小澤征爾が最初に指揮をしたプロオーケストラのある街、高崎「体育館にオーケストラがやってくる」

2016年に発表された全国42の中核市「幸福度」ランキングにおいて、豊田市、長野市に次いで第3位にランクインした高崎市は、東京から新幹線でおよそ50分のところにある、群馬県の中でもとりわけ華やかな街です。

今年発表された同ランキングの結果を見てもそうですが、教育や生活、仕事などの分野の中で、これまで高崎市が際立って高く評価されてきたのは、文化面の活動についてでした。

例えば、群馬県では公立私立問わず全ての小中学校において、子どもが3年に1回はプロオーケストラの生演奏を聴く機会がありますが、それも、群馬交響楽団(以下、群響)という、ヨーロッパ公演も成功させているようなプロオーケストラが高崎市に生まれたことによります。



▼ 群馬の子どもにとってオーケストラは珍しいものではない

ヨーロッパでも「100万都市でないとプロオーケストラは維持できない」とされているのに対して、終戦の年に生まれた群響は高崎という日本の地方都市を本拠地とし、群馬県のみならず、ここ10年は日本全国の子どもたちにもオーケストラの生演奏を届けているのだそうです。

群響で専務理事をつとめている折茂泉さんに、群響はどうやって維持されてきたのかをうかがったところ、次のように答えが返ってきました。

「オーケストラは中世のヨーロッパに始まり、貴族のパトロンがいなければとても育たない、成り立たないものだったんですね。もともと収益性とか考えて作られたものではないわけです。それがなぜ20万、30万都市でやってこられたのかというと、『移動音楽教室』につながるんですね。」

「子どもたちが3年に1回オーケストラの生演奏を聴くというのは、全国で群馬県だけなんです。今の子どもさんでもう3世代聴いてますね。ですから県民の中で群響の知名度は高いんです。『群響の音楽教室なら』と、補助金や保護者の負担金を出してもらえる。そうでなければ、とても維持できないですから。」

▼ 高崎は、地方で初めてプロオーケストラの生まれた街



とはいえ設立当初は、生きていくのに精一杯の、しかも高崎という一地方都市で世間が音楽に高い関心を寄せるわけもなく、ましてや子どもに生演奏を聴かせてお金を集める「移動音楽教室」というアイデアに、人々の賛同を期待できる時代ではもちろんありませんでした。

それでも「移動音楽教室」が始まると、群響の団員がリヤカーを引いて学校まで楽器を運ぶなどして演奏をするようになっていったのだといいます。

そこには今や日本を代表する世界的指揮者の小澤征爾さんもいたのだそうで、折茂さんは次のようにお話ししてくださいました。

「当時はまだプロのオーケストラは、NHK交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、そして群響と、3つしかなかったんですよ。小澤さんもその頃はまだ学生さんで、『高崎に行けば指揮が振れるよ』ということで群響にやってきたんですね。それで小澤さんもトラックに乗って僻地の学校に行き、指揮を振っていました。」



群響が移動音楽教室をした回数は、多い年で年間300回。これまでに移動音楽教室を受けた人の数は、トータルで630万人にもなる。

「この子たちのほとんどは、一生山の中で暮らします。もう生の音楽を聴くことはないでしょう。」

これは昔、移動音楽教室で訪れたある山奥の学校の先生がくれたお礼の言葉だそうです。けれど、たとえたった一回だとしても、実生活ではありえなかったような経験は、子どもの中に無意識のうちに深く残るのかもしれません。

折茂さんも小学生の頃、「すし詰めの状態で、目と鼻の先でコントラバスやオーボエの演奏を聴いたことが原体験になっている。」とおっしゃっていました。

今でもホールのない地域では、体育館で子どもたちが膝を付き合わせて演奏を聴く

こうして着るものも食べ物も満足にないときに、それでも子ども達に音楽を聴かせるんだと楽器を担いで回っていた群響の移動音楽教室は、地元出身の映画プロデューサーの目に止まり、1955年、「ここに泉あり」という映画になりました。

