“バリアフリー”という言葉自体を無くしたい。「車椅子で入れるトイレあります」「嚥下食はじめました」店同士ができることを考える、相模原のネットワーク。

横浜、川崎に次ぐ、県内第3位の人口規模となる神奈川県、相模原市。

この相模原の山の中にある「津久井やまゆり園」で、2016年の夏、元従業員によって19名の重度知的障害者が殺害される事件が起きました。

当時の「津久井やまゆり園」は、障害者が150名以上も入所する大規模な施設でしたが、その施設の存在自体、知る人はほとんどいなかったそうです。

障害者の隔離政策がとられていた時代につくられた「津久井やまゆり園」。取り壊しが決まり、建て替えを待つ。すぐ裏にある遊園地から楽しそうな笑い声が聞こえてくる

事件の起きた後から相模原では、地域コミュニティにおける障害者のあり方について、また、この施設をその後どのように変えていけばいいのか、有志によって話し合いが行われるようになりました。

相模原市内の訪問看護ステーションに理学療法士として勤めている安西祐太さんも、「障害のある人に(障害のある人から)声をかけやすい街をつくりたい」と声をあげた一人です。安西さんに事件のことをうかがうと、当時のことを思い起こし、次のようにお話ししてくれました。

「2年前の7月26日ですね。7月26日は僕の誕生日でもあるんですけど、その朝起きたらえらいことになっていて…すごいショックで…。その事件のニュースを見ながら、理学療法士になる前に実習に行った別府の街のことを思い出したんです。」

「別府は海と山ばかりで障害者にとっては住みづらそうなんですけど、障害者の住んでいる割合が高いんですね。脊髄損傷などで障害を負った人たちがリハビリ期を終えて仕事に戻る準備をする施設があるんです。施設の障害者は昼間は口でタイピングをしたり、手で車を運転する練習をしたりするのですが、夜になると介護タクシーに乗って街に飲みに出かけるんですよ。」

「介護タクシーが止まるとお店のおばちゃんが当たり前に手伝いに出てきて、それでお店に入ってビールを頼むと、障害のある人でも飲みやすいようにあらかじめストローが挿さっているんですね。お店をバリアフリーにするという以前に、障害について一緒に考えて『できることから始める』お店が増えればいいなと思ったんです。」

▼ 障害のある人にも「あー、美味しかった」と、喜んで帰っていただきたい。



2017年頃からSNSなども使ってそうした思いを伝えるようになった安西さんのところには、仕事の関係者や相模原のフェイスブック上のコミュニティ「さがみはらぶ」などを通じて賛同者が集まるようになりました。

そして現在、安西さんたちは、障害者がファシリテーターになって障害について市民と考える「障害平等研修」を開催したり、相模原市内の飲食店でそれぞれのお店の個性に合わせてできることを話し合うなどして、誰もが住みやすいまちにしていけるよう、市民が自分達で考える機会を設けようと活動しています。



「障害者平等研修」は、2016年に制定された「障害者差別解消法」を推進するための研修。障害者が進行役となり、障害を自分ごととして参加者が考える機会をつくる。

安西さんは、段差を減らすとか手すりをつけることも大事ですが、「まずは心のバリアフリーから」として、次のように述べていました。

「“心のバリアフリー”っていう言葉を嫌う人もいます。確かに物理的に地面がフラットでなければ車椅子の人がお店に入れないじゃないか、というのもわかります。ですが、大手であれば建物をバリアフリーリフォームすることができても、相模原の多くの飲食店はギリギリでやっている所も多いんです。」

「大手のチェーン店はバリアフリーかもしれない。でもそうしたチェーン店だけでは本当に食べたいものは食べられないじゃないですか。卵焼きだって、本当に美味しいものは相模原で個人でやっているお店にあったりするんです。そういう美味しいものを障害のある人にも食べてもらいたい。」

▼ 老舗の、物理的に“バリアフリーじゃない店”にこそ、美味しいものがある。



実際に協力店として安西さんと話し合いを重ねてきた老舗の蕎麦屋「そばや 池乃家」を訪ねたところ、店主の冨田克哉さんは次のように述べていました。

「うちは入り口などバリアフリーじゃないんです。それをどうしたらいいのかなって思っていたんですけど、サイトにでも入り口にでも、ただ『この番号に電話してくれればお手伝いに行きますよ』と書いておけばいいんだって気づいたんですね。」

