“いいもの”って何だろう。人生にも探し物が見つかる、「上野青空骨董市」。
上野駅の目の前に広がる上野公園。その中にある不忍池(しのばずのいけ)のほとりで開催されているのは、“日本一長い骨董市”と言われる「上野青空骨董市」です。
多くの骨董市が週末のみの開催としている中で、上野公園では年に4回開催され、1回あたりの期間は2週間から1ヶ月もの長さになります。
つまり、年間トータルでおよそ80日にもわたって骨董市が開かれているわけです。
お正月の頃、桜の時期、5月の連休頃、そして夏休みの頃と、年に4回骨董市が行われている「上野青空骨董市」。
クーラーも冷蔵庫もないところに、朝の10時から夜の6時まで連日お店が開かれているものですから、毎年8月の開催時には暑さで体調を崩して救急車で運ばれる出店者が出るといいます。
ゆえに、日本一開催期間の長い上野の骨董市は、“日本一過酷な骨董市”でもあるのだとか…。
そんな「上野青空骨董市」に30年以上も前から出店してきて、現在は会場責任者も務めている古物商のマンタムさんを訪ねてお話をうかがったところ、「ハードでも楽しければなんとかなる」のだそうで、マンタムさんはその理由を次のようにお話してくれました。
「あるときスッと売れなくなるんです。同じようなものが10個あるとそのうち8個は売れない。そこで辞めるか努力するかなんですね。」
「アンティークを専門とされる古物屋さんのところに指輪くらいの丸いリングのついたポシェットが売られていたんです。『このリングはなんのためについているのか』と思ったら、その古物屋さんはそのリングに指を引っ掛けて踊るためだと、30年代の無声映画の中にそういうシーンがあるというんです。興味があるから勉強しちゃうという人が、長くこの仕事をやっているんですね。」
マンタムさんも古物屋としてスタートできたのは自分の好きだったギターや人体模型、そして動物の標本などを専門のように扱っていたからであり、ギターに関しては買っていかれた方にマンタムさんがギターを教えるサービスまでつけているのだそうです。
▼ 「Made in・・」なんて画一的な見方。ものにも“生まれ”だけでなく、“育ち”がある。
「これ、世界に1個しかないんですよ」「え?あっちの店でも売ってたよ」…。古物屋でのやり取りは、洒落の世界。
とはいえ、骨董市というとテレビの鑑定番組の影響などもあり、「これは本物なのか?」「他の店より安いのか?」「何年持っていれば高くなるのか?」といった、いわゆる投機対象のように古物を考えてものを見る人も少なくなさそうです。
マンタムさんはそういう考えに対して、古物の世界にも流行があり、かつて骨董品の王様みたいな存在だった掛け軸のように、30年ほどの間でモノによっては価値が100分の1になってしまうこともあるのだから、周囲の価値観に振り回されず、「自分の価値観に値段をつける」気持ちでものを見て欲しいと言いました。
「上野青空骨董市」で色々な人との出会いを重ねてきたマンタムさんは、それぞれの人の趣向を理解してどれだけ応えられるかが大事だとして次のように言葉を続けます。
「お客さんはものを見て『なんとなく引っかかる』となるわけですが、私たちはなんでもかんでも背中を押してはダメなんですよ。それを手に入れたら次に続かないという茶碗もあれば、それを買ったら次の茶碗へと興味が広がるだろうというものもありますから。」
「お客さんにとって次の興味につながるか、新しい世界が広がるか、というのをまず考えるんですね。それまで接していなかった新しい世界を知ることは、人生を豊かにすることだと思うんです。」
古物商のマンタムさん「変なものが好きですね。つい変なものをね。」
ではどういったものが「次の興味へとつながる」ものなのでしょう。マンタムさんは、ものにも「生まれと育ち」があるのだと言います。
例えば、千利休のいた1500年代に活躍した陶工、長次郎の焼いた茶碗は、水につけっぱなしにするなどして使われていた場合シミができてしまっていることもあるわけですが、一方で大事に使われてきた場合はいい感じに色が入って、“いいもの”に育っているのだそうです。
誰がどのように使ってきたかによって“いいもの”になる、「育ち」という考え方を、マンタムさんは次のように述べていました。
