ヒーローも悪役も、商店街の中にいる「いたばしプロレスリング」
板橋区の板橋駅から上板橋駅のあたりは、「一生づきあいします」のモットーを掲げる「ハッピーロード大山商店街」をはじめ、「上板橋北口商店街」「中板橋商店街」など、全国でもとりわけ商店街に活気のあるエリアです。
少し前までは商店街同士、お互いをライバルのように思って関わることはほとんどなかったそうですが、今では違う商店街の人とも交流し、ともに企画を開催することが増えました。
その仲介となっているのがなんと、“プロレス”。というのも、板橋の商店街はそれぞれにプロレスラーを抱えており、商店街のイベントがあると、その商店街のレスラーと別の商店街のレスラーが試合をするなどしていく中で、商店街の枠を超えたイベントも生まれやすくなっていったのです。
「上板橋北口商店街」から始まった食べ歩きのイベント「バル」が、「ハッピーロード大山商店街」に取り入れられ、さらに三田線の方の商店街まで巻き込んで、7商店街合同企画「板橋バル」に進化している。
なぜプロレスが街の商店街をつなぐようになったのか…。そのきっかけとなった「いたばしプロレスリング」を設立し、自身も現役レスラーとして活躍するはやてさんにお話をうかがったところ、次のようにお話ししてくれました。
「自分はずっとプロレスで食べてきて、東北の『みちのくプロレス』に勤めたあとは東京に戻り、プロレスの学校を立ち上げたこともありました。そのうちに歳も50近くになり、家族の育った板橋をベースにしてプロレスをやろうと思い立ったんですね。そんな矢先、一緒にやってきたレスラーたちが何も言わずに消えてしまったんです。」
「プロレスから離れるときが来たのだと思っていたところに、上板橋北口商店街の青年部の部長さんと会う機会があったんですね。その方は全然プロレスが好きではないんですよ。けれど状況をお話しすると、『引退することないよ。一緒にやろう。』と言ってくれたんです。」
この部長さんをはじめ、「もう一回やろうよ」と背中を押してくれた板橋の人たちがいたことではやてさんはプロレスの道を諦めることをやめました。それ以来はやてさんは、「この板橋の人たちのために何かしよう」と、恩返しのつもりでプロレスをやってきたのだそうです。
▼ ゆるキャラは「かわいい」と思われるだけ。レスラーなら「がんばれ!負けるな!」と応援してもらえる。
斜陽化していたプロレスを「もうもたない」と肌で感じていたはやてさんは、雑誌の取材などでも「間違いなく50歳までやっていないですね」と言っていたこともありました。
上板橋北口商店街には、もともと「ピカちゃん」という商店街のキャラクターがありました。
「ゆるキャラを可愛いと言ってもらったからといって、その街が好きだということにはならない」と感じていたはやてさんは、このキャラクターをレスラーにしたら、地域の子どもたちが試合に来て応援してくれて、この街で暮らす楽しみが増えるのではないかと商店街に提案したのだそうです。
こうして2014年、板橋の商店街第1号となるレスラー「グレートピカちゃん」がデビューしたのでした。
▼ レスラーの「グレートピカちゃん」なら、「かわいい」だけじゃなくて、ちゃんと応援してもらえる。
商店街のイベントで「グレートピカちゃん」がプロレスをしていると、それを見たハッピーロード大山商店街の人がはやてさんのところに「うちでもレスラーをつくりたい」と相談にやって来て、「ハッピーロードマン」が生まれます。
そこから続々と、中板橋商店街から「なかいたへそマスク」、板橋宿不動通り商店街から「いたばし不動ッピー」、常盤台1・2丁目町会から「トキワダイオー」、そして少し離れた板橋区舟渡町からも「マスクド・ふなどん」がデビューすることになりました。
さらに、1体目が生まれた商店街からは「悪役が欲しい」「妹が欲しい」という要望が上がるようになり、商店街レスラーはまだまだ増えています。
こうした商店街のレスラーが登場する「いたばしプロレスリング」は、板橋で年間およそ17回ほどプロレスの試合をしており、プロレスを見る子どもたちの生き生きとした表情から、お母さん方に感謝されるようになっているのだそうです。
▼ 仮に板橋にダメなところがあったとしても、子ども時代に笑顔でいられたことは板橋の人のプライドになる。
強さを追い求め、権威にかられていく「ハッピーロードマン」の心の闇から生まれたのが、「ハッピーロードマン・ダーク」。
プロレスというと、かつては「デスマッチ」などの流血戦によって当時の親世代から敬遠されていたこともありました。
その時代のヒーローがプロレスを去り、プロレスはK-1やPRIDEに取って代わられるようにして急激に人気が落ち込んでいったため、今では「プロレスを見たことがない人は?」という方に手を挙げる人が多くなっているそうです。
プロレスを知らない世代が大人になり、アイドルレスラーが登場し、リングのない変わり種のプロレスなども出て来て人を集めるようになっていますが、修行を積み、全盛期のプロレスを見てきたはやてさんは、「ニュースになるためのプロレスっていうのはしたくない」として、次のように言います。
「女性や子どもたちが怖がってしまうようなプロレスを再現はしないですよ。でも根っこにあるのは昭和のプロレス。体鍛えて技術磨いて、その上で試合がある。レスラーにプロレスの技術や表現力があるから見る人に響くんです。そこに集まる子供達が『レスラーってすごいな』と夢を持つ。」
何度倒れても立ち上がるレスラーたち。技が美しく決まるのも、相手に受け身の技術があるからこそ。
55万の人口を抱える板橋区は都内へのアクセスはもちろんのこと、家賃も手頃でなんでも揃い、不便のない街です。
今多くの人が仕事などの経済的な事情よりも「サーフィンしたい」「田舎暮らしがしたい」と心の充実を優先して住む場所を選ぶようになってきている中で、「いたばしプロレスリング」は板橋の人の余暇を充実させるために頑張ろう。そんなふうに考えることが多くなったというはやてさんは、次のように述べていました。
「『いたばしプロレスリング』が楽しみの一つになってほしいですね。仮に板橋にダメなところがあったとしても、プロレスにやってくる子どもたちが笑顔でいられる。親御さんたちはそういう子どもたちを見て、だったら板橋に住み続けようか、というふうになるんだと思うんです。」
「プライドが必要なんですよね。この街にはこれがあるんだ、という。大人になって街を出たとしても、子ども時代に板橋には楽しいプロレスがあった、という思い出が残るだけでもいいと思うんです。」
はやてさんが「いたばしプロレスリング」にかける思いは、ホームタウンにクラブチームがあって子どもを育てるサッカーに近いところがあります。
すぐ隣は埼玉県で、都内の他のエリアと比べるとこれといった目新しいオシャレなスポットがあるわけでもなく、「住んでいるだけでモテない東京23区ランキング」で2位になってしまったこともある板橋区。
しかし、「一緒にやろう!」と踏み込むことのできる人のいる、人情溢れる商店街があり、親子で「また来ようね」と言えるプロレスがあります。
はやてさんがどん底から心を入れ替えてスタートした「いたばしプロレスリング」では、善玉レスラーから悪玉が生まれることもあれば、悪玉レスラーが善玉に改心することもあり…。
そんなリングを見て育つ板橋の子どもたちはきっと、勝ち負け以外のところにある面白さを学び取り、なにか包容力のようなものを板橋育ちのプライドとして大人になっていくのかもしれません。
【取材協力】
いたばしプロレスリング株式会社 代表取締役 はやて
著者:関希実子 2018/12/11 (執筆当時の情報に基づいています)
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