ピザを焼く千葉県の金谷観光案内所「田舎の観光案内所は質問に答える受け身の場所から、地域情報の発信拠点になる」

都内から電車で約2時間のところにある千葉県富津市の金谷(かなや)という町は多くの登山客が集まることで有名です。

この町はかつて「房州石(ぼうしゅういし)」と呼ばれる石で栄え、江戸中期から大正をピークにして、横浜港、お台場、そして皇居のお堀など、主に首都圏エリアの土木建築工事に利用され、昭和60年代まで町の一大産業でした。

ところが、全国を襲う高齢化の波はここ金谷にも確実に影響を与えていて、2017年時点で金谷の人口は65歳以上の高齢者が40%以上を占める超高齢社会となっています。

そんな中、かつて金谷の一大産業として町を支えた房州石を使ってピザを焼く、「PIZZA GONZO」が金谷観光案内所の中にオープンしました。今回は店主の福倉光幸さんにお話を伺います。

▼ 観光案内所とピザの相性が良いワケ「ピザを見れば、その町のことが手に取るように分かる」

ピザを焼いて観光客をもてなす金谷観光案内所「石の舎」

一般的に観光案内所といえば、町に訪れる旅行者の質問に答えるだけという受け身のイメージがありますが、最近では単なる「観光案内」から地域情報の発信拠点へと少しずつその役割を変化させてきているようです。

そのことに関して福倉さんは次のように述べていました。

「ウチでは、房州石で作った窯でピザを焼いてるんですよ。房州石は保温性があって、性質的に火に強い。だから昔は火事がおきても大丈夫なように、房州石で作った蔵の中に貴重な宝物を保管していたそうですよ」

「でも、それだけじゃ訴求力が足りない。そこで、ピザのトッピングに使う食材は地元のものを使うようにしました。ピザの名前も、最寄り駅の浜金谷(はまかなや)駅の名前をもじってつけた『ハマカナーヤ』など、このエリアにまつわるものにしています」

「他にも、地元の春菊を使ったピザなんかは少し青臭いので『アオクセーナ』という名前にしてみたり(笑)こうやってちょっと笑える名前がメニューに並んでいると、お客さまが『これなんですか?』と話しかけてくれて、結果的に会話のキッカケになったりもするんでよね」

PIZZA GONZO店主・福倉光幸さん

規則性を見つけるとクスッと笑ってしまうメニュー。福倉さんのユーモアが垣間見えるメニューだ

一見なんの関連性も無いように見える観光案内所とピザの組み合わせというのは、もしかすると相性が良いものなのかもしれません。

と言うのも、ピザには地域の現状が強く現れるもので、例えばピザの本場ナポリでは、ピザに載っているトッピングを見れば、ナポリ周辺の農産物の収穫状況や経済状況が手に取るように分かると言われています。

それはPIZZA GONZOのピザにも当てはまり、毎月トッピング内容が変わるピザのメニューを見ていると、月ごとに金谷周辺でどんな食材が収穫されるのが分かるのです。



そして、そのピザは金谷の観光案内所で販売されているわけですから、ピザが地域の情報を発信していることになるという訳なのです。

▼ 店主・福倉さんの建築業の経験 × 金谷の房州石 = ピザを焼く観光案内所「町の付加価値を高めるのは移住者」



こうして金谷の魅力をピザに乗せて発信している福倉さんですが、福倉さんは金谷の外から移住してきたのだそうで、移住から観光案内所でピザを焼くまでの経緯をこのように語ります。

「高校時代はヤンチャだったので高校を中退して、23歳まで鹿児島県で建築業の仕事をしていたんですよ。あるとき縁があって、通信高校に通うことになって無事卒業。その流れで、東京の大学に進学することに決めたんです」

「大学2年生のとき、知人に連れられて金谷を初めて訪れたんですよ。そこから2週間に1回くらいのペースで金谷に遊びに来るようになって、あるとき、『金谷に引っ越してきたら?』と提案されて、実際に金谷に引っ越してきました」

「僕は年齢も高かったので、卒業後は企業に就職するというよりも、自分で何かやろうと思った。それが金谷でピザを焼くことだったんです」



「この店はもともと地元のおばあちゃんたちがボランティアに近い形で運営していた観光案内所だったのです。でも、おばあちゃんたちも高齢なので、観光案内所を兼ねるのであれば店として使ってもいいと、提案されたんですね。そうして観光案内所でピザ屋を始めることになったのです」

このようにして高校退学から、建築業、そして大学進学を経て、金谷にやってきた福倉さんですが、ピザで情報発信を行う観光案内所という変わったスタイルを実行できたのは、福倉さんの人生経験と金谷という町が交わって、化学反応が起きたからに違いありません。

そのことに関して福倉さんは次のように述べています。

「建築業のスキルが上手く活かせたんですよ。もともと建築業をしていたからこそ、窯を組み立ててみようと思えたし、器具の使い方なども建築業と似ているところがあったので」



「それに、今でこそ飲食業で8年の経験がありますが、料理とはまったく関係ない業界にいたからこそ、柔軟な発想ができたのかもしれません。別の業界から来たからこそ『別にそうじゃなくても良くない?』と常識を疑って新しいピザを作ることができた」

「イロイロとチャレンジをしてきたので、最初の頃は商品としてはありえないレベルのものをお客さまに提供していたかもしれません・・・でも、お客さんの反応を見て、自分で研究もしつつ、喜んでもらえるピザを作れるようになりました」

▼ ピザを焼く観光案内所が都市と農村をつなげる「田舎町に人がやってこないのは町の情報を発信する人がいないから」



福倉さんは情報発信を通じて都市と農村の架け橋になりたいとこのように語っていました。

「当時、僕が金谷に引っ越してきたとき、金谷の情報が本当に何もなかった。もっと情報を出して若い人が来たら面白いのに。そう思って情報を出していくと少しずつ人が集まるようになってきたんです」

「自分たちとしても面白いことを発見して、情報をもっと発信したいという気持ちがあったから、写真を撮って情報発信をしたりしましたし、そもそもピザだって最初は面白くて遊び半分で始めたものですからね」

「それに僕の母校、國學院大學の町おこしサークルを金谷に招待して、活動の場を提供したりもしています。一緒に畑を作ったりもしているんです」

観光案内所の役割が、単なる観光案内から地域の情報発信の拠点に変化していった背景にあるのは、高齢化という社会問題と、福倉さんという外からやってきた移住者との間で起きた化学反応でした。

近年は福倉さんに会うために都内からこの町を訪れる人も少なくないようで、金谷という町では外から入ってくる人たちによって引き起こされる化学反応がまだまだ起きるのかもしれません。

都内から約2時間とアクセスは決して良いと言えない千葉県富津市金谷エリア。今日もこの街で新たな取り組みが行われようとしています。

【取材協力】

◾金谷観光案内所「石の舎」/店主・福倉光幸


著者:高橋将人 2018/11/16 (執筆当時の情報に基づいています)
※本記事はライターの取材および見解に基づくものであり、ハウスコム社の立場、戦略、意見を代表するものではない場合があります。あらかじめご了承ください。