちが召集され、「商店街のガイドブックをつくる」というプロジェクトがスタートすることとなったのでした。

2014年に始まったこのプロジェクト「とりつじん」で、実行委員会の広報をつとめる茶舗「大坂や」の三代目 三室茂さんは、当時の状況を次のように語ります。

「みんな何も知らされないで集められて、初めまして状態ですよ。でも『ガイドブックをつくる』となった時、データブックみたいな、お店の写真があって、電話番号とかオススメの一品があって…というような冊子では絶対に誰も見ないな、という話になったんですよね。」

「とりつじん」実行委員会で広報を務める茶舗「大坂や」の三代目 三室茂さん「なぜ都立大学に店を出したのか。母に言わせると自由が丘が隣だから、っていう理由らしいですよ」

こうして知らないもの同士でアイデアを出し合い、地元出身のアートディレクターも交えて生みだしたのが、2014年12月発行の「とりつじん」Vol.0号。その中に収められたのは、商店街の店主やスタッフ全部で20名の人物イラストと、趣味や好みなどのちょっとした人物紹介でした。

「むしろ店名がない」「店がどこにあるのかもよくわからない」と三室さんも力説するほど、店の情報がほぼないに等しい「とりつじん」。

多くの単行本は2000〜4000部程度しか刷られていない今の時代に、商店街の店々におかれた「とりつじん」は、初回1万部があっという間になくなり、増刷しても追いつかず、Vol.3号まで出している今では「次はいつ出るの?」と聞かれるまでにファンを増やしています。

Vol.2に登場したスナック「Le cLub」のママ、澁谷れい子さん「お客さんにはグループライン(総勢72名)で呼びかけます。“すぐおいで!今、イケメンいるよ!”って。」

例えば、Vol.0号で“とりつじん”として冊子に登場した、カレーと欧風料理の店「ぐりむ館」の齋藤ご夫妻は「ドイツの古城で結婚式を挙げました」というように紹介されています。

その時のことを齋藤ご夫妻にうかがったところ、実際は料理のことなどを意識的にアピールしていたので、出来上がった冊子を見て「まさか、そこかー。」と拍子抜けした気分になったそうです。

都立大学商店街のセブンイレブンのオーナーも、“とりつじん”として紹介されたことがあります。セブンイレブンは全国におよそ2万店舗もあるというのに、「とりつじん」を読んでしまった人はもう、このセブンイレブンを他の店と同じようには思えなくなってしまうのです。



カレーと欧風料理「ぐりむ館」の齋藤ご夫妻「野田秀樹さんはオープニングの時から来てくださっています。矢沢永吉さんの娘さんも。今度うちの人も斎藤誠さんのMVに出たんです!」

「あれがいい、いろんな画家さんに描かせて。キャプションもなかなかいい。僕も編集者だったから。だからね、楽しみにしている。」

三室さんのお茶屋「大坂や」で今回取材をしていると、ちょうどお店に訪れた男性が、こうした言葉を残して帰って行きました。

そもそも「とりつじん」は子どもたちが読むことも見込んでつくられているのだそうで、絵本と言っても差し支えないくらいに「とりつじん」の内容はイラストがメインです。

事実、街の人からは、子どもが読み聞かせで「とりつじん」を選ぶのでボロボロになるまで読んでいます、という声も聞かれるのだそうです。



SHOE REPAIR「STANDARD」の後藤弦二郎さん「よく言われるんだけど『変わってるね』って。大概変わっている人から言われる。君が変わってるから僕が変わって見えるだけだから。」

そのイラストもそれぞれの“とりつじん”に対してそれぞれに違うイラストレーターがついて取材をし、写真では表現できないその人の人となりを描き出しています。

「そこのコーヒー屋さんも、コーヒー豆に対するこだわりが強すぎてお店を出しちゃったんですよ。そういう人を紹介してファンになってもらいたい」という三室さん。

その手に開かれた「とりつじん」には、ドット柄のジャケットを着た漫才師のようなお蕎麦屋さんのイラストが載っていて、「千葉で飲んで目が覚めたら…スリッパを履いたまま茅ヶ崎でした」というキャプションが目に飛び込んできました。

「イラストを描く人には必ず取材の時に来てもらっています。趣味の話とか休日何やってるかとかを聞いてもらって、そこを全部落とし込んでくださいって。」

「とりつじん」プロジェクトでは、「オリンピックまでに100人」を目指し、毎年1冊あたりおよそ20名が紹介されてきたそうです。これまでに“とりつじん”となった商店街の人は、総勢76名を数えます。

「とりつじん」が街の人に広く知られるようになったここ2年くらいは、“とりつじん”によるワンコイン講座「とりつ大学」という企画も動いており、お肉屋さんがローストビーフの作り方を教えたり、前出の「ぐりむ館」の齋藤さんはホワイトソースの作り方講座を開いたりもしたそうです。

それはまるで“会えるアイドル”。「とりつじん、見たよ」と言ってお店に行きたくなってしまうような、「この人に会ったことあるよ」と言って自慢したくなるような、新たな楽しみを商店街に生み出しているように思われました。

イラストは、パソコンで描かれたものも油絵もある。80代のイラストレーターに頼んだこともある。

「ゆくゆくは街をキャンパスにしたい。この街に来ると時間割みたいなのがあって、誰か何かしらやっている…。」そう未来を描く三室さんをはじめとして、商店街の若手世代は2週間ごとに集まり、夜8時から深夜まで、どっちのデザインがいいか、どんなイベントをやろうかと話し合っているそうです。

「とりつじん」プロジェクトの目指すところは、2020年までに“とりつじん100人、イラストレータ−100人、100講座”。都立大学の街中は、大きな店も小洒落たショップもそんなにありませんが、ものを買いにいくだけではなく、人に会いにいくことのできるところへと変わりつつあります。

【取材協力】

◾とりつじん実行委員会

◾茶舗大坂や/三室茂

◾スナックLe cLub/澁谷れい子

◾カレーと欧風料理ぐりむ館/齋藤豊記・齋藤聡子

◾SHOE REPAIR STANDARD/後藤弦二郎


著者:関希実子 2018/10/27 (執筆当時の情報に基づいています)
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