相模原で長年親しまれてきた「そばや 池乃家」の店長、冨田克哉さん

「ランチと夜の営業の間の空いている時間帯はいつも2階は使わないんですね。障害のために大きな声を出してしまう、急に走り出してしまうという方には、その時間帯に2階を貸切にしてご案内すれば、それだけでもお手伝いができるんだなって。割と単純なところで、できることのヒントをたくさんもらいました。」

「うちのお店は『車椅子で行くんですけど、いいですか?』ってお電話くださる方が結構いらっしゃるんですよ。お店が障害に対して考え、ウエルカムであることをきちんと示すだけでいいんですね。自分だけがそうあるだけじゃなくて、実際に障害のある方がいらっしゃった時に困った顔で出迎えてしまうことがないように、スタッフみんなで障害について考える事が大事だなっていうのは、非常に思うことですね。」

▼ 7人に1人が障害者という事実。同じ街にいても見えないものは想像できない。

相模原で理学療法士をしている安西祐太さん

「ネットを見ていても『津久井やまゆり園』の事件の犯人に賛同するという人は少なからずいるんですよ。自分らの中だけで生きている。まずはそこからなのかなって思うんですよね。教えるんじゃなくて『一緒に考える』っていうのをしたいんです。コミュニケーションから生まれる気づきを大切にしています。」

健常者が障害者のことを理解できないように、障害のある人も自分とは異なる障害のある人のことを理解できないものであり、“バリアフリー”についても、ある人にとってはバリアフリーといえる環境が別の人にとってはバリアフリーではないということも多々あります。

過去には“バリアフリー”としていた飲食店が、“バリアフリーではない”と叩かれてネット上で炎上するといったこともあり、“バリアフリー”という言葉は解釈が広がりすぎてしまった結果、飲食店にとっては安易に使えない、非常にリスクの高い言葉になってしまっているのだそうです。



バリアフリー”とは言えなくても、「このボタンを押してくれればお手伝いにいきますよ」という普通の言葉で伝えられることがある。

安西さんは、健常者にも障害のある人にも、障害っていろいろあるんだよ、というのをまず知ってもらいたいとして、次のように述べていました。

「集団意識の強い日本では、同じ境遇の仲間内で固まりがちです。障害者同士でも、同じ障害を持つ人で固まってしまうんですよ。障害があってもなくても、ほかの境遇にあったらどうなるのかということはあまり考えられなくなってしまう。だから、街の人が仲間以外の人とコミュニケーションができる機会を増やしたい。そうしたら、『この人も苦しいんだな』とか、お互いにわかってくると思うんです。」

「相模原のお店同士で『車椅子の入れるトイレがありますよ』とか『嚥下食を始めました』とか、それぞれにできることを共有して、そこに障害のある人もない人も入って来て『こういうのがあったらいいな』と言える。いろんな意見が交わる場を相模原でつくって、障害のある人が外出したくなる街にしていきたいですね。」

「障害のある人に(障害のある人から)声をかけやすい街、相模原」を実現するため、主要メンバーとして活動する安西祐太さん(一番右)、野田聖也さん(右から2人目)、藤井健太朗さん(左から2人目)

「相模原では人口の15%は障害者なんです。7人集まれば1人は障害を持っている人がいてもおかしくない。」という安西さん。しかし、今の社会では、障害のない人の目には障害のある人の存在は意識をしないと見えにくい気がします。

障害を抱える人が外出しやすい街になり、毎日の中で見えるようになってくれば、安西さんの目標とするような、障害のある人に(障害のある人から)声をかけること、手を伸ばすことを経験する人も増えていくでしょう。

相模原で安西さんたちがコーディネートした障害平等研修に参加した60代の女性は、研修後に「地域に戻って何をしますか?」という質問を受けて、「まずは挨拶することから始めます」と言ったそうです。

街中をバリアフリーに整備する以前に、街の中に手助けの必要な人がいたら声をかけられるという自信を持つ人が増えることが、誰もが安全に暮らせる街であるために一番大切なことなのかもしれません。

【取材協力】
◼理学療法士:安西祐太、野田聖也、藤井健太朗
◼「そばや 池乃家」店長:冨田克哉


著者:関希実子・高橋将人 2019/1/11(執筆当時の情報に基づいています)
※本記事はライターの取材および見解に基づくものであり、ハウスコム社の立場、戦略、意見を代表するものではない場合があります。あらかじめご了承ください。