「過去から残ってきたものには全部理由があるんですよ。みんなが『なんとなくこれ、いいよね』と言うから残っているんです。そういうものはみんなが愛でたものであって、その理由があるんですね。いろいろな人がいて、それぞれの価値観でなんとなく残されたモノを次世代に残す。それが我々の仕事なのです。」
ものを生み出す人もいれば、古物屋のように“ものを育てる”ことに関わる人もいる。マンタムさんのお話を聞いていると、ものが有り余るほど生み出され、手入れ要らずの便利なものに囲まれている現代から“いいもの”に育って残るものがどれだけあるだろうか、とふと思います。
▼ 「思い入れのあるもの」には、名前もストーリーもある。
古道具というものは、基本的には過去から引き継いだもの。誰がどんなふうに使ったのか、その使い方で値段が変わる。
「買い出しが一番面白い」というマンタムさん。「思い入れで買っている」ため、動物の標本など、時間が経って傷んでくるものあるのだけど捨てられず、今ではそうした思い入れのあるものを組み合わせて作品をつくっているのだそうです。
「この豚の名前は“ポノック”というんです。蓄音機がついていて音楽が流れてくるんですよ。このポノックには、なぜこういう姿になったのかというストーリーがあるんですね。」
「どうしても骨や標本でものをつくるというのは忌み嫌われます。だったら『なんでそれらを使うのか』というのを明確にしないといけないと思ったんですね。そうしたら、作品の背景にストーリーができていったんです。」
こうしたマンタムさんの作品は「上野青空骨董市」のほか、新宿のセレクトショップ「A STORY」、名古屋の大須にある「Sipka」といったお店にも飾られるようになりました。
そのうちにストーリーが劇団に採用されてお芝居になったりもして、マンタムさんは舞台美術、映画の特殊美術、そしてキュレーションや展示の為の空間設営なども手がけるようになり、昨今では、不気味なのにやみつきになると言われる映像作品で有名なチェコの美術作家、シュールレアリストのヤン・シュヴァンクマイエルからもその作品が高く評価されています。
「思い入れのあるもの」には、名前もストーリーもある。
振り返れば、映像制作やアングラ劇団の活動から始まって、紆余曲折を経て古物屋になり、なった後も倉庫を放火されて全財産を失うような目にもあってきたマンタムさん。今では、アーティストとして広く活動し、映画を自主制作していた経験から地域の映画祭に審査員として呼ばれたりもしています。
そんなマンタムさんは「上野青空骨董市」でお店を出していると、ふと訪れたお客さんから「人生の岐路に立っている」というような相談を受けることも珍しくないそうです。
実際、将来について迷っていた若者がマンタムさんのお店でふとカメラを手に取り、のちにカメラマンになって報告に来たこともあったのだとか…。そうした経験を積み重ねてきたマンタムさんが、骨董市にこれから訪れるお客さんに向けて投げかけてくれたのは、次のようなメッセージでした。
「人生を豊かにしよう。自分の中の価値観を探しに来て欲しい。自分を探す旅みたいなつもりで。『上野青空骨董市』にはいろいろな入り口になり得るものがありますから。」
ものが出会った人たちによってできているように、人もまた、出会った人たちによってできている。
「上野青空骨董市」の開催されている上野公園のエリアには、国立博物館や国立科学館、国立西洋美術館、さらには上野動物園、その動物園の近くには東京藝術大学もあり、どれ一つ取っても存在感のあるスポットが隣り合うようにして並んでいます。
同じようなスーツを着て仕事に行く人の溢れる東京でも、一つの価値観に左右されない感じのする上野は、どんな価値観でも馴染みやすく、思い込んでいた価値観をリセットしやすい街でもあるのかもしれません。
上野で長く続いてきた「上野青空骨董市」はこれからも、訪れる人にフラットな目で好きか嫌いかを感じさせ、新しい価値観を育てる楽しさを教えてくれる場所であり続けることでしょう。
著者:関希実子・高橋将人 2019/1/4 (執筆当時の情報に基づいています)
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