この映画はなんと300万人超の動員数を記録し、全国的大ヒットとなったのです。

その後、1961年に世界的建築家アントニン・レーモンドの設計によって、高崎に音楽センターが建てられることになると、その建設費用の半分が市民の寄付でまかなわれたのだといいますから、群響が街の人たちに受け入れられるまでには、ほんの十数年しかかからなかったということになります。

▼ 群響の団員が楽器ケースを背負って高崎の街を歩いていると、「あら群響さんですか?」と声をかけられる



高崎を中心に移動音楽教室が始まり、次第に群馬県内の僻地の学校にも広まって、群響の存在は人々の間でどんどん馴染みの深いものになっていきました。その結果今では、“街にオーケストラがあるのは当たり前”という、よその地方都市ではほとんどありえないことが市民の常識になっています。

けれど振り返れば、群響は日本で初めて地方都市で生まれたプロオーケストラであり、今でも全国におよそ40あるというプロオーケストラの中で、100万都市でない地方都市を拠点としているのは群響の他にいくつもないというのが事実です。

群響で専務理事をつとめている折茂泉さん「まずないんですよ、プロのオーケストラは。大都市でなければね。あれから世の中は変わってきまして音楽はどこでも聴けますけど、生の演奏というのは今も、どこでも聴けるものではありません。」

今の時代、子供の将来の成功についても「裕福さが遺伝子を超える」と言われるほどに子供の未来は育つ環境にかかっているという説もあります。そして、そういった影響が最も大きいのは、国でも家庭でも一番最初にカットされやすい文化・芸術面であることは間違いないでしょう。

世界を見ると、発展途上国ほど都会と比べて地方の文化的落格差が大きいものなのだそうですから、高崎のように文化的に進んでいる地方都市こそが、先進国としての日本の姿をつくっているということなのかもしれません。



▼ 群馬県は、文部省から認定された日本で最初で最後の「音楽モデル県」

200年前より生産性が上がっていないものなんて無きに等しく、情報に関しても、印刷して届けるのが精一杯だったのが、今は瞬時に世界中の何億という人に向かって情報を発信することもできるようになりました。

そんな現代でも、200年前のベートーベンの曲を、オーケストラでは200年前と同じように人が演奏しているのです。

むろん、群響も「毎年同じようなことをやっている」と言われることがあるそうです。折茂さんは、ずいぶん昔の移動音楽教室の写真を手に、その写真の中で口を半分開けて聴いている子どもたちの様子と今の子どもたちは何ら変わりないのだとして、次のように述べていました。

「工夫が必要じゃないかっていうんですけどね。でも聴く子どもたちは毎年変わっているわけですから。小学生は1時間も演奏を聴いていればそわそわして来ますよ。でもその中の1割だけでも真剣に聴いている子がいるんです。そういうもんじゃないかなって思うんですよ、文化って。」

ここで生まれ育った全ての人が生演奏を聴いているわけですから、その中の1割が演奏に高い関心を持つとなると、ひょっとすると東京などの大きな街よりも高崎市には音楽的に教養のある人が多いかもしれません。



クラシック音楽の演奏においては、1966年からの40年間生産性が上がっていないとされる、「コスト病」と呼ばれる有名な研究結果があります。
戦争が終わっても暮らしに華やかさなんてなかった時に、オーケストラの演奏を聴くひとときが、高崎をはじめとする群馬県の人々の心にどれだけの潤いを与えたことでしょう。

そんな高崎では今も、高崎電気館という、リバイバルされた昔ながらの映画館で「ここに泉あり」が定期的に無料上映されています。

この映画のタイトルは、「貧乏してもなかなかツブれない。どこから湧き出してくるのか」という発想が元になっているのだとか…。群響が根付いている高崎市もきっと、人々が文化的な感動を捨てることのない、なかなか廃れない街でいつづけることでしょう。

【取材協力】

◾群馬交響楽団/専務理事・折茂泉


著者:関希実子・高橋将人 2018/11/2 (執筆当時の情報に基づいています